2013年10月の記事一覧
- 2013/10/31 まどかマギカ叛逆の物語感想その7(バレ注意) その叛逆を成り立たせたもの
- 2013/10/29 まどかマギカ叛逆の物語感想その6(バレ注意) 再び、「日常」の中のほむら。
- 2013/10/27 まどかマギカ叛逆の物語感想その5 (バレ注意) ほむらの払った犠牲と、希望。
- 2013/10/27 まどかマギカ叛逆の物語感想その4(バレ注意) 魔女から見た世界
- 2013/10/26 まどかマギカ叛逆の物語感想その3(バレ注意) 少女がたどり着いた答え
まどかマギカ叛逆の物語感想その7(バレ注意) その叛逆を成り立たせたもの
2013/10/31 Thu. 09:55 [edit]
5回目6回目行ってきました。
見るつもり、なかったんですが。。。水曜日はシネフロ1000円だし。。。特典まだ残ってたし。。。
叛逆正直飽きてるんですけどね笑
頭を使う段階は過ぎたように思います。夢の中でカラフル流れるようになったし。
感動は細胞に刷り込んでナンボかなと、つくづく思います。
こまっかい伏線やら暗喩やらやったら多いんですが、今回は叛逆そのものについて。
見るつもり、なかったんですが。。。水曜日はシネフロ1000円だし。。。特典まだ残ってたし。。。
叛逆正直飽きてるんですけどね笑
頭を使う段階は過ぎたように思います。夢の中でカラフル流れるようになったし。
感動は細胞に刷り込んでナンボかなと、つくづく思います。
こまっかい伏線やら暗喩やらやったら多いんですが、今回は叛逆そのものについて。
-- 続きを読む --
どこかの感想で見たのが
・「暁美はなぜ叛逆できたのか」。
付随して、
・ほむらはなぜ叛逆したのか。
・まどかが劣化してね?
あたりの問題。
冷静に考えると、いろいろおかしい。
「ずっとひとりで頑張ってたんだね。もうずっと一緒だよ、ホムラチャン」
ほむら、なんでこのセリフに素直に従わなかったのか?
円環世界で人間形態をとってまどかとお話しできることも、現世に干渉できることも、さやかとなぎさが実証しています。
インキュベーターが悪さしてくる?本来ならどうとでもなります。
というのが、キュゥべえの打った手も、繰り出した兵力も、まどか陣営には先刻承知でした。
キュゥべえとしては、干渉フィールドがあることと自分たちが極めて多数であることがまどかが知りえない切り札だったはずです。
この二つがあっさり見抜かれてるし対策も取られている。
ポイントが、さやかとなぎさ。
さやかが杏子に、なぎさがマミに、1:1のマークでついています。
また、劇中のセリフを振り返ると、この二人はマーク相手より先行してほむら結界内に入ってた様子。
ほむらのトイメンにはまどかがつきますから、現世の魔法少女に対してはかなり重厚な布陣です。
また、さやかとなぎさによって反撃が開始された時点で過去の魔女が総動員されています。
どうも、ここまでが円環側の手筈通りだった模様。そのつもりで準備がされていたわけです。
一方のほむらですが、彼女はとても強力な魔女でした。
使い魔の数も種類も質も段違いです。ワルプルギスの夜ですら比較にならない、つまりは「従来の魔女からは想像もできない規模の魔女」です。
詳細は後述します。
つまり、ほむらがキュゥべえに捕獲された問題は、円環側にしてみたら一見大したことないけど、実はとても危険なトラブルでした。
インキュベーターに魔法少女が捕まった、という問題として認識すると、とんでもないしっぺ返しを受けます。
しかし、まどかたちは問題の規模を正確に感知して、即座に十分な兵力を投入しました。
このため、ほむらの魔女化問題は短時間に鎮圧されています。
まどかは元々そういう戦略・戦術・戦闘・外交のセンスがずば抜けていました。
詳細は以前のブログで何度か書いています。
よーは、まどかは喧嘩が強い。個人でも組織使っても体力勝負でも騙し合いでも。
上で見てきたように、布陣を見る限り、まどかのしたたかさは『叛逆』でも健在です。
また、今回もまどかの追撃がほむらを的確に捕捉しています。
忍ばせる草(スパイ)もなぎさとさやかという腕利き。記憶のバックアップも二人にかけるという念の入りよう。
といっても、なぎさはキュゥべえに敵意をむき出しにしてしまう、ちょっと危なっかしい草でしたが。。。
ほむらが懸念している「まどかをインキュベーターに触れさせない」は、実は杞憂です。
論外レベルで実力差がありすぎるから。いくらキュゥべえが吠えても、歯牙にもかけられないのです。
こうして見てくると、(恐らくは)まどかが描いた画は今回も優秀に機能しています。
なのに、なぜ、ほむらはインキュベーターのウワゴトを真に受けて救済を拒むのか?
ほむらヤンデレ?サイコレズ?いや勿論そうかもなんですが、
これは、3つ理由があります。
ひとつが、ほむらとふたつのまどかのそれぞれの認識の差。
ほむらは神になったことがないし、神からのフィードバックを受けたこともない人です。
だから、神が「皆の届かない遠い場所」にいて「ひとりぼっち」だと思い込んでいます。
これは彼女が人間である以上、正しい。
いやなんで敵であるキュゥべえの言うことを真に受けるんだ、って話でもありますが。
でも、これをまどか自身は否定しています。
いつでもどこにでもいて、みんなに会えるのが神。
実際、叛逆の物語でのまどかと他者の関係、改変後のほむらの居場所を見ると、一人ぼっちでもなければみんなから遠いわけでもありません。
死んだ人間は消えるわけではなく、普通に人間の時の姿でまどかと対話ができる。
ほむらの世界にいるまどかはまどかで、神の世界の記憶がありません。
だから、ほむらの言うことを鵜呑みにするしかない。
また、魔法少女たちの死に立ち会ったわけでもありません。
叛逆でほむらが話したまどかと、それまでのシリーズのまどかは、そもそも判断のもとになる情報が違いすぎるのです。
また、ほむらは神の構成についても誤解をしているようです。
ほむらにとって、人間としてのまどかは、「まどかがまどかでなくなる前の記録」、です。
つまり、神になったまどかはもうまどかではない。
でも、まどかのいわく、「アタシが裂けちゃう!!」です。人間部分は神の一部。持ってっちゃいけないもの。
ここも、人間と神との絶望的な認識の差が出ています。ほむらさんは神の能力に夢を見すぎ。
ここで、もう一つの理由が絡んできます。ほむらが判断の時間を与えられていないことです。
真相を知ってからすぐに魔女化し、乱戦になった挙句にまどかが来てしまっています。
満足に考える時間は与えられていないし、そもそも選択肢も与えられていません。
まどかではいずれインキュベータ―に敗れるかもしれない、つまりまどかは頼れないという疑いを少しでも持ってしまった場合、決着は神まどかが迎えに来る前につける必要があります。
ほんとうは神まどかとじっくり話し合って検証するのが一番だったんだけど、お互い、そういう時に話を聞きませんよね笑
三つめ、これが一番大きいのではないかと思います。仮説。
根本のところで、ほむらはまどかに対して、実力を認めることも信用もしていないのではないか?
思えば、ほむらの願いには最初から違和感がありました。
「鹿目さんを守る?はぁ?wwww」というヤツ
戦闘力、メンタルの強さ、積極性、処理能力、機転、知性、友情をはぐくむ能力。
どれをとっても、最初期のほむらがまどかに勝るものはありません。
しかし、ほむらは何の疑問も持たず言い切ります。「彼女を守る私でありたい」。
いや、それ1億年早いから。。。。
その後の周回でも、ほむらはまどかがほむらの話を常に聞いていることにも、まどかの本質が魔法少女になったくらいでは変わらないことにも、まどか自身の理解力や行動力が高いことにも気づいていません。
ないしは、認めたくないのかもしれません。
なぜか、ほむらはまどかに対して一段上でいたがる。
今回も、神の隣にあって世界に臨んで何かをできる可能性をハナから否定しています。
神になったまどかがキュゥべえに勝てるとは全く思っていない。
実際の戦力比がまどか>>>キュゥべえであるにもかかわらず。
と言って、単純な独占欲でもない。
ほむらはまどかの行動を規定するんだけど、単純に色々強制するわけでもありません。
いや十分に息苦しいけど。。。ストーカーとか束縛が強い親みたいなものなのかな。
それでも、まどかの幸せを願い、見守るのが基本。
じゃあ、このヒトなにすれば満たされるんだろう?
まどかが単純にほむらだけのものになって、満たされるのだろうか?
思いは私だけのもの、鹿目まどかのためだけのもの、と言っています。
もちろん「誰か(キュゥべえ)に利用されるぐらいなら」もあるんだけど、それだけなのか?
まどかとほむらの関係を振り返ると、まどかに対してのほむらは、ほむらだけが知っている形でオンリーワンです。
時間を飛びまくっていた頃は、ほむらだけが時間を飛び、まどかを知り、まどかを殺め、まどかを守る者でした。
リボンを付けてからは、ほむらだけがまどかを覚えていて、まどかを語りうる者でした。
一方、黒い改変の後はほむらだけが本当のまどかを知っている者で、まどかを守る者です。
円環にとりこまれると、ほむらはさやかやなぎさと対等になってしまいます。「ほむらだけ」のものがなくなる。
これは、どうなのだろう?
『叛逆』では、マミや杏子がほむらの良き理解者として描かれます。さやかもほむらのホンネを知り、受け入れる。
マミとのバトル後の喘ぎ声23秒()に至っては、呼吸までシンクロしかけてましたし。
でもコレ、望ましい状況なのかなぁ?
確かにほむらはマミと杏子を「信じる」と言い切りました。さやかに命を与えてもいる。
ラストのさやかとの会話の手の動きは助けを求める手話だ、という説もあります。
でも、ほむらが求めるのは対等の友達なのだろうか?
まどかが結ってくれた髪も、自分で振りほどいています。
これは、あくまで仮説。ちょっと思ったこと。
ほむらはまどかに対して信仰のようなものを押し付けていないか?
その信仰に基づいて、「対象に対して特別なポジションにある自分」でアイデンティティを満たしてはいないか?
つまり、「一人だけかわした特別な約束を守るもの」であり、「一人だけ託された思いを守るもの」であり、「一人だけ知っている真相を守るもの」。
まどかが輝くほど、比例してほむらも輝く。
問題は、ほむらに対して誰も救済ができないこと。
ほむらが救済されるのは、ほむらの一方的な思い込みに沿う形でまどかが動いた場合のみです。
友達に理解されるのもダメ。オンリーワンじゃなくなるから。
もう一つ、マミたちと理解し合ったことを、「まどか以外のモノに気を散らしたからまどかのことがおろそかになった」とほむらは考えそう。
これは、杏子やマミを「信じてる」といったほむらと両立しうると思う。
とはいえ、ほむらはまどかの救済と自分の決心を比較する時間が与えられていません。
じっくり比較して考えて救済を拒んだわけではないので、潜在的にこういうコト考えていてもおかしくないなー、程度の仮説です。
ともあれ、ほむらはまどかの救済をアテにせず、自力で動こうとします。
根拠は二つ。
神であることで、まどかがつらい思いをしているのではないか?と思ったこと。
※あくまで「思った」です。実際に神状態のまどかと話して確認を取ってはいません。
もう一つは、神であることで、まどかがいずれはインキュベーターに支配されることが懸念されたこと。
対策は?
どうもこのヒト、結界の中で自分が死ぬ(=まどかを閉じ込める)ことでどうにかしようと思っていたフシがある。
まどかを逃がそうとしていないし、マミと杏子に逃がしてくれ、とも言っていない。
ほむらさん、まどかの人間だった部分と心中しようとしたのではないでしょうか?
悪魔になった後の行動と合わせても、自分が結界を張ってまどかを守ろうとしたフシがあります。
魔女が死ぬと、犠牲者も結界の中に閉じ込められたまま消えます。
もうインキュベーターが手出しをできない。
キュゥべえには「この結界内が死に場所だ」と明言しているし、
ミステリオーソが流れているときも、一貫して死を求めています。
ミステリオーソのシーンはヤバいですね。
ほむらを助けようとする4人とほむらのボルテージが高まってシンクロしていくように見えて、ほむらは一貫して逆のベクトルでボルテージを高めています。
ラストの窓が開いて救済の手が差し伸べられる時も、あんな回想、過去のどの周回でも存在しませんでした。
原点回帰ではあるんだけど、まどかの救済には相対するものです。
まどかとほむら、二人は一見心が一つになって弓を引いているんだけど、あれがほむらが真逆の方向に吹っ切れた瞬間でもある。
じゃあ、ほむらは何で吹っ切れたのか?
まどか達の反撃のシーンを見ていると、面白い事実が浮かび上がります。
魔女ほむら、とんでもなく強い。
まず使い魔の物量が半端じゃないです。めがほむ兵、鳥、歯、時計。エリート兵に当たる少年少女兵。
この連中の物量が今までに出てきたどの魔女よりも比較にならないレベルで多い。ワルプルギスがかわいく見えます。
質も馬鹿になりません。単体で魔法少女と戦える使い魔すらいます。
この魔女ほむら軍、魔法少女4人だけでは押し返せていません。
過去の魔女総出でだったら勝ててるけど。
やっぱり、ほむらはまどかマギカ世界の押しも押されぬNo.2です。
また、キュゥべえが懇切丁寧に「円環は閉じ込めることができる」「閉じ込めれば支配ができる」ということを教えてしまっています。
「希望が絶望に変わるときのエネルギーが膨大だ」ということを思い出させてしまってもいる。
また、眼下に広がる激闘の光景で、ほむらは今の自分の手持ちの戦力が大きいことを認識できます。
さて、ほむらが魔女になって結界にまどかを閉じ込めるのには、何が必要でしょうか?
