琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「名もなき人たち」へ

参考リンク:渡辺由佳里のひとり井戸端会議: いま、黙っている理由

地震が発生して以来、どうすればいいのだろう、と内心悩みながらも、実際には僕の周囲には目立った変化もなく、という時間を過ごしています。
twitterで、助け合う人たちの温かさに触れて思わず涙したり、不謹慎なネタツイートや、この機に乗じて、と宣伝をする人たちに憤ったり、いまここで自分に何ができるのか、と考えたり。

ここにも何か書こうか、いま感じていることを素直に書くべきなのか、もし避難所などで読んでくれる人がいるならば、気分転換になるような、楽しいエントリのほうが良いのか、などと逡巡していたのですが、↑のエントリを読んで、いま考えていることを書いておきます。すごく心に響いたので。


今日も勤務先の病院に行ったのですが、うちの病院からも、現地に医師ほかのスタッフが派遣されることになり、昨日の夜、すでに現地に向かったそうです。
僕は現地に行くことはできないけれど、スタッフが抜けて少しだけ負担が増したこの病院で、現地に行った人たちがそこでの仕事に集中できるように、日常の仕事をきちんとやっていくつもりです。
それと義捐金を送ること、それが、僕に今可能な最大の支援だと思うから。

これが自然災害と人間との「戦い」だとするのなら、戦いには後方で補給を担当する人間が必要だ。僕はそれをやっていくつもりです。
この災害との戦いは、まだはじまったばかり。
亡くなった人、家や職場を失った人、彼らをこれからみんなで支えなければなりません。


twitterのタイムラインをみていると、みんなが「情報」の渦に右往左往しているのだが、こんな事態のなか、被災者でもないのに自分が「情報強者」であることを誇ろうとしている人もいます。
「そんなことしかできないもどかしさ」もあるのかもしれないけれど……


原発の現在の状況にはすごく不安を感じています。
でも、その原発で、被害を最低限に食い止めるために、命がけの作業をしている人たちがたくさんいるのです。
みんな「怖い」に決まっています。
いくらそれが「仕事」だからといって、僕にそれができるだろうか?
このあまりに大きな災害のなかでは、「ひとりの命」は印象に残りにくいけれど、あの現場で命を落とした人たちは、「その仕事を拒否すれば、死ななくてすんだであろう人たち」です。
そして、彼らもまた、誰かの子供であり、誰かの配偶者であり、誰かの親であり、誰かの友人でした。
自衛隊の人たちも、危険な状況のなか、救出活動を行っています。
警察官は、55人が行方不明となっているそうです。
駅員さんたちも眠れていないはず。
「なんでもっと早く復旧できないんだ」なんて言葉を浴びせられながらも、電気やガス、水道などのライフラインの復旧作業をしている人たちもいます。
危険な地域に踏みとどまって対応に追われている、自治体の人たちがいます。
病人・怪我人の治療にあたっている医療スタッフもいます。


インターネットは便利で、いろんな情報の流れを変えました。
今回、ネットの「情報」に救われた人もたくさんいるはずです。
でも、ネットの力を、自分の力だと過信しないでほしい。
どんなに一生懸命「拡散希望」の情報をリツイートしても、電球の1個もつきはしません。
どうか、「大きなこと」「ドラマチックなこと」にばかり目を向けずに、少しだけでも、自分の身の回りでがんばっている人たちのことも考えてみてもらいたいのです。


日本中で、たくさんの人たちが、自らの危険を顧みずに「みんなのために」働いています。
歯を食いしばってがんばっている、その「名もなき人たち」に、僕は感謝していますし、僕もあなたたちのような人間でありたいと思っています。


いま、寒いところ、暗いところ、怖いところで「みんなのために」働いてくれている皆様、本当にありがとう。
あなたは、僕たちの誇りです。