最優先課題は、まどかにソウルジェムを触らせないことです。
触れられた瞬間に浄化され、自分がこの世界から消滅してしまいます。
ソウルジェムを確保できたら、次はまどかを巻き込む形でソウルジェムを自分の絶望で砕くことが必須になります。
これ、事前にそのつもりで余力を残して(力を貯めて)おかないとできません。
救済される瞬間に手を動かすなんて、狙っていないとできない芸当です。
真相を知ってからの短い時間で、ほむらなりに戦力を集めて計画を立てたのではないでしょうか?
―自分の戦力をうまく集中すれば、少なくとも成算はある―
これが、キュゥべえの干渉によってほむらが得た情報のように思います。
結果的に、インキュベーターの実験はそのまま、黒ほむらのまどか支配のためのテストとして機能しています。
面白いのが、ほむらの叛逆が、かつてまどかが神成りする際にキュゥべえに仕掛けたカウンター戦術を踏襲していること。
以前にほむらが魔法少女コンビの戦術を踏襲していると書きましたが、ここでも良い弟子ぶりを発揮しているなと感じました。
その意味でも、『叛逆』はほむらがまどかを超えた話といえる。
そういうほむらだから、まどかと対等になれるように思います。
こうして見てくると、KANでのほむらへの「狂狷(いちずに理想に走り、自分の意思をまげないこと。)」との評は的確な形容なのだなと改めて感じます。友達の声も自分より強い人のアドバイスも聞いちゃいない。
でも、狂狷であることは彼女の素直さや優しさを否定するものではない。
それぞれ、別個に成立するものだと思います。いや迷惑な存在ではあるんだけど。
彼女によって迷惑するのは、力を持つごく一部の人間です。
王が神に叛逆しようが、飯を食わせてくれて生活が守られていれば民は満足です。
力があり、人を惜しみ、現世での命と幸せを重視してくれる。ほむらはそういう王です。
まどかが神であるなら、ほむらは王といったところでしょうか?
上に戴く統治者としてなら、この叛逆者は相当に優秀なように思います。
上映館の情報はこちら。
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どこかの感想で見たのが
・「暁美はなぜ叛逆できたのか」。
付随して、
・ほむらはなぜ叛逆したのか。
・まどかが劣化してね?
あたりの問題。
冷静に考えると、いろいろおかしい。
「ずっとひとりで頑張ってたんだね。もうずっと一緒だよ、ホムラチャン」
ほむら、なんでこのセリフに素直に従わなかったのか?
円環世界で人間形態をとってまどかとお話しできることも、現世に干渉できることも、さやかとなぎさが実証しています。
インキュベーターが悪さしてくる?本来ならどうとでもなります。
というのが、キュゥべえの打った手も、繰り出した兵力も、まどか陣営には先刻承知でした。
キュゥべえとしては、干渉フィールドがあることと自分たちが極めて多数であることがまどかが知りえない切り札だったはずです。
この二つがあっさり見抜かれてるし対策も取られている。
ポイントが、さやかとなぎさ。
さやかが杏子に、なぎさがマミに、1:1のマークでついています。
また、劇中のセリフを振り返ると、この二人はマーク相手より先行してほむら結界内に入ってた様子。
ほむらのトイメンにはまどかがつきますから、現世の魔法少女に対してはかなり重厚な布陣です。
また、さやかとなぎさによって反撃が開始された時点で過去の魔女が総動員されています。
どうも、ここまでが円環側の手筈通りだった模様。そのつもりで準備がされていたわけです。
一方のほむらですが、彼女はとても強力な魔女でした。
使い魔の数も種類も質も段違いです。ワルプルギスの夜ですら比較にならない、つまりは「従来の魔女からは想像もできない規模の魔女」です。
詳細は後述します。
つまり、ほむらがキュゥべえに捕獲された問題は、円環側にしてみたら一見大したことないけど、実はとても危険なトラブルでした。
インキュベーターに魔法少女が捕まった、という問題として認識すると、とんでもないしっぺ返しを受けます。
しかし、まどかたちは問題の規模を正確に感知して、即座に十分な兵力を投入しました。
このため、ほむらの魔女化問題は短時間に鎮圧されています。
まどかは元々そういう戦略・戦術・戦闘・外交のセンスがずば抜けていました。
詳細は以前のブログで何度か書いています。
よーは、まどかは喧嘩が強い。個人でも組織使っても体力勝負でも騙し合いでも。
上で見てきたように、布陣を見る限り、まどかのしたたかさは『叛逆』でも健在です。
また、今回もまどかの追撃がほむらを的確に捕捉しています。
忍ばせる草(スパイ)もなぎさとさやかという腕利き。記憶のバックアップも二人にかけるという念の入りよう。
といっても、なぎさはキュゥべえに敵意をむき出しにしてしまう、ちょっと危なっかしい草でしたが。。。
ほむらが懸念している「まどかをインキュベーターに触れさせない」は、実は杞憂です。
論外レベルで実力差がありすぎるから。いくらキュゥべえが吠えても、歯牙にもかけられないのです。
こうして見てくると、(恐らくは)まどかが描いた画は今回も優秀に機能しています。
なのに、なぜ、ほむらはインキュベーターのウワゴトを真に受けて救済を拒むのか?
ほむらヤンデレ?サイコレズ?いや勿論そうかもなんですが、
これは、3つ理由があります。
ひとつが、ほむらとふたつのまどかのそれぞれの認識の差。
ほむらは神になったことがないし、神からのフィードバックを受けたこともない人です。
だから、神が「皆の届かない遠い場所」にいて「ひとりぼっち」だと思い込んでいます。
これは彼女が人間である以上、正しい。
いやなんで敵であるキュゥべえの言うことを真に受けるんだ、って話でもありますが。
でも、これをまどか自身は否定しています。
いつでもどこにでもいて、みんなに会えるのが神。
実際、叛逆の物語でのまどかと他者の関係、改変後のほむらの居場所を見ると、一人ぼっちでもなければみんなから遠いわけでもありません。
死んだ人間は消えるわけではなく、普通に人間の時の姿でまどかと対話ができる。
ほむらの世界にいるまどかはまどかで、神の世界の記憶がありません。
だから、ほむらの言うことを鵜呑みにするしかない。
また、魔法少女たちの死に立ち会ったわけでもありません。
叛逆でほむらが話したまどかと、それまでのシリーズのまどかは、そもそも判断のもとになる情報が違いすぎるのです。
また、ほむらは神の構成についても誤解をしているようです。
ほむらにとって、人間としてのまどかは、「まどかがまどかでなくなる前の記録」、です。
つまり、神になったまどかはもうまどかではない。
でも、まどかのいわく、「アタシが裂けちゃう!!」です。人間部分は神の一部。持ってっちゃいけないもの。
ここも、人間と神との絶望的な認識の差が出ています。ほむらさんは神の能力に夢を見すぎ。
ここで、もう一つの理由が絡んできます。ほむらが判断の時間を与えられていないことです。
真相を知ってからすぐに魔女化し、乱戦になった挙句にまどかが来てしまっています。
満足に考える時間は与えられていないし、そもそも選択肢も与えられていません。
まどかではいずれインキュベータ―に敗れるかもしれない、つまりまどかは頼れないという疑いを少しでも持ってしまった場合、決着は神まどかが迎えに来る前につける必要があります。
ほんとうは神まどかとじっくり話し合って検証するのが一番だったんだけど、お互い、そういう時に話を聞きませんよね笑
三つめ、これが一番大きいのではないかと思います。仮説。
根本のところで、ほむらはまどかに対して、実力を認めることも信用もしていないのではないか?
思えば、ほむらの願いには最初から違和感がありました。
「鹿目さんを守る?はぁ?wwww」というヤツ
戦闘力、メンタルの強さ、積極性、処理能力、機転、知性、友情をはぐくむ能力。
どれをとっても、最初期のほむらがまどかに勝るものはありません。
しかし、ほむらは何の疑問も持たず言い切ります。「彼女を守る私でありたい」。
いや、それ1億年早いから。。。。
その後の周回でも、ほむらはまどかがほむらの話を常に聞いていることにも、まどかの本質が魔法少女になったくらいでは変わらないことにも、まどか自身の理解力や行動力が高いことにも気づいていません。
ないしは、認めたくないのかもしれません。
なぜか、ほむらはまどかに対して一段上でいたがる。
今回も、神の隣にあって世界に臨んで何かをできる可能性をハナから否定しています。
神になったまどかがキュゥべえに勝てるとは全く思っていない。
実際の戦力比がまどか>>>キュゥべえであるにもかかわらず。
と言って、単純な独占欲でもない。
ほむらはまどかの行動を規定するんだけど、単純に色々強制するわけでもありません。
いや十分に息苦しいけど。。。ストーカーとか束縛が強い親みたいなものなのかな。
それでも、まどかの幸せを願い、見守るのが基本。
じゃあ、このヒトなにすれば満たされるんだろう?
まどかが単純にほむらだけのものになって、満たされるのだろうか?
思いは私だけのもの、鹿目まどかのためだけのもの、と言っています。
もちろん「誰か(キュゥべえ)に利用されるぐらいなら」もあるんだけど、それだけなのか?
まどかとほむらの関係を振り返ると、まどかに対してのほむらは、ほむらだけが知っている形でオンリーワンです。
時間を飛びまくっていた頃は、ほむらだけが時間を飛び、まどかを知り、まどかを殺め、まどかを守る者でした。
リボンを付けてからは、ほむらだけがまどかを覚えていて、まどかを語りうる者でした。
一方、黒い改変の後はほむらだけが本当のまどかを知っている者で、まどかを守る者です。
円環にとりこまれると、ほむらはさやかやなぎさと対等になってしまいます。「ほむらだけ」のものがなくなる。
これは、どうなのだろう?
『叛逆』では、マミや杏子がほむらの良き理解者として描かれます。さやかもほむらのホンネを知り、受け入れる。
マミとのバトル後の喘ぎ声23秒()に至っては、呼吸までシンクロしかけてましたし。
でもコレ、望ましい状況なのかなぁ?
確かにほむらはマミと杏子を「信じる」と言い切りました。さやかに命を与えてもいる。
ラストのさやかとの会話の手の動きは助けを求める手話だ、という説もあります。
でも、ほむらが求めるのは対等の友達なのだろうか?
まどかが結ってくれた髪も、自分で振りほどいています。
これは、あくまで仮説。ちょっと思ったこと。
ほむらはまどかに対して信仰のようなものを押し付けていないか?
その信仰に基づいて、「対象に対して特別なポジションにある自分」でアイデンティティを満たしてはいないか?
つまり、「一人だけかわした特別な約束を守るもの」であり、「一人だけ託された思いを守るもの」であり、「一人だけ知っている真相を守るもの」。
まどかが輝くほど、比例してほむらも輝く。
問題は、ほむらに対して誰も救済ができないこと。
ほむらが救済されるのは、ほむらの一方的な思い込みに沿う形でまどかが動いた場合のみです。
友達に理解されるのもダメ。オンリーワンじゃなくなるから。
もう一つ、マミたちと理解し合ったことを、「まどか以外のモノに気を散らしたからまどかのことがおろそかになった」とほむらは考えそう。
これは、杏子やマミを「信じてる」といったほむらと両立しうると思う。
とはいえ、ほむらはまどかの救済と自分の決心を比較する時間が与えられていません。
じっくり比較して考えて救済を拒んだわけではないので、潜在的にこういうコト考えていてもおかしくないなー、程度の仮説です。
ともあれ、ほむらはまどかの救済をアテにせず、自力で動こうとします。
根拠は二つ。
神であることで、まどかがつらい思いをしているのではないか?と思ったこと。
※あくまで「思った」です。実際に神状態のまどかと話して確認を取ってはいません。
もう一つは、神であることで、まどかがいずれはインキュベーターに支配されることが懸念されたこと。
対策は?
どうもこのヒト、結界の中で自分が死ぬ(=まどかを閉じ込める)ことでどうにかしようと思っていたフシがある。
まどかを逃がそうとしていないし、マミと杏子に逃がしてくれ、とも言っていない。
ほむらさん、まどかの人間だった部分と心中しようとしたのではないでしょうか?
悪魔になった後の行動と合わせても、自分が結界を張ってまどかを守ろうとしたフシがあります。
魔女が死ぬと、犠牲者も結界の中に閉じ込められたまま消えます。
もうインキュベーターが手出しをできない。
キュゥべえには「この結界内が死に場所だ」と明言しているし、
ミステリオーソが流れているときも、一貫して死を求めています。
ミステリオーソのシーンはヤバいですね。
ほむらを助けようとする4人とほむらのボルテージが高まってシンクロしていくように見えて、ほむらは一貫して逆のベクトルでボルテージを高めています。
ラストの窓が開いて救済の手が差し伸べられる時も、あんな回想、過去のどの周回でも存在しませんでした。
原点回帰ではあるんだけど、まどかの救済には相対するものです。
まどかとほむら、二人は一見心が一つになって弓を引いているんだけど、あれがほむらが真逆の方向に吹っ切れた瞬間でもある。
じゃあ、ほむらは何で吹っ切れたのか?
まどか達の反撃のシーンを見ていると、面白い事実が浮かび上がります。
魔女ほむら、とんでもなく強い。
まず使い魔の物量が半端じゃないです。めがほむ兵、鳥、歯、時計。エリート兵に当たる少年少女兵。
この連中の物量が今までに出てきたどの魔女よりも比較にならないレベルで多い。ワルプルギスがかわいく見えます。
質も馬鹿になりません。単体で魔法少女と戦える使い魔すらいます。
この魔女ほむら軍、魔法少女4人だけでは押し返せていません。
過去の魔女総出でだったら勝ててるけど。
やっぱり、ほむらはまどかマギカ世界の押しも押されぬNo.2です。
また、キュゥべえが懇切丁寧に「円環は閉じ込めることができる」「閉じ込めれば支配ができる」ということを教えてしまっています。
「希望が絶望に変わるときのエネルギーが膨大だ」ということを思い出させてしまってもいる。
また、眼下に広がる激闘の光景で、ほむらは今の自分の手持ちの戦力が大きいことを認識できます。
さて、ほむらが魔女になって結界にまどかを閉じ込めるのには、何が必要でしょうか?
最優先課題は、まどかにソウルジェムを触らせないことです。
触れられた瞬間に浄化され、自分がこの世界から消滅してしまいます。
ソウルジェムを確保できたら、次はまどかを巻き込む形でソウルジェムを自分の絶望で砕くことが必須になります。
これ、事前にそのつもりで余力を残して(力を貯めて)おかないとできません。
救済される瞬間に手を動かすなんて、狙っていないとできない芸当です。
真相を知ってからの短い時間で、ほむらなりに戦力を集めて計画を立てたのではないでしょうか?
―自分の戦力をうまく集中すれば、少なくとも成算はある―
これが、キュゥべえの干渉によってほむらが得た情報のように思います。
結果的に、インキュベーターの実験はそのまま、黒ほむらのまどか支配のためのテストとして機能しています。
面白いのが、ほむらの叛逆が、かつてまどかが神成りする際にキュゥべえに仕掛けたカウンター戦術を踏襲していること。
以前にほむらが魔法少女コンビの戦術を踏襲していると書きましたが、ここでも良い弟子ぶりを発揮しているなと感じました。
その意味でも、『叛逆』はほむらがまどかを超えた話といえる。
そういうほむらだから、まどかと対等になれるように思います。
こうして見てくると、KANでのほむらへの「狂狷(いちずに理想に走り、自分の意思をまげないこと。)」との評は的確な形容なのだなと改めて感じます。友達の声も自分より強い人のアドバイスも聞いちゃいない。
でも、狂狷であることは彼女の素直さや優しさを否定するものではない。
それぞれ、別個に成立するものだと思います。いや迷惑な存在ではあるんだけど。
彼女によって迷惑するのは、力を持つごく一部の人間です。
王が神に叛逆しようが、飯を食わせてくれて生活が守られていれば民は満足です。
力があり、人を惜しみ、現世での命と幸せを重視してくれる。ほむらはそういう王です。
まどかが神であるなら、ほむらは王といったところでしょうか?
上に戴く統治者としてなら、この叛逆者は相当に優秀なように思います。
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category: まどかマギカ
thread: 魔法少女まどか☆マギカ
janre: アニメ・コミック
まどかマギカ叛逆の物語感想その6(バレ注意) 再び、「日常」の中のほむら。
2013/10/29 Tue. 13:40 [edit]
前回から見ないまま1日たっちゃいました。
日参?義務でするものでもないかなと。色紙がほしいわけでもなし。
色紙は5枚あって、構成はまどか3マミ1杏さや1
最初の江別の最速で出たのがコレ。とても納得。
2回目の札幌ユナイテッドで杏さや、3回目4回目のシネマフロンティアでまど神様再び。
ああうん、まど神様を信奉する人間としては、神のご加護は嬉しいけど。
計算が合わないのは、友達がマミさんをくれたから。
枚数が増えてもアレなので、今週もういいかなとも思います。
1枚1枚を真剣に大切にできるかが微妙だし、ほっといても叛逆はまた見たくなる。
今回はほむらの話です。ここに書いたヤツをまとめます。
日参?義務でするものでもないかなと。色紙がほしいわけでもなし。
色紙は5枚あって、構成はまどか3マミ1杏さや1
最初の江別の最速で出たのがコレ。とても納得。
2回目の札幌ユナイテッドで杏さや、3回目4回目のシネマフロンティアでまど神様再び。
ああうん、まど神様を信奉する人間としては、神のご加護は嬉しいけど。
計算が合わないのは、友達がマミさんをくれたから。
枚数が増えてもアレなので、今週もういいかなとも思います。
1枚1枚を真剣に大切にできるかが微妙だし、ほっといても叛逆はまた見たくなる。
今回はほむらの話です。ここに書いたヤツをまとめます。
-- 続きを読む --
今回は改変後、ほむらちゃんが変えた後の世界のお話がメインです。
マミ、杏子、さやかの3人との別れがずっと気になっていました。
アレなんなんだろうな、って。
結論は「この世のものではない」「概念みたいなもの」としてのほむらを表現していると思います。
キーワードは、「モノを食べる」かな?思い出したのが、死者と生者は食べ物が違う、ということ。
ほむらが邪笑してて思わせぶりなことしてるけど、
マミに対しては、使っていたティーカップを割っています。マミの方を見ずに。
これ、お葬式とか門出の時にやりますね。
もう違う世界に行くから、前の世界の食器ではものを食べない。
杏子の投げてよこしたものも、受け取らずスルーする。
無視、ではないです。かぶりを振っているから、投げられたことは感知しているのだと思う。
でも、ほむらが生者の世界の者でないとすれば、もう杏子の差し出すものは食べられない。
たとえ、どんなに食べたいと思っていたとしても。
さやかのときはトマト(らしいです)をぶつけられています。
この果物や野菜をぶつけるシーンは2回ある。トマトかどうかもよくわかってなくて、1回目はまた別だったはず。
この「トマトを投げる」も意味があるようです。
トマト投げ祭りで検索すると出てくる。こんなに赤くなっても死なないぞ、ということらしい。
もうひとつ思い出したのは、冥府絡みの神話で出てくる「亡者が追いかけてきたとき、果物を投げてかわした」というヤツ。この世とあの世の境界の黄泉平坂で、イザナギがイザナミの追手に対してやってたやつです。
ただし、時系列はさやかが人間に戻る方が先だったはず。
わき道にそれるけど、この問答で面白かったポイントがもう一つ。
さやかの問い「なんであんなことをしたの?」に対して、「悪魔だから」とほむらは答える。
でもコレ、おかしい。悪魔になったのはあんなことをした結果のはずです。さやかが聞いているのは理由。
なんでほむらが誤魔化すか?叛逆の前半を見ているとこれもわかる気がする。
ほむらの深層心理を知ったとき、知らない顔でずっと最後まで付き添ってくれるイイヤツだったのがさやかでした。
でも、ほむらは彼女が恭介たちにどんな思いを持っていたのかを人一倍知っている。
そこを踏まえると、「あの子にも嫌われちゃうわよ?」というセリフ、ぐっときます。
真相を話したら、さやかは恐らく、恭介への感情を我慢して助けに来ます。
それを、ほむらはわかっている気がするのです。だから煽ったのではないか?
さやかが人間に戻ったのは、もちろん商業的に望ましい状況のためなのですが、
「人間として生きられることを喜んだら?」に、ほむらのホンネがあるように思います。
なお、ほむらはさやかを魔女から解き放つときに一回柏手(かしわで)を打っています。
柏手(拍手)は神前でもやるように、魔除けの意味があります。霊を追い払うのが、拍手の音です。
あれでさやかを幽世から解き放ったともとれる。
もう一つのポイントは、ここでもほむらの顔の左半分が血にまみれているような姿になること。
ほむらの顔がこうなったのは、今回が3回目です。
1回目が、まどかが神になる直前にワルプルギスの夜と戦ったとき。
2回目が、今回の叛逆の物語でマミと戦ったとき。
いずれもまどか絡みで、顔が血に染まったあとには必ずまどかが来てほむらの運命が大きく動いています。
1回目の血はまどかがぬぐい、2回目はほむら自身がぬぐっています。
2回目の後、ほむらの髪をまどかが結おうとするんだけど、ほむら自身が拒みました。
コレ、円環のらせんにとどめようとする比喩と見ると面白いです。(友人に指摘されました)
まどかとの甘い記憶の象徴が三つ編み。決意の象徴がサラサラロングヘア。
で、まどかは拘束をかけるように赤い留め具で縛ろうとするんだけど、ほむらがこれを手を使わず外す(魔女力?神力?)。
なお、悪魔ほむらの後ろ姿は左右非対称です。
髪の毛は、まどかが結った部分だけがなぜか見えなくなっている(作画の問題かもですが)。
話がそれました。
血にまみれるほむら、と、髪が象徴するもの、髪を束ねるもの、の3つがポイントです。
3回目は、もうほむらは顔の赤をぬぐわない。
赤は或いは、ほむらの業の象徴なのかもしれません。
さやか(たち)との別離で、もう一つのポイントは「水」。
『始まりの物語』『永遠の物語』を通じて、水は摂理の象徴として描かれます。
魔法少女の悲劇に比例して水が濁り、まどかが神になることで正常な流れに戻る。
では、悪魔ほむらの世界では?
水が混じっていません。
ほむらから流れ出る紫の水は世界を染めるんだけど、さやかが人間に戻った瞬間にその水は感知できなくなる。
ほむらも、彼女がいる世界も、『永遠の物語』でまどかについて説明された「いつでもどこにでもいるけど、誰も感知できない」まどかの存在にとても近いものです。
杏子とマミがほむらを感知したのは魔法少女だからなのか?それとも、親しい者たちだったからなのか?
さて、血にまみれたほむらちゃんに戻ります。
次のシーンで、再びまどかと出会います。
どうやら、神と邂逅する前フリで血が登場してますね。やっぱり神を呼ぶ儀式には血が必要なのかもしれません。
何度も繰り返された転校生シーン、今までと違うのは主客関係の他、ほむらがどうやら学校ではかなり嫌われ者であるらしいこと。
※旧作10話第一周回(永遠の物語30分ごろ)での独白にあるように、居場所がなくなることはほむらにとってはとてもつらいことのはずです。
そして、まどかとの問答。この後のほむらのセリフと笑顔にどうにも惹かれて2回目以降を見たわけですが。。
私は肯定的に解釈した。
あとでこの「まどかにも否定された」解釈を見てちょっと納得した。
じゃあ、改めてどうだったんだろう?
「あなたはこの世界を尊いと思う?欲望よりも秩序を重んじている?」
普通の人間の場合、まず間違いなくまどかがしたみたいな答えになるはずです。
でもコレ、ほむらの目の前にいた相手が誰だったのかを考えると、意味がまるで変わります。
ほむらは目の前の相手に、「対等」を見たのではないでしょうか?
摂理を超えた存在であるほむらと対等になれるものはこの世でただ一人、神としてのまどかだけです。
まどかは神になるとき、「ルールをぶち壊してでも魔法少女たちの希望を守りたい」と願いました。欲望優先です。
一方、ほむらを迎えに来た時のまどかは新たなルールを作り終わった後の神だから、秩序そのものです。
そのまどかに、欲望のまま突っ走ったほむらがどう映ったのか?
「私は正しかったの?」という問いを、ぶつけるべき相手と感じたから、ぶつけてしまったのではないか?
まどかが神のままであることは、ほむらにとっては絶望をも意味します。
ほむらはまどかの人間だった記録だけを欲した。でも、目の前にいるのはさやかの言った通りの円環ではなくなってしまったまどかです。
私はなんてことをしてしまったのだろう、という絶望もある。
これに対し、まどかは優等生的な答えをします。普通はそうでしょうね。
「ああよかったコイツ普段は人間なのね。暴走させないようにしないとね」ということで、ほむらはリボンで封印をかける。
そう、まどかがほむらにしたように、髪がほどけて発現した力を、押しとどめているのです。
なお、リボンはほむらにとって、「まどかの愛し���世界を守るもの」として託された秩序の象徴の意味を持っていたようです。
これがまどかがほむらに託した意味と同じなのか?不明です。ほむらの考えすぎじゃね?と私は思います。
でも、大事な人の形見が特別な意味を持つのは、誰にでもあることではないでしょうか?
問答の中身を考えると、秩序役のまどか、欲望担当のほむら、との分担とも考えられる。
逆に、まどかの欲望を封印するためのリボンを秩序をつかさどるほむらが渡した、でもいい。
いろいろ意味がとれますが、もっと単純に、会いたかったものと真に再会できたから、形見を返す。
ほむらの表情を見れば、リボンをつけたまどかを見たあの瞬間が、彼女が最初に願った「鹿目さんとの出会いを本当にやり直せた」瞬間でもあったのではないでしょうか?
あの笑み、そういう安らぎは感じました。
これはCパートにも絡んできます。
EDの後、近づいてくるものの気配に対し、ほむらは明らかに期待をしていました。
あの表情と直前の学校での行動を考えれると、待っていた相手はまどかだと思われます。
もしかしたら、まどかなら自分に気づいてくれるかもしれない。
でも、やってきたのはキュゥべえです。
あの高台の『叛逆』劇中での使われ方と、直後のほむらの行動を見ると、あの高台は秩序を守る魔法少女たちの居場所です。今はその役割はほむらとキュゥべえが行っている。
キュゥべえがなんでボロボロかは明示されません。
「期待させやがって!(ゴスゴスゴスゴスゴス)紛らわしい!
は?何の期待だぁ?うっせボケ!(ボコボコボコボコ)」とかいう心の声が聞こえますが、気のせいでしょう。
ポイントは、キュゥべえの目が濁っており、いつもの特徴的な目ではないこと。
ほむらがインキュベーターを超えたことが、ここで示されます。
落ちていった先のほむらはどうなったのでしょうか?
死んだのか?
先のまどかとの問答を踏まえると、私は、旧作のラストに近い状況なんじゃないかなと思います。
町に降り立って、魔獣と戦う。翼をいっぱいに広げて。皆のいつもの日常を守るために。
というのが、Cパートって状況だけ切り出すとあの時に似ているのです。
町を見下ろす場所で、街を守るものとその僕の獣がコミュニケーションをする。
そのあとで、守るものが街へと降りる。
どういう立場での「守るもの」か?もおもしろい。
ほむらの結界内では上下が反転していました。
いま悪魔ほむらが規定する世界は、半分が不自然に欠けています。
また、左右対称の神まどかと違い、ほむらは非対称です。
ほむらはほとんど秩序をもたらしたけど、まどかは神の力を残したままでした。つまり不完全です。
呼応するかのように、ほむらの髪(決意の象徴です)にも欠損がある。
※翼と髪がかぶるから、設定画の問題かもしれないけど。
同じ丘で魔法少女がもたらしたのは夜明けでした。
ほむらが堕ちていくのは夜の底です。あのラストからは、上から見守る神、というのはイメージしづらい。
夜の街、地の底のどこかに悪魔が潜んでいる。そんなイメージの方がしっくりきます。
そこで、ほむらは何をしているのか?
私は、この情景がしっくりくるように感じます。
やっぱり
(Don't forget.) Always, somewhere, someone is fighting for you.
As long as you remember her, you're not alone.
なのかなと思います。
「忘れないで」のDon't forgetはカッコつき。
aloneなのがほむらのsheではなくまどか(たち)のyouなのがポイントなのかなと。
※なお、このとき降り立ったほむらの白い翼がすでに魔女化の兆候アリにする案が劇場版ではあったのだとか。
原画で見られるらしいので、原画展で確認すると良いかも。
そう考えると、キュゥべえがなぜボロボロなのかも見えてきます。
本編でほむらが何をしていたか?グリーフシードでソウルジェムを浄化していました。
黒ほむらの改変後の世界でのキュゥべえの役割は?呪いの浄化です。そのためにほむらはキュゥべえを拘束する。
丘の上のキュゥべえ、(本人の意思とは別に)呪いの浄化のためにやってきたのではないでしょうか。
毎回痛みを味わって虫の息になっているようですが。。。。(わけがわからないよ!)
ということで、
黒ほむらの改変後でも実はほとんど同じ結末なんじゃないの?という見解を提示しておきます。
しかし、ほむらを見ているとつくづく、
人間は見た目のイメージが大事だよね
と実感します。内面なんて、よほどのことじゃないと他人はまず見てくれない。
おあとがよろしいようで。
※今回の記事にはここでのお話がとても参考になりました。
この場を借りて御礼申し上げます。
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今回は改変後、ほむらちゃんが変えた後の世界のお話がメインです。
マミ、杏子、さやかの3人との別れがずっと気になっていました。
アレなんなんだろうな、って。
結論は「この世のものではない」「概念みたいなもの」としてのほむらを表現していると思います。
キーワードは、「モノを食べる」かな?思い出したのが、死者と生者は食べ物が違う、ということ。
ほむらが邪笑してて思わせぶりなことしてるけど、
マミに対しては、使っていたティーカップを割っています。マミの方を見ずに。
これ、お葬式とか門出の時にやりますね。
もう違う世界に行くから、前の世界の食器ではものを食べない。
杏子の投げてよこしたものも、受け取らずスルーする。
無視、ではないです。かぶりを振っているから、投げられたことは感知しているのだと思う。
でも、ほむらが生者の世界の者でないとすれば、もう杏子の差し出すものは食べられない。
たとえ、どんなに食べたいと思っていたとしても。
さやかのときはトマト(らしいです)をぶつけられています。
この果物や野菜をぶつけるシーンは2回ある。トマトかどうかもよくわかってなくて、1回目はまた別だったはず。
この「トマトを投げる」も意味があるようです。
トマト投げ祭りで検索すると出てくる。こんなに赤くなっても死なないぞ、ということらしい。
もうひとつ思い出したのは、冥府絡みの神話で出てくる「亡者が追いかけてきたとき、果物を投げてかわした」というヤツ。この世とあの世の境界の黄泉平坂で、イザナギがイザナミの追手に対してやってたやつです。
ただし、時系列はさやかが人間に戻る方が先だったはず。
わき道にそれるけど、この問答で面白かったポイントがもう一つ。
さやかの問い「なんであんなことをしたの?」に対して、「悪魔だから」とほむらは答える。
でもコレ、おかしい。悪魔になったのはあんなことをした結果のはずです。さやかが聞いているのは理由。
なんでほむらが誤魔化すか?叛逆の前半を見ているとこれもわかる気がする。
ほむらの深層心理を知ったとき、知らない顔でずっと最後まで付き添ってくれるイイヤツだったのがさやかでした。
でも、ほむらは彼女が恭介たちにどんな思いを持っていたのかを人一倍知っている。
そこを踏まえると、「あの子にも嫌われちゃうわよ?」というセリフ、ぐっときます。
真相を話したら、さやかは恐らく、恭介への感情を我慢して助けに来ます。
それを、ほむらはわかっている気がするのです。だから煽ったのではないか?
さやかが人間に戻ったのは、もちろん商業的に望ましい状況のためなのですが、
「人間として生きられることを喜んだら?」に、ほむらのホンネがあるように思います。
なお、ほむらはさやかを魔女から解き放つときに一回柏手(かしわで)を打っています。
柏手(拍手)は神前でもやるように、魔除けの意味があります。霊を追い払うのが、拍手の音です。
あれでさやかを幽世から解き放ったともとれる。
もう一つのポイントは、ここでもほむらの顔の左半分が血にまみれているような姿になること。
ほむらの顔がこうなったのは、今回が3回目です。
1回目が、まどかが神になる直前にワルプルギスの夜と戦ったとき。
2回目が、今回の叛逆の物語でマミと戦ったとき。
いずれもまどか絡みで、顔が血に染まったあとには必ずまどかが来てほむらの運命が大きく動いています。
1回目の血はまどかがぬぐい、2回目はほむら自身がぬぐっています。
2回目の後、ほむらの髪をまどかが結おうとするんだけど、ほむら自身が拒みました。
コレ、円環のらせんにとどめようとする比喩と見ると面白いです。(友人に指摘されました)
まどかとの甘い記憶の象徴が三つ編み。決意の象徴がサラサラロングヘア。
で、まどかは拘束をかけるように赤い留め具で縛ろうとするんだけど、ほむらがこれを手を使わず外す(魔女力?神力?)。
なお、悪魔ほむらの後ろ姿は左右非対称です。
髪の毛は、まどかが結った部分だけがなぜか見えなくなっている(作画の問題かもですが)。
話がそれました。
血にまみれるほむら、と、髪が象徴するもの、髪を束ねるもの、の3つがポイントです。
3回目は、もうほむらは顔の赤をぬぐわない。
赤は或いは、ほむらの業の象徴なのかもしれません。
さやか(たち)との別離で、もう一つのポイントは「水」。
『始まりの物語』『永遠の物語』を通じて、水は摂理の象徴として描かれます。
魔法少女の悲劇に比例して水が濁り、まどかが神になることで正常な流れに戻る。
では、悪魔ほむらの世界では?
水が混じっていません。
ほむらから流れ出る紫の水は世界を染めるんだけど、さやかが人間に戻った瞬間にその水は感知できなくなる。
ほむらも、彼女がいる世界も、『永遠の物語』でまどかについて説明された「いつでもどこにでもいるけど、誰も感知できない」まどかの存在にとても近いものです。
杏子とマミがほむらを感知したのは魔法少女だからなのか?それとも、親しい者たちだったからなのか?
さて、血にまみれたほむらちゃんに戻ります。
次のシーンで、再びまどかと出会います。
どうやら、神と邂逅する前フリで血が登場してますね。やっぱり神を呼ぶ儀式には血が必要なのかもしれません。
何度も繰り返された転校生シーン、今までと違うのは主客関係の他、ほむらがどうやら学校ではかなり嫌われ者であるらしいこと。
※旧作10話第一周回(永遠の物語30分ごろ)での独白にあるように、居場所がなくなることはほむらにとってはとてもつらいことのはずです。
そして、まどかとの問答。この後のほむらのセリフと笑顔にどうにも惹かれて2回目以降を見たわけですが。。
私は肯定的に解釈した。
あとでこの「まどかにも否定された」解釈を見てちょっと納得した。
じゃあ、改めてどうだったんだろう?
「あなたはこの世界を尊いと思う?欲望よりも秩序を重んじている?」
普通の人間の場合、まず間違いなくまどかがしたみたいな答えになるはずです。
でもコレ、ほむらの目の前にいた相手が誰だったのかを考えると、意味がまるで変わります。
ほむらは目の前の相手に、「対等」を見たのではないでしょうか?
摂理を超えた存在であるほむらと対等になれるものはこの世でただ一人、神としてのまどかだけです。
まどかは神になるとき、「ルールをぶち壊してでも魔法少女たちの希望を守りたい」と願いました。欲望優先です。
一方、ほむらを迎えに来た時のまどかは新たなルールを作り終わった後の神だから、秩序そのものです。
そのまどかに、欲望のまま突っ走ったほむらがどう映ったのか?
「私は正しかったの?」という問いを、ぶつけるべき相手と感じたから、ぶつけてしまったのではないか?
まどかが神のままであることは、ほむらにとっては絶望をも意味します。
ほむらはまどかの人間だった記録だけを欲した。でも、目の前にいるのはさやかの言った通りの円環ではなくなってしまったまどかです。
私はなんてことをしてしまったのだろう、という絶望もある。
これに対し、まどかは優等生的な答えをします。普通はそうでしょうね。
「ああよかったコイツ普段は人間なのね。暴走させないようにしないとね」ということで、ほむらはリボンで封印をかける。
そう、まどかがほむらにしたように、髪がほどけて発現した力を、押しとどめているのです。
なお、リボンはほむらにとって、「まどかの愛し���世界を守るもの」として託された秩序の象徴の意味を持っていたようです。
これがまどかがほむらに託した意味と同じなのか?不明です。ほむらの考えすぎじゃね?と私は思います。
でも、大事な人の形見が特別な意味を持つのは、誰にでもあることではないでしょうか?
問答の中身を考えると、秩序役のまどか、欲望担当のほむら、との分担とも考えられる。
逆に、まどかの欲望を封印するためのリボンを秩序をつかさどるほむらが渡した、でもいい。
いろいろ意味がとれますが、もっと単純に、会いたかったものと真に再会できたから、形見を返す。
ほむらの表情を見れば、リボンをつけたまどかを見たあの瞬間が、彼女が最初に願った「鹿目さんとの出会いを本当にやり直せた」瞬間でもあったのではないでしょうか?
あの笑み、そういう安らぎは感じました。
これはCパートにも絡んできます。
EDの後、近づいてくるものの気配に対し、ほむらは明らかに期待をしていました。
あの表情と直前の学校での行動を考えれると、待っていた相手はまどかだと思われます。
もしかしたら、まどかなら自分に気づいてくれるかもしれない。
でも、やってきたのはキュゥべえです。
あの高台の『叛逆』劇中での使われ方と、直後のほむらの行動を見ると、あの高台は秩序を守る魔法少女たちの居場所です。今はその役割はほむらとキュゥべえが行っている。
キュゥべえがなんでボロボロかは明示されません。
「期待させやがって!(ゴスゴスゴスゴスゴス)紛らわしい!
は?何の期待だぁ?うっせボケ!(ボコボコボコボコ)」とかいう心の声が聞こえますが、気のせいでしょう。
ポイントは、キュゥべえの目が濁っており、いつもの特徴的な目ではないこと。
ほむらがインキュベーターを超えたことが、ここで示されます。
落ちていった先のほむらはどうなったのでしょうか?
死んだのか?
先のまどかとの問答を踏まえると、私は、旧作のラストに近い状況なんじゃないかなと思います。
町に降り立って、魔獣と戦う。翼をいっぱいに広げて。皆のいつもの日常を守るために。
というのが、Cパートって状況だけ切り出すとあの時に似ているのです。
町を見下ろす場所で、街を守るものとその僕の獣がコミュニケーションをする。
そのあとで、守るものが街へと降りる。
どういう立場での「守るもの」か?もおもしろい。
ほむらの結界内では上下が反転していました。
いま悪魔ほむらが規定する世界は、半分が不自然に欠けています。
また、左右対称の神まどかと違い、ほむらは非対称です。
ほむらはほとんど秩序をもたらしたけど、まどかは神の力を残したままでした。つまり不完全です。
呼応するかのように、ほむらの髪(決意の象徴です)にも欠損がある。
※翼と髪がかぶるから、設定画の問題かもしれないけど。
同じ丘で魔法少女がもたらしたのは夜明けでした。
ほむらが堕ちていくのは夜の底です。あのラストからは、上から見守る神、というのはイメージしづらい。
夜の街、地の底のどこかに悪魔が潜んでいる。そんなイメージの方がしっくりきます。
そこで、ほむらは何をしているのか?
私は、この情景がしっくりくるように感じます。
やっぱり
(Don't forget.) Always, somewhere, someone is fighting for you.
As long as you remember her, you're not alone.
なのかなと思います。
「忘れないで」のDon't forgetはカッコつき。
aloneなのがほむらのsheではなくまどか(たち)のyouなのがポイントなのかなと。
※なお、このとき降り立ったほむらの白い翼がすでに魔女化の兆候アリにする案が劇場版ではあったのだとか。
原画で見られるらしいので、原画展で確認すると良いかも。
そう考えると、キュゥべえがなぜボロボロなのかも見えてきます。
本編でほむらが何をしていたか?グリーフシードでソウルジェムを浄化していました。
黒ほむらの改変後の世界でのキュゥべえの役割は?呪いの浄化です。そのためにほむらはキュゥべえを拘束する。
丘の上のキュゥべえ、(本人の意思とは別に)呪いの浄化のためにやってきたのではないでしょうか。
毎回痛みを味わって虫の息になっているようですが。。。。(わけがわからないよ!)
ということで、
黒ほむらの改変後でも実はほとんど同じ結末なんじゃないの?という見解を提示しておきます。
しかし、ほむらを見ているとつくづく、
人間は見た目のイメージが大事だよね
と実感します。内面なんて、よほどのことじゃないと他人はまず見てくれない。
おあとがよろしいようで。
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category: まどかマギカ
thread: 魔法少女まどか☆マギカ
janre: アニメ・コミック
まどかマギカ叛逆の物語感想その5 (バレ注意) ほむらの払った犠牲と、希望。
2013/10/27 Sun. 22:28 [edit]
叛逆の物語、やはり見れば見るほどに味が増します。
さて、もし万が一まどマギを全く知らない人に叛逆の物語の魅力を聞かれたら、どうこたえるか?
「明智光秀の心の中に迷い込んだ人が、光秀の心象風景を見るという形で本能寺の変までのタイムラインを追いかけたような話だよ。戦国時代の本とか織田信長関係の資料を見返したくなるでしょ?」とでも言えばいいのかな、と思っています。
予想通り、やはり重ねてみることで味わいが増します。
間がちょっと空く人は、昔のBGMを見たり、劇場版制作発表があった後の資料を見返したり、予告映像を見たり、昔の話を見返すと面白いかも。あとコネクト聞き直すのおすすめ超おすすめ。ルミナスの映像も見返すとまた面白いんじゃないかな。
ということで、3回目と4回目、札幌シネマフロンティアで連戦してきました。
リピーターかどうかは、鼻をすするかどうかですぐわかる(笑)。
さて、もし万が一まどマギを全く知らない人に叛逆の物語の魅力を聞かれたら、どうこたえるか?
「明智光秀の心の中に迷い込んだ人が、光秀の心象風景を見るという形で本能寺の変までのタイムラインを追いかけたような話だよ。戦国時代の本とか織田信長関係の資料を見返したくなるでしょ?」とでも言えばいいのかな、と思っています。
予想通り、やはり重ねてみることで味わいが増します。
間がちょっと空く人は、昔のBGMを見たり、劇場版制作発表があった後の資料を見返したり、予告映像を見たり、昔の話を見返すと面白いかも。あとコネクト聞き直すのおすすめ超おすすめ。ルミナスの映像も見返すとまた面白いんじゃないかな。
ということで、3回目と4回目、札幌シネマフロンティアで連戦してきました。
リピーターかどうかは、鼻をすするかどうかですぐわかる(笑)。
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えっと、まず
中沢SUGEEEEEEEEE
ほむらが結界の中に連れてきた人の中で、唯一彼だけがモブキャラです。存在の必然がない。
他はまどかの家族であり、早乙女先生であり、恭介と仁美です。
ほむらの世界は「まどかとの出会い(とその後の一か月)をやり直したい」っぽいので、他の人たちは役割があるのですが
中沢君!なんで?モブなのにネームドだから?
結界が解けて解放されるときも、ちゃんと中沢君の姿が見えます(恭介たちが映ったとき、こちらに背を向けて隣のソファに横たわっています。)
新世界でほむらを救済するカギは中沢君だ!!!!
と、絶対あるわけがないことを言っておきます。
さて、救済。
叛逆なんで好きかなーって考えると、自分が考えうるダークストーリーやヒーロー像をほぼ全部踏襲してくれているから。
ほむらの救済がどこにあるのか?
彼女は文字通り、「鹿目さんとの出会いをやり直し」「彼女を守る私」であろうとしています。
これ、敵役である必然も、まどかのそばにいる必然もある。
ほむらのことをまどかが知れば、必ず彼女は自分の力を使って、自分を犠牲にしてでもほむらを助けようとするから。
でも、ほむらが望むのはまどかが幸せである世界。
ほむらとまどかはお互いがお互いであるゆえに相手を救おうとするし、救おうとするからこそ対立が不可避になる。
ゴール、あるんでしょうかね?という問いを立てておきます。
さて、その状況はほむら自身がどう認識しているのか?なんで、そう考えるようになったのか。
これは劇中に答えがあります。
病んだ眼をしていてクマができているから別人のように見えるけど、ほむらの本質は変わっていません。
これは、まどかに対して見せた笑顔や、他の魔法少女たちとのやりとりでわかります。
マミには、さりげなく置き土産を渡して別れを告げました。
杏子が投げてよこしたリンゴは、かぶりを振って受け取っていません。
ほむらの表情が映っていないのはポイントだと思います。
人の気持ちを踏みにじったことを悔やむほむらだから、合わせる顔、なかったんじゃないかなぁ。
なお、「使っていた食器を割る」とか「同じ食べ物を食べない」って、死者を送る風習で確かありましたよね。
死者はこの世界のモノじゃないから、生きている人の世界のものを食べられない。
さやかとの別れは切ない。ホンネは絶対に言えない。でも、ウソもついていない。
なんでこんなことをしたの?「魔だから摂理に叛逆した」
世界を滅ぼすの?「魔獣を倒し終わったら、考えてもいいよ」
ヤバいです。敵はあくまで魔獣(と恐らくインキュベーター)。
魔法少女と敵対するかは明言していない。
さやかは、ほむらが敵になるって言ってるように受け取ると思う。
でも、明言しなかったほむらの真意は別にあるのではないでしょうか。
(神である)まどかには敵対するかもしれない。まどかが神になることは、まどかの幸せを意味しないから。
さやかがどういうヤツかわかっているからこそ、ほむらは、あえて悪のようにふるまう。
今のほむらは、TV版の頃よりも一人ぼっちで、眠れない夜を送ったりもしているのかもしれません。
それでも、
「もう私は、ためらったりしない」
まどかと一緒に矢を射たときのセリフです。暗転した時にほむらの声だけが流れたのは、そういうことだと思う。
心も体もまどかの隣にいたけど、一番幸せなはずのその状況で、ほむらの決意は揺らいでいない。
なぜか?
まどかとの別れに際して笑顔を見せたとき、ほむら自身が言っています。
「幸せだったから」
過去形です。
キュゥべえのお節介は、確かにほむらに有益なものを遺したのだと思います。
ほむらは、満たされた自分を自覚したのだと思う。
前も書いたけど、改めて見ると、ほむらの夢の世界はよくできています。
さやか、杏子、マミの全員が、ほむらの良き理解者として周りにいる。
さやかはほむらが魔女と知っているけど、だからこそ魔女ほむらの願い(皆と争わず、助け合いたい)も理解し、共感もしています。切りかかるときのまなざしも、とても優しい。
マミはマミで、あのガンカタ!
あれ、改めてすごいんです。当事者同士が「読み合い」といっていました。
でも、ほむらの世界の中のほむらは、マミの前では銃なんか使ってないですよね?
マミにとっては初見のはずなんです。
だから、あそこまで本気を出したマミのことも、ほむらは知らないのではないでしょうか。
っていうか、ほむらの世界でのほむらは、視聴者が今まで見たほむらの中で一番強かったほむらだと思います。
でも、それをことごとく読んで、マミの弾はほむらの弾に寄り添っています。
おまえらどんだけ理解し合えているんだよ!と。
杏子は杏子で、おとなしかったはずのメガネほむらの中にある全く違うほむらを感じ取り、いたずらっぽい目で受け入れています。
また、ほむらが魔女化の確認をする直前の電話で、「誰が魔女なのか?」の真相を理解したフシがあります。
でも、案じて助けに行こうとする。
まどか以外の3人も全員、ほむらのことをかなり深いレベルで受け入れていると改めて感じました。
だから、あの世界はほむらにとって居心地がいい。
でも、それはほむらが魔法でズルをしたからか?というと、違うと思います。
魔女疑惑がらみでほむらのこの3人への距離感がおかしくなっても、3人ともほむらを仲間として大事にしているから。
記憶は改ざんできても、感情までは改ざんできないはずですし。
また、そういう仲間だと思っているからこそ、ほむらはマミと杏子を結界内に呼び入れたのだと思います。
では、あの居心地の良い世界でほむらは何をしたかったのか?
これも、劇中にヒントがあります。皆の無念に決着をつけるで良いと思う。
前の感想でも書きました。
見返すとはっきりしました。
本編で、ほむらは同じ一か月を繰り返しています。
夢の世界でも、一か月たった次の朝にほむらが世界に疑問を抱き始め、そこから世界が緩やかに壊れていきます。
(夢を夢と認識するとき、なんどか世界の上下が反転しています)
この朝です。
その前の最後の晩に何をしたか?といえば、
・マミとまどかをコンビで存分に活躍させる
・シャルロッテの意味を置き換える
・仁美に対してさやかと杏子に一矢報いさせる
です。
よーはテレビシリーズの時に視聴者が感じたであろう「届かなかったあと一歩」が全部届いている。
これで、ほむらの「居心地の良い世界」への未練もなくなったのではないでしょうか。
朝のシーンでのほむらの目の動きと表情の変化、注目すると面白いです。
なお、この朝と対比される光景が、物語の最後(ED前)でもう一度出てきます。
似たような景色に、似たような色の光。
でも、ほむらを取り巻く状況は真逆になっています。
マミと杏子はほむらを感知できない。
さやかは、ほむらを敵(に近いもの)とだけ記憶する。
なにより、肝心のまどかに、ほむらの言葉はもう届いていません。
(理解しようとする目ではなく、ナニイッテンダコイツという目で見られています。)
こうして見てくると、ほむらの積み上げた犠牲がシャレになってません。
居心地の良い夢も、そばにいてくれるまどかも、親友になりうる人間たちからの理解も、全部犠牲にしています。
それでも、まどかが幸せに生きる世界を望む。
なぜ、我慢できるのか?
幸せだった実感(と思い出)があるから。
面白いのが、敵役に見えるインキュベーターの、ほむらへの貢献度がバカにならないこと。
彼らがあの結界を作ったおかげで、ほむらと周りの人たちがホンネで触れあっています。
ほむらが自分の気持ちに気づくきっかけにもなっている。
また、ほむらが現世では絶対になしえなかったであろう、無念や未練への決着がついている。
「魔女」という概念に対しても、ほむらの態度は以前とは異なります。
これは、マミの時間を止めてから発砲するまでの躊躇や、さやかとの対話での空気によく出ています。
迷うだけの余裕ができている。ほむらは強く、大人になっています。
ここまで踏まえて、ほむらの呪いへの結論「痛みすらいとおしい」という文言を、雰囲気と切り離して考えると、見えてくるものがあります。
私たちも、本当に頑張って何かを成し遂げたとき、地獄の練習や毎日の猛勉強がとてもいとおしく思うときがありませんか?
本気で血反吐はいて頑張ったモノは、成してしまえば最も良い思い出になると思います。
インキュベーターが理解できなかったのは、この、痛みの感じ方の変化だったのかもしれません。
ほむらの場合、魔法少女システムを極めてしまったように思います。魔女道を極めた、でもいい。
これも理由があります。
まず、彼女は時間遡行ができたために他の魔法少女たちよりも試行しやすい環境と長めの制限時間を与えられました。
また、キュゥべえが結界を作ったことで、他者とより長く深く触れるチャンスも与えられました。
この結果、普通は死亡か魔女化で誰もがリタイヤするはずの魔法少女クラブ、ほむらだけは卒業できてしまったのではないでしょうか?
その意味では、まどかとほむらの対比は天賦の才と積み重ねた努力の対比でもあります。
努力のほむらが寝不足で不機嫌そうな顔なのも、まあ当然ですよね笑
まどかを幸せにするために、ほむらは色々なものを失いました。
でも、ほむらの手元に残った力は、契約の結果というズルではなく、ほむらの努力の結果であるように思います。
(っていうか、まどかが迎えに来るくらいに明らかにやばくて死に掛けた状態で手を動かすとか、とんでもない意志の力です)
この力は、ほむらにとって本当の意味での「最後に残った道しるべ」になるように思います。
努力した記憶も、努力した結果で得た力も、自分を裏切らないから。
この力があれば、犠牲にしたものたちも取り戻せる可能性が常にあります。
取り戻すことが、ほむらにとって分かりやすい幸せをもたらすかはわからないけど。
でも、あのエンドはやっぱり希望に満ちていると、思ってしまうのでした。
まーでもほむらはとことんかっこいいですね。
神に祈る代わりに神を案じる人間、後世に汚名を遺してでも守りたい人間を守る人間、「君が好きだ、だからこそ戦う」というシチュエーション(FEでそういうのありましたよね)、悉くツボです。
以前にhomura_world師姉に言われた「あなたには魔法少女の愛を守るインキュベーターになってほしいわ」というセリフ、この映画を見た後の今にこそふさわしいセリフだと思う。
そろそろミステリオーソが頭の中でリフレインできるようになってきました。
次はちょっと間が空くかも。
いきなり見たくなり、クセになる作品なので、また感想を書くかもしれません。
そのときは、よかったらよろしくお願いします。
上映館の情報はこちら。
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えっと、まず
中沢SUGEEEEEEEEE
ほむらが結界の中に連れてきた人の中で、唯一彼だけがモブキャラです。存在の必然がない。
他はまどかの家族であり、早乙女先生であり、恭介と仁美です。
ほむらの世界は「まどかとの出会い(とその後の一か月)をやり直したい」っぽいので、他の人たちは役割があるのですが
中沢君!なんで?モブなのにネームドだから?
結界が解けて解放されるときも、ちゃんと中沢君の姿が見えます(恭介たちが映ったとき、こちらに背を向けて隣のソファに横たわっています。)
新世界でほむらを救済するカギは中沢君だ!!!!
と、絶対あるわけがないことを言っておきます。
さて、救済。
叛逆なんで好きかなーって考えると、自分が考えうるダークストーリーやヒーロー像をほぼ全部踏襲してくれているから。
ほむらの救済がどこにあるのか?
彼女は文字通り、「鹿目さんとの出会いをやり直し」「彼女を守る私」であろうとしています。
これ、敵役である必然も、まどかのそばにいる必然もある。
ほむらのことをまどかが知れば、必ず彼女は自分の力を使って、自分を犠牲にしてでもほむらを助けようとするから。
でも、ほむらが望むのはまどかが幸せである世界。
ほむらとまどかはお互いがお互いであるゆえに相手を救おうとするし、救おうとするからこそ対立が不可避になる。
ゴール、あるんでしょうかね?という問いを立てておきます。
さて、その状況はほむら自身がどう認識しているのか?なんで、そう考えるようになったのか。
これは劇中に答えがあります。
病んだ眼をしていてクマができているから別人のように見えるけど、ほむらの本質は変わっていません。
これは、まどかに対して見せた笑顔や、他の魔法少女たちとのやりとりでわかります。
マミには、さりげなく置き土産を渡して別れを告げました。
杏子が投げてよこしたリンゴは、かぶりを振って受け取っていません。
ほむらの表情が映っていないのはポイントだと思います。
人の気持ちを踏みにじったことを悔やむほむらだから、合わせる顔、なかったんじゃないかなぁ。
なお、「使っていた食器を割る」とか「同じ食べ物を食べない」って、死者を送る風習で確かありましたよね。
死者はこの世界のモノじゃないから、生きている人の世界のものを食べられない。
さやかとの別れは切ない。ホンネは絶対に言えない。でも、ウソもついていない。
なんでこんなことをしたの?「魔だから摂理に叛逆した」
世界を滅ぼすの?「魔獣を倒し終わったら、考えてもいいよ」
ヤバいです。敵はあくまで魔獣(と恐らくインキュベーター)。
魔法少女と敵対するかは明言していない。
さやかは、ほむらが敵になるって言ってるように受け取ると思う。
でも、明言しなかったほむらの真意は別にあるのではないでしょうか。
(神である)まどかには敵対するかもしれない。まどかが神になることは、まどかの幸せを意味しないから。
さやかがどういうヤツかわかっているからこそ、ほむらは、あえて悪のようにふるまう。
今のほむらは、TV版の頃よりも一人ぼっちで、眠れない夜を送ったりもしているのかもしれません。
それでも、
「もう私は、ためらったりしない」
まどかと一緒に矢を射たときのセリフです。暗転した時にほむらの声だけが流れたのは、そういうことだと思う。
心も体もまどかの隣にいたけど、一番幸せなはずのその状況で、ほむらの決意は揺らいでいない。
なぜか?
まどかとの別れに際して笑顔を見せたとき、ほむら自身が言っています。
「幸せだったから」
過去形です。
キュゥべえのお節介は、確かにほむらに有益なものを遺したのだと思います。
ほむらは、満たされた自分を自覚したのだと思う。
前も書いたけど、改めて見ると、ほむらの夢の世界はよくできています。
さやか、杏子、マミの全員が、ほむらの良き理解者として周りにいる。
さやかはほむらが魔女と知っているけど、だからこそ魔女ほむらの願い(皆と争わず、助け合いたい)も理解し、共感もしています。切りかかるときのまなざしも、とても優しい。
マミはマミで、あのガンカタ!
あれ、改めてすごいんです。当事者同士が「読み合い」といっていました。
でも、ほむらの世界の中のほむらは、マミの前では銃なんか使ってないですよね?
マミにとっては初見のはずなんです。
だから、あそこまで本気を出したマミのことも、ほむらは知らないのではないでしょうか。
っていうか、ほむらの世界でのほむらは、視聴者が今まで見たほむらの中で一番強かったほむらだと思います。
でも、それをことごとく読んで、マミの弾はほむらの弾に寄り添っています。
おまえらどんだけ理解し合えているんだよ!と。
杏子は杏子で、おとなしかったはずのメガネほむらの中にある全く違うほむらを感じ取り、いたずらっぽい目で受け入れています。
また、ほむらが魔女化の確認をする直前の電話で、「誰が魔女なのか?」の真相を理解したフシがあります。
でも、案じて助けに行こうとする。
まどか以外の3人も全員、ほむらのことをかなり深いレベルで受け入れていると改めて感じました。
だから、あの世界はほむらにとって居心地がいい。
でも、それはほむらが魔法でズルをしたからか?というと、違うと思います。
魔女疑惑がらみでほむらのこの3人への距離感がおかしくなっても、3人ともほむらを仲間として大事にしているから。
記憶は改ざんできても、感情までは改ざんできないはずですし。
また、そういう仲間だと思っているからこそ、ほむらはマミと杏子を結界内に呼び入れたのだと思います。
では、あの居心地の良い世界でほむらは何をしたかったのか?
これも、劇中にヒントがあります。皆の無念に決着をつけるで良いと思う。
前の感想でも書きました。
見返すとはっきりしました。
本編で、ほむらは同じ一か月を繰り返しています。
夢の世界でも、一か月たった次の朝にほむらが世界に疑問を抱き始め、そこから世界が緩やかに壊れていきます。
(夢を夢と認識するとき、なんどか世界の上下が反転しています)
この朝です。
その前の最後の晩に何をしたか?といえば、
・マミとまどかをコンビで存分に活躍させる
・シャルロッテの意味を置き換える
・仁美に対してさやかと杏子に一矢報いさせる
です。
よーはテレビシリーズの時に視聴者が感じたであろう「届かなかったあと一歩」が全部届いている。
これで、ほむらの「居心地の良い世界」への未練もなくなったのではないでしょうか。
朝のシーンでのほむらの目の動きと表情の変化、注目すると面白いです。
なお、この朝と対比される光景が、物語の最後(ED前)でもう一度出てきます。
似たような景色に、似たような色の光。
でも、ほむらを取り巻く状況は真逆になっています。
マミと杏子はほむらを感知できない。
さやかは、ほむらを敵(に近いもの)とだけ記憶する。
なにより、肝心のまどかに、ほむらの言葉はもう届いていません。
(理解しようとする目ではなく、ナニイッテンダコイツという目で見られています。)
こうして見てくると、ほむらの積み上げた犠牲がシャレになってません。
居心地の良い夢も、そばにいてくれるまどかも、親友になりうる人間たちからの理解も、全部犠牲にしています。
それでも、まどかが幸せに生きる世界を望む。
なぜ、我慢できるのか?
幸せだった実感(と思い出)があるから。
面白いのが、敵役に見えるインキュベーターの、ほむらへの貢献度がバカにならないこと。
彼らがあの結界を作ったおかげで、ほむらと周りの人たちがホンネで触れあっています。
ほむらが自分の気持ちに気づくきっかけにもなっている。
また、ほむらが現世では絶対になしえなかったであろう、無念や未練への決着がついている。
「魔女」という概念に対しても、ほむらの態度は以前とは異なります。
これは、マミの時間を止めてから発砲するまでの躊躇や、さやかとの対話での空気によく出ています。
迷うだけの余裕ができている。ほむらは強く、大人になっています。
ここまで踏まえて、ほむらの呪いへの結論「痛みすらいとおしい」という文言を、雰囲気と切り離して考えると、見えてくるものがあります。
私たちも、本当に頑張って何かを成し遂げたとき、地獄の練習や毎日の猛勉強がとてもいとおしく思うときがありませんか?
本気で血反吐はいて頑張ったモノは、成してしまえば最も良い思い出になると思います。
インキュベーターが理解できなかったのは、この、痛みの感じ方の変化だったのかもしれません。
ほむらの場合、魔法少女システムを極めてしまったように思います。魔女道を極めた、でもいい。
これも理由があります。
まず、彼女は時間遡行ができたために他の魔法少女たちよりも試行しやすい環境と長めの制限時間を与えられました。
また、キュゥべえが結界を作ったことで、他者とより長く深く触れるチャンスも与えられました。
この結果、普通は死亡か魔女化で誰もがリタイヤするはずの魔法少女クラブ、ほむらだけは卒業できてしまったのではないでしょうか?
その意味では、まどかとほむらの対比は天賦の才と積み重ねた努力の対比でもあります。
努力のほむらが寝不足で不機嫌そうな顔なのも、まあ当然ですよね笑
まどかを幸せにするために、ほむらは色々なものを失いました。
でも、ほむらの手元に残った力は、契約の結果というズルではなく、ほむらの努力の結果であるように思います。
(っていうか、まどかが迎えに来るくらいに明らかにやばくて死に掛けた状態で手を動かすとか、とんでもない意志の力です)
この力は、ほむらにとって本当の意味での「最後に残った道しるべ」になるように思います。
努力した記憶も、努力した結果で得た力も、自分を裏切らないから。
この力があれば、犠牲にしたものたちも取り戻せる可能性が常にあります。
取り戻すことが、ほむらにとって分かりやすい幸せをもたらすかはわからないけど。
でも、あのエンドはやっぱり希望に満ちていると、思ってしまうのでした。
まーでもほむらはとことんかっこいいですね。
神に祈る代わりに神を案じる人間、後世に汚名を遺してでも守りたい人間を守る人間、「君が好きだ、だからこそ戦う」というシチュエーション(FEでそういうのありましたよね)、悉くツボです。
以前にhomura_world師姉に言われた「あなたには魔法少女の愛を守るインキュベーターになってほしいわ」というセリフ、この映画を見た後の今にこそふさわしいセリフだと思う。
そろそろミステリオーソが頭の中でリフレインできるようになってきました。
次はちょっと間が空くかも。
いきなり見たくなり、クセになる作品なので、また感想を書くかもしれません。
そのときは、よかったらよろしくお願いします。
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category: まどかマギカ
thread: 魔法少女まどか☆マギカ
janre: アニメ・コミック
まどかマギカ叛逆の物語感想その4(バレ注意) 魔女から見た世界
2013/10/27 Sun. 04:29 [edit]
先ほどやっと2回目を見れました。
記憶が鮮明なうちに書いておきます。
記憶が鮮明なうちに書いておきます。
-- 続きを読む --
2回目はネタが割れているので、殆どの描写をほむらの心象風景として見ることができます。
このため、
・ほむらのホンネはどこにあったのか?
そして、
・なぜほむらは悪堕ちしたのか?
に注目しました。
まず、ほむらはなぜまどかにあのような暴挙に出たのか?
コレ、見返してわかりました。今までの解釈とちょっと違います。
まどかにつらい思いをさせたくない(≒人間として幸せに生きてほしい)から、です。
まどかにとっても実はつらいものだということを理解した、と言う解釈をどこかで見ました。
本編で言われていたように記憶したのですが、誰かのツイートかパンフレットかどちらかだったように思います。
実際に見て、その通りだなと私も思いました。
流れとしては、
まどかが本物だと理解する
→まどかが神であることは、まどかにとってもつらいことを我慢しているのだと理解する
→自分がまどかにつらいことを強いていると理解する
花畑で抱き合うシーンです。
まどかはほむらを、かけがえない時間の中にとどめ置くかのように三つ編みにしようとする。
でも、ほむらはまどかのホンネを知ってしまう。
この時の一連の表情の変化は、キモなだけにやはり力が入っています。
誰よりもまどかのことを思った人間だから、まどかが本物だと分かる。
まどかが本物だから、まどかが語る気持ちがホンネだとも理解する。だから、泣く。
直後の行動やラストのセリフを見る限り、このほむらの涙は自分の過ちに対してではなく、辛いことを耐えたまどかのことを思ってだと思います。
涙を流して、決意をする。自分のせいでまどかをこれ以上苦しめない、と。
そう決意したからこそ、まどかに対しては、笑って別れます。
このシーンは、いままで「強く輝いている存在」だったまどかが初めて、弱さを持つ人間としてほむらの目に映った瞬間だとも思います。
ほむらは、本当の意味でまどかを守りたいと思ったのではないでしょうか。
ほむらはまどかの弱さを見て、自分が我慢すれば彼女を守れるとイメージできるくらいには強くなっています。
それが彼女が周回を重ね、さらに改変後の世界で戦ってきた成果でもある。
最初にキュゥべえと契約した時は、ほむらは自分が強いという自覚がありません。
守りたい、という願望で言っているに過ぎない。自分ではできないことだからこそ、キュゥべえに願う。
でも、今回のほむらは彼女が心を強くもって我慢すればまどかを守ることができます。
「まどかを守る」は、初めてほむら自身の意思でどうにかなる問題になったのです。
ほむらの叛逆は、ほむらがまどかを超えた結果でもあります。
逆に言えば、まどかが弱さを見せたことが、インキュベーターの罠の思わぬ副産物でもある。
このほむらの決心が、後半のキーになります。
その結果守りたかったまどかがどういう存在なのか?も、面白い。
前にも書いたけど、ほむらの話を聞いてくれて、いつでも受け入れてくれるまどかだから、ではありません。
まどかが正義感をもって輝いている人間だから、です。
この、まどかの持つ2つの意味は、TV版の頃のほむらだと混同していたように思います。
精神的に成長したからこそ、はっきりわかったのではないでしょうか。
成長をもたらしたものは何か?
これは、他者への信頼だと思います。
自分がまどかを求めることがまどかを苦しめると知ったとき、ほむらは、結界内が自分の死に場所だと覚悟を決めます。
自分の始末はマミと杏子がつけてくれる、とも。
「もう誰にも頼らない」ではないし、「一人ぼっち」でもない。
確かに孤独ではあるけど、ほむらの孤独は自分の役割を理解した上で、自分で選んだ孤独です。
なぜ、孤独が選べるか?他者を信頼できるか?
これは、他者を理解したからなのではないでしょうか。
『叛逆の物語』全編を通じ、ほむらと他の魔法少女はお互いをよく理解しあっていることが描かれます。
ほむらが自分の頭を撃ち抜こうとしたとき、マミは思わず駆け寄ります。武器を放り出して。
また、戦った後もほむらのことを案じています。
さやかもほむらに切りかかるけど、あくまでやさしいまなざしで見守っている。
杏子とほむらの空気もヤバいですよね。お互いに「しっくりきて」いる。
『叛逆』でのほむらは、「振り返れば仲間がいて、気がつけば優しく包まれて」います。
ほむら自身も、仲間を優しく包んでいる。不器用ではあるけれど。
これは、物語の起の部分での交流によく表れています。
茶番の魔法少女ごっこでの変身シーンなんか、ほむらが各人をどう見ていたかがよく出ていますよね。
改変前で各人がどういう無念を背負っていったかを振り返ると、非常に面白い対比です。
あくまで華麗でかっこいいマミ先輩。組む相手はもちろんまどか。
ほむらの原風景である2周目の「楽しい魔法少女クラブ」のメンバーです。
ほむらの目に最初に焼き付いたのは、まどかとマミの魔法少女コンビだったはず。
ほむらの結界内の巴マミは隙がなく、あくまで華麗で、面倒見がよくて、強い。理想的な魔法少女です。
幻影を操り、力強く野性的な杏子。
彼女はマミを助けるために風見野からやってきて、さやかの家に居候しています。
マミの救援に間に合うことも、さやかと仲良く暮らすことも、まど神による世界改変前には実現しなかった光景です。
でも、ほむらの結界内での杏子は、ちゃんとさやかとコンビを組ませてもらっている。
アクロバティックに体を動かし、元気よく走るさやか。
旧作時の影の魔女戦を彷彿とさせる動きです。さやかはこの戦いで開眼して、戦士として完成しました。
でも全く評価されることなく、壊れていきます。
ほむらの結界内だと余計な妨害をされることなく、本来の力を発揮して縦横無尽の活躍をします。
仁美を助ける時は、一番活躍するのはさやかです。最後に仁美を抱きしめるのもさやかですし。
もちろん視聴者サービスなんだけど、あの状況設定がほむらの心理を反映している以上、ほむらがさやか周りの一連の歴史をどう見ていて何を願っていたのかがよく表れていると思います。
まどかはかわいらしくお茶目に変身し、あくまで明るい。
ほむらの過去周回で描かれたイメージに通じるものがあります。
ほむらの変身は。。。うん、あなたそういうことを考えていたのね、という感じでした。
『叛逆』冒頭で転校してくるときのそぶりにしても、クールさを演じなくて良い素のほむらはこんな子になりたかったのね、という感じです。
これ全部、ファンサービスでもあると思います。
ちゃんと力を合わせて活躍して仲良くするのは、視聴者が見たかった光景ばかりでしょうし。
でも、ほむら自身が各人がどういう人間なのかをちゃんと理解し、活躍させてもいます。
魔女として結界内に他の人間たちを呼んだことは、ほむらが自身の彼らへの気持ちを再確認させる効果にもなったようです。
ほむらはいみじくも、劇中で「自分がどれだけの人の心を踏みにじったか」と言っています。
その自覚があるから、自分が見届けた魔法少女たちを結界内では縦���に活躍させるし、彼らに接するときにはかなりの配慮をしています。
結界内で他の魔法少女たちと過ごしたことは、ほむらにとってマイナスだけではなかったように思えてなりません。
「人間は成長する」。
それに伴って「様々な感情を持つ」。
そして、成長しているから「感情を制御できるようになる」。
これが、インキュベーターが見落としていたポイントなのではないでしょうか?
同時に、ほむらの独自性もあるように思います。
まどかに対する気持ちがあまりにも深いから。
何度も時を飛び、あまりにも多くの死と無念を見てきているから。
成長したほむらは、他の人たちを理解します。
自分のわがままを理解し、まどかの弱さを理解する。
だから、前にもまして自分の我慢を貫き通せるようになる。
我慢を貫くから、他者には弱みを見せない。
見せてしまえば、まどかが神になって、またつらい思いをすることになるから。
ほむらの叛逆は、成長の結果の必然であるように思います。
最後の皆に対しての態度なんて面白いですよね。
マミと杏子にはひそやかに別れを告げる。
さやかには、嫌味を言っているように見せて、魔女であることから解き放って人に戻す。
おぞましい外見なだけで、中身はどこの慈善事業だよwwwwです。人は見かけが9割、とはよく言ったものです。
でも、我慢の中に思わず感情を見せてしまうときがありました。
最後にまどかに対して笑いかけてから、封じていたはずなのに。
「まどからしい」まどかを見て、思わず微笑み、涙を流す。
やっぱり、ほむらはどうしようもなくほむらです。
だからこそ、叛逆するのだけれど。(「私はどんな手を使っても、あなたを止めるべきだった」わけです)
ああ、いや、うん
全ての問題が、ほむらが余計なことをベラベラ口走ってインキュベーターに余計な興味を持たせたことが原因なんですが。まさに口は災いの門です。
ひたすらほむらに振り回されるインキュベーターが悲惨すぎます。
ともあれ、ほむらの決意はインキュベーターの挑戦もまどかの救済も押し返し、まどか自身に新たなチャンスを与えることになります。
今後、どうなるのでしょうね。
私であれば「まどかがほむらを全肯定し、ほむらに独占されるまどかになることを受け入れる」展開にします。
そうなるとほむらが困るから、まどかと二人で世界の均衡を図るエンドかな。
マミ、さやか、杏子などの魔法少女全体が日常から切り離され、「世界の裏側でみんなを守る」形になっても面白いと思う。
僕らは(今以上に)感知できないけど、いつもどこかで彼らが戦っている、みたいな。
ということで、叛逆の物語をまとめると、
ほむらはほむらとしてみんなに真摯に向き合い、成長し、誠実であった。
つまりは、魔法少女から少し大人になった(※)。
だからこそ、悪魔として叛逆することになった。
※ここもまどかとの対比になっています。
まどかは身近に母というお手本の大人がおり、自分の役割を理解して強者として魔法少女問題に接し、解決しています。
ほむらはまどかというお手本を理解していたとは言い難く、自分の体当たりで他者との距離を掴み、自分の余裕の源泉にしていっています。その結果叛逆という形で魔法少女問題に相対することになりました。
といったところでしょうか?
呪いが愛に変わる、というのも、ほむらが我慢した結果の世界で他の魔法少女たちが生き生きと輝いているのを見れば、わかる気がします。
彼女たちの死を何度も見てきたほむらだからこそ、我慢ができてしまうのではないでしょうか。
ほむらは優しくて、強い人なのだと思います。
では、彼女はどうなるのか?
これ、OPとか見ていると面白い。
OPだとほむらだけ人の輪から外れていて、まどかの差しのべた手とも結局交わりませんでした。
『叛逆』本編の内容を象徴するかのようです。
これがEDになると、手がしっかり握られています。
ED後のCパートですが、ここでは何度も「半分」が強調されます。
半分の月、半分の崖、そして体を半分にされたようなポーズのほむら。
残る半分は?
やはり、鹿目まどかに答えがあるように思います。
このほか、小ネタ。
・起承転結がかなりわかりやすく区切られている。
最初の30分が起。
仲良し魔法少女・ピュエラマギホーリークインテットの世界。ほむらが世界に疑問を持つまで。世界が反転して区切り。
次の30分が承。ミステリーハンターほむら。疑問を持ったほむらが謎を追いかける。
さやかによって世界の種明かしが示され、叛逆のテーマBGMが流れるまで。
次の25分が転。キュゥべえによって世界の正体が示され、ほむらが魔女化するまで。
残り約25分が結。かなり綺麗に5分単位でシーンが変わるなぁという印象。
・魔女文字
多すぎてわかりません。面白かったのはバスで彷徨うときの停留所のシーンで、看板に「Vendi Vidi Mitakihara」とあること。
カエサルの「来た、見た、勝った(Vendi Vidi Vici)」のパロディで、「来た、見た、見滝原」というわけです。
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2回目はネタが割れているので、殆どの描写をほむらの心象風景として見ることができます。
このため、
・ほむらのホンネはどこにあったのか?
そして、
・なぜほむらは悪堕ちしたのか?
に注目しました。
まず、ほむらはなぜまどかにあのような暴挙に出たのか?
コレ、見返してわかりました。今までの解釈とちょっと違います。
まどかにつらい思いをさせたくない(≒人間として幸せに生きてほしい)から、です。
まどかにとっても実はつらいものだということを理解した、と言う解釈をどこかで見ました。
本編で言われていたように記憶したのですが、誰かのツイートかパンフレットかどちらかだったように思います。
実際に見て、その通りだなと私も思いました。
流れとしては、
まどかが本物だと理解する
→まどかが神であることは、まどかにとってもつらいことを我慢しているのだと理解する
→自分がまどかにつらいことを強いていると理解する
花畑で抱き合うシーンです。
まどかはほむらを、かけがえない時間の中にとどめ置くかのように三つ編みにしようとする。
でも、ほむらはまどかのホンネを知ってしまう。
この時の一連の表情の変化は、キモなだけにやはり力が入っています。
誰よりもまどかのことを思った人間だから、まどかが本物だと分かる。
まどかが本物だから、まどかが語る気持ちがホンネだとも理解する。だから、泣く。
直後の行動やラストのセリフを見る限り、このほむらの涙は自分の過ちに対してではなく、辛いことを耐えたまどかのことを思ってだと思います。
涙を流して、決意をする。自分のせいでまどかをこれ以上苦しめない、と。
そう決意したからこそ、まどかに対しては、笑って別れます。
このシーンは、いままで「強く輝いている存在」だったまどかが初めて、弱さを持つ人間としてほむらの目に映った瞬間だとも思います。
ほむらは、本当の意味でまどかを守りたいと思ったのではないでしょうか。
ほむらはまどかの弱さを見て、自分が我慢すれば彼女を守れるとイメージできるくらいには強くなっています。
それが彼女が周回を重ね、さらに改変後の世界で戦ってきた成果でもある。
最初にキュゥべえと契約した時は、ほむらは自分が強いという自覚がありません。
守りたい、という願望で言っているに過ぎない。自分ではできないことだからこそ、キュゥべえに願う。
でも、今回のほむらは彼女が心を強くもって我慢すればまどかを守ることができます。
「まどかを守る」は、初めてほむら自身の意思でどうにかなる問題になったのです。
ほむらの叛逆は、ほむらがまどかを超えた結果でもあります。
逆に言えば、まどかが弱さを見せたことが、インキュベーターの罠の思わぬ副産物でもある。
このほむらの決心が、後半のキーになります。
その結果守りたかったまどかがどういう存在なのか?も、面白い。
前にも書いたけど、ほむらの話を聞いてくれて、いつでも受け入れてくれるまどかだから、ではありません。
まどかが正義感をもって輝いている人間だから、です。
この、まどかの持つ2つの意味は、TV版の頃のほむらだと混同していたように思います。
精神的に成長したからこそ、はっきりわかったのではないでしょうか。
成長をもたらしたものは何か?
これは、他者への信頼だと思います。
自分がまどかを求めることがまどかを苦しめると知ったとき、ほむらは、結界内が自分の死に場所だと覚悟を決めます。
自分の始末はマミと杏子がつけてくれる、とも。
「もう誰にも頼らない」ではないし、「一人ぼっち」でもない。
確かに孤独ではあるけど、ほむらの孤独は自分の役割を理解した上で、自分で選んだ孤独です。
なぜ、孤独が選べるか?他者を信頼できるか?
これは、他者を理解したからなのではないでしょうか。
『叛逆の物語』全編を通じ、ほむらと他の魔法少女はお互いをよく理解しあっていることが描かれます。
ほむらが自分の頭を撃ち抜こうとしたとき、マミは思わず駆け寄ります。武器を放り出して。
また、戦った後もほむらのことを案じています。
さやかもほむらに切りかかるけど、あくまでやさしいまなざしで見守っている。
杏子とほむらの空気もヤバいですよね。お互いに「しっくりきて」いる。
『叛逆』でのほむらは、「振り返れば仲間がいて、気がつけば優しく包まれて」います。
ほむら自身も、仲間を優しく包んでいる。不器用ではあるけれど。
これは、物語の起の部分での交流によく表れています。
茶番の魔法少女ごっこでの変身シーンなんか、ほむらが各人をどう見ていたかがよく出ていますよね。
改変前で各人がどういう無念を背負っていったかを振り返ると、非常に面白い対比です。
あくまで華麗でかっこいいマミ先輩。組む相手はもちろんまどか。
ほむらの原風景である2周目の「楽しい魔法少女クラブ」のメンバーです。
ほむらの目に最初に焼き付いたのは、まどかとマミの魔法少女コンビだったはず。
ほむらの結界内の巴マミは隙がなく、あくまで華麗で、面倒見がよくて、強い。理想的な魔法少女です。
幻影を操り、力強く野性的な杏子。
彼女はマミを助けるために風見野からやってきて、さやかの家に居候しています。
マミの救援に間に合うことも、さやかと仲良く暮らすことも、まど神による世界改変前には実現しなかった光景です。
でも、ほむらの結界内での杏子は、ちゃんとさやかとコンビを組ませてもらっている。
アクロバティックに体を動かし、元気よく走るさやか。
旧作時の影の魔女戦を彷彿とさせる動きです。さやかはこの戦いで開眼して、戦士として完成しました。
でも全く評価されることなく、壊れていきます。
ほむらの結界内だと余計な妨害をされることなく、本来の力を発揮して縦横無尽の活躍をします。
仁美を助ける時は、一番活躍するのはさやかです。最後に仁美を抱きしめるのもさやかですし。
もちろん視聴者サービスなんだけど、あの状況設定がほむらの心理を反映している以上、ほむらがさやか周りの一連の歴史をどう見ていて何を願っていたのかがよく表れていると思います。
まどかはかわいらしくお茶目に変身し、あくまで明るい。
ほむらの過去周回で描かれたイメージに通じるものがあります。
ほむらの変身は。。。うん、あなたそういうことを考えていたのね、という感じでした。
『叛逆』冒頭で転校してくるときのそぶりにしても、クールさを演じなくて良い素のほむらはこんな子になりたかったのね、という感じです。
これ全部、ファンサービスでもあると思います。
ちゃんと力を合わせて活躍して仲良くするのは、視聴者が見たかった光景ばかりでしょうし。
でも、ほむら自身が各人がどういう人間なのかをちゃんと理解し、活躍させてもいます。
魔女として結界内に他の人間たちを呼んだことは、ほむらが自身の彼らへの気持ちを再確認させる効果にもなったようです。
ほむらはいみじくも、劇中で「自分がどれだけの人の心を踏みにじったか」と言っています。
その自覚があるから、自分が見届けた魔法少女たちを結界内では縦���に活躍させるし、彼らに接するときにはかなりの配慮をしています。
結界内で他の魔法少女たちと過ごしたことは、ほむらにとってマイナスだけではなかったように思えてなりません。
「人間は成長する」。
それに伴って「様々な感情を持つ」。
そして、成長しているから「感情を制御できるようになる」。
これが、インキュベーターが見落としていたポイントなのではないでしょうか?
同時に、ほむらの独自性もあるように思います。
まどかに対する気持ちがあまりにも深いから。
何度も時を飛び、あまりにも多くの死と無念を見てきているから。
成長したほむらは、他の人たちを理解します。
自分のわがままを理解し、まどかの弱さを理解する。
だから、前にもまして自分の我慢を貫き通せるようになる。
我慢を貫くから、他者には弱みを見せない。
見せてしまえば、まどかが神になって、またつらい思いをすることになるから。
ほむらの叛逆は、成長の結果の必然であるように思います。
最後の皆に対しての態度なんて面白いですよね。
マミと杏子にはひそやかに別れを告げる。
さやかには、嫌味を言っているように見せて、魔女であることから解き放って人に戻す。
おぞましい外見なだけで、中身はどこの慈善事業だよwwwwです。人は見かけが9割、とはよく言ったものです。
でも、我慢の中に思わず感情を見せてしまうときがありました。
最後にまどかに対して笑いかけてから、封じていたはずなのに。
「まどからしい」まどかを見て、思わず微笑み、涙を流す。
やっぱり、ほむらはどうしようもなくほむらです。
だからこそ、叛逆するのだけれど。(「私はどんな手を使っても、あなたを止めるべきだった」わけです)
ああ、いや、うん
全ての問題が、ほむらが余計なことをベラベラ口走ってインキュベーターに余計な興味を持たせたことが原因なんですが。まさに口は災いの門です。
ひたすらほむらに振り回されるインキュベーターが悲惨すぎます。
ともあれ、ほむらの決意はインキュベーターの挑戦もまどかの救済も押し返し、まどか自身に新たなチャンスを与えることになります。
今後、どうなるのでしょうね。
私であれば「まどかがほむらを全肯定し、ほむらに独占されるまどかになることを受け入れる」展開にします。
そうなるとほむらが困るから、まどかと二人で世界の均衡を図るエンドかな。
マミ、さやか、杏子などの魔法少女全体が日常から切り離され、「世界の裏側でみんなを守る」形になっても面白いと思う。
僕らは(今以上に)感知できないけど、いつもどこかで彼らが戦っている、みたいな。
ということで、叛逆の物語をまとめると、
ほむらはほむらとしてみんなに真摯に向き合い、成長し、誠実であった。
つまりは、魔法少女から少し大人になった(※)。
だからこそ、悪魔として叛逆することになった。
※ここもまどかとの対比になっています。
まどかは身近に母というお手本の大人がおり、自分の役割を理解して強者として魔法少女問題に接し、解決しています。
ほむらはまどかというお手本を理解していたとは言い難く、自分の体当たりで他者との距離を掴み、自分の余裕の源泉にしていっています。その結果叛逆という形で魔法少女問題に相対することになりました。
といったところでしょうか?
呪いが愛に変わる、というのも、ほむらが我慢した結果の世界で他の魔法少女たちが生き生きと輝いているのを見れば、わかる気がします。
彼女たちの死を何度も見てきたほむらだからこそ、我慢ができてしまうのではないでしょうか。
ほむらは優しくて、強い人なのだと思います。
では、彼女はどうなるのか?
これ、OPとか見ていると面白い。
OPだとほむらだけ人の輪から外れていて、まどかの差しのべた手とも結局交わりませんでした。
『叛逆』本編の内容を象徴するかのようです。
これがEDになると、手がしっかり握られています。
ED後のCパートですが、ここでは何度も「半分」が強調されます。
半分の月、半分の崖、そして体を半分にされたようなポーズのほむら。
残る半分は?
やはり、鹿目まどかに答えがあるように思います。
このほか、小ネタ。
・起承転結がかなりわかりやすく区切られている。
最初の30分が起。
仲良し魔法少女・ピュエラマギホーリークインテットの世界。ほむらが世界に疑問を持つまで。世界が反転して区切り。
次の30分が承。ミステリーハンターほむら。疑問を持ったほむらが謎を追いかける。
さやかによって世界の種明かしが示され、叛逆のテーマBGMが流れるまで。
次の25分が転。キュゥべえによって世界の正体が示され、ほむらが魔女化するまで。
残り約25分が結。かなり綺麗に5分単位でシーンが変わるなぁという印象。
・魔女文字
多すぎてわかりません。面白かったのはバスで彷徨うときの停留所のシーンで、看板に「Vendi Vidi Mitakihara」とあること。
カエサルの「来た、見た、勝った(Vendi Vidi Vici)」のパロディで、「来た、見た、見滝原」というわけです。
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まどかマギカ叛逆の物語感想その3(バレ注意) 少女がたどり着いた答え
2013/10/26 Sat. 15:52 [edit]
まどマギ叛逆の物語感想、思いついたものをガンガン投下していきます。
まだ1回しか見られてないけど。
何でほむらを好きなのか、とか、この話がなんで「魔法少女まどか☆マギカ」と言うタイトルなのか、とか。
後で全部一つにまとめると思う。
まだ1回しか見られてないけど。
何でほむらを好きなのか、とか、この話がなんで「魔法少女まどか☆マギカ」と言うタイトルなのか、とか。
後で全部一つにまとめると思う。
-- 続きを読む --
去年まどかの劇場版を見てから人生を強引に捻じ曲げたわけで、
まど神様はいると思ってるし、彼女の作ったこの世界も大好きです。
だから、軽々しく「滅ぼす」とか言ってるクソメンヘラは一人で死ねとか思ってました。
一方、今の感想はこんな感じです。この世界が好きだしまど神様も好きだからこそ、私はほむらの肩を持ちます。
なんでかなーって思う。
前回、ほむらの成長について少し書きました。
ほむらは自分が間違っていることを理解してあの行動をとった、結構バランスが取れているのではないか、と。
もうちょっと考えると、色々見えてきます。
たとえば、予告で騒がれた自殺のシーン。
コレ、意味が分かると鳥肌でした。
当たり前に見ちゃってましたけど、アレ、凄いんです。
だって、おかしいじゃないですか。
直前まで殺し合いしてたのに、マ��、わざわざ止めに入ってる。
ソウルジェムを撃とうとしたわけでもないのに。アタマ撃つだけなのに。
ほむらも、マミがそういう行動をとることを見越して罠を張っています。
でも考えてみてください。
ほむらの過去で、そんな友達、いましたか?
ほむらの知ってるマミ、そんな人間でしたか?
『叛逆』のほむらには、自殺するときにとっさに止めてくれる友達(先輩)がいる。
これ、すごいことです。
マミの時間を止めた後のお互いの動きも、良いです。
そういうマミだから、やっぱりほむらは撃てない。あれ?TV版のほむらならコレ撃ってますよね。
マミもマミで、即座に攻撃せず、ほむらがどうするかを見極めていたのだと思います。
この人間関係は、今までのほむらの周りの世界にはなかったものです。
杏子にしても、投げてよこしたものをほむらがキャッチするあの関係。
ほむらが魔女だったら、杏子を殺すチャンスは何度かありました。
また、一番最初のめがねのほむらの時代には、杏子はいなかった人間です。
でも、殺さない。仲良しとしてそばに置いている。
そもそも、「魔法少女が5人揃うものだ」ということを知っているのは、劇中でほむらだけのはずです。
5人揃って仲良くするなんて光景は、本編では実現したことがない。
あの結界の定義で行けば、結界内で実現したものは、ほむらが望んだモノです。
ベベ、にしても、シャルロッテの意味が置き換わっている。
マミを殺した行動が、ナイトメアを浄化する行動になっています。
魔法少女の戦う敵も、倒すことは死ではなく感情の救済に置き換わっています。
そして、ほむらがまどかに求めたものは人間としての生でした。
さやかに対してもなぎさに対しても、もう一度生きるチャンスを与えています。
たとえ、この3人が自分の敵になるとしても。
ほむらが夢見ていた世界、作った世界を見ると、
勿論、引きこもりの独善的な世界ではあるんだけど、
それ以上に
皆に生きていてほしかった、みんなと仲良くしたかったという思いがひしひし伝わってきます。
ほむらの友達観や、ほむらがほかの人たちの誰を見ていて、どう見ていたかも伝わってくる。
前回も書いたけど、その「みんな」は自分に優しくしてくれるだけの「みんな」ではないです。
引っぱたいてでも自分を止めてくれる先輩だったり、間違ったことを間違っていると言ってくれる友達だったり。
そして、ほむらはそういう人たちと一緒にいる居心地のいい空間よりも、その人たちが敵になったとしても、みんなが自分らしく生きている状況の方を選択しています。そこにどういう思惑があるかは別として。
あくまで、結果として起きた状況はそうなっています。
(勿論、続編が作りやすいように、というメタ的な意図はある。)
また面白いのは、TV版と劇場版の対比。
劇場版はほむらが編集したほむら視点の話だ、という説がありました。
本当かどうかは明示されないけど、そうだとしても面白いです。
自分が頑張るシーンにことさら気合い入れた新規BGMを入れるほむらとかね。
ポイントは他の魔法少女との接し方。
TV版に比べ、劇場版では魔法少女たちの悲劇とか無念が強調されます。
さやかのことをほむらが殺そうとするシーンが端折られてもいる。
これ、ほむらの他の魔法少女たちへの思いの表れ、と考えると面白いです。
ほむらにとって大事な友達は、本当にまどかだけだったのか?
もうひとつ面白いのが、このほむらの「叛逆」が、今までのまどかマギカでまどかが行った「因果律への叛逆だ」にまるまる相当していて、まどかの対比になっていること。
ほむらの表情が病んでてコワイヒトタチがいるから怖い世界に見えるけど、ほむらの実現した世界から伝わってくるものは「皆に生きていてほしい」という願いです。
そのみんなは、ほむらが生きざまを見届けてきた人たちでもある。
誰よりも死に立ち会い、死があまりにも軽い世界を生きたほむらだから、出したこの答えには説得力があります。
その意味で、この話はやはり「魔法少女まどか☆マギカ」なのだと思います。
魔法少女まどかと触れた世界の中でほむらが知り合い、見届けたものに対して答えを出す話だから。
その話はすべて、赤いリボンをつけた少女まどかとの出会いの中で起きた話でした。
まどかが最後にそのリボンをほむらに託す形で、一度話が終わる。
でも、ほむらは違う答えにたどり着いたから、もうリボンは要らなくなる。
キャッチコピーでは、「孤独の先に少女が辿りついた答えは愛」。
なのですが、これはまどかに対してだけの愛じゃなくて、
―まどかを通じて触れた、非業の死を遂げた皆に、生きていてほしかった―
そういう、強い思いなのではないでしょうか?
ほむらもまどかも、「一人ぼっちの魔法少女たちの無念」に対して答えを出しています。
一人は自分が死ぬことを選ぶ。
一人は自分が悪役になることを選ぶ。
どちらも、自分が独りぼっちになってでもみんなを助けたいという思いは同じです。
まど神様の作った世界が大好きで、その中で一つだけの命を生きている私としては、みんなにもう一度生きるチャンスを提供したほむらには、やっぱりどうにも強く惹かれるものがあります。
天賦の才ではなく、血反吐を吐いて成長して得た結果だし、何より、私も生きていることはそれ自体が素晴らしいと思う人間だから。
また、ほむらはそう決断できたことで、一人ぼっちではないのだと思います。概念まどかとは別の意味で。
自分がどういう人間に触れ、何が大事か、そのために何を犠牲にするか?を自分の意思で全部判断して、あの答えに至っているからです。
これは、自分の生きた世界をよく知り、強い思い入れがないとできないと思うのです。
その判断がなければ、彼女が成したあの世界は作れないのではないでしょうか。
だから、「たとえ、世界を滅ぼしてでも」に続く文は「あなたに会いたかった」「あなたに幸せになってほしかった」であると同時に、
「あなた(たち)に、生きていてほしかった」でもあると思うのです。
やっぱ、また劇場で見ないと笑
ほむらの流した血涙の物語、叛逆の物語。思い出すほどに、やっぱり、素晴らしいです。
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去年まどかの劇場版を見てから人生を強引に捻じ曲げたわけで、
まど神様はいると思ってるし、彼女の作ったこの世界も大好きです。
だから、軽々しく「滅ぼす」とか言ってるクソメンヘラは一人で死ねとか思ってました。
一方、今の感想はこんな感じです。この世界が好きだしまど神様も好きだからこそ、私はほむらの肩を持ちます。
なんでかなーって思う。
前回、ほむらの成長について少し書きました。
ほむらは自分が間違っていることを理解してあの行動をとった、結構バランスが取れているのではないか、と。
もうちょっと考えると、色々見えてきます。
たとえば、予告で騒がれた自殺のシーン。
コレ、意味が分かると鳥肌でした。
当たり前に見ちゃってましたけど、アレ、凄いんです。
だって、おかしいじゃないですか。
直前まで殺し合いしてたのに、マ��、わざわざ止めに入ってる。
ソウルジェムを撃とうとしたわけでもないのに。アタマ撃つだけなのに。
ほむらも、マミがそういう行動をとることを見越して罠を張っています。
でも考えてみてください。
ほむらの過去で、そんな友達、いましたか?
ほむらの知ってるマミ、そんな人間でしたか?
『叛逆』のほむらには、自殺するときにとっさに止めてくれる友達(先輩)がいる。
これ、すごいことです。
マミの時間を止めた後のお互いの動きも、良いです。
そういうマミだから、やっぱりほむらは撃てない。あれ?TV版のほむらならコレ撃ってますよね。
マミもマミで、即座に攻撃せず、ほむらがどうするかを見極めていたのだと思います。
この人間関係は、今までのほむらの周りの世界にはなかったものです。
杏子にしても、投げてよこしたものをほむらがキャッチするあの関係。
ほむらが魔女だったら、杏子を殺すチャンスは何度かありました。
また、一番最初のめがねのほむらの時代には、杏子はいなかった人間です。
でも、殺さない。仲良しとしてそばに置いている。
そもそも、「魔法少女が5人揃うものだ」ということを知っているのは、劇中でほむらだけのはずです。
5人揃って仲良くするなんて光景は、本編では実現したことがない。
あの結界の定義で行けば、結界内で実現したものは、ほむらが望んだモノです。
ベベ、にしても、シャルロッテの意味が置き換わっている。
マミを殺した行動が、ナイトメアを浄化する行動になっています。
魔法少女の戦う敵も、倒すことは死ではなく感情の救済に置き換わっています。
そして、ほむらがまどかに求めたものは人間としての生でした。
さやかに対してもなぎさに対しても、もう一度生きるチャンスを与えています。
たとえ、この3人が自分の敵になるとしても。
ほむらが夢見ていた世界、作った世界を見ると、
勿論、引きこもりの独善的な世界ではあるんだけど、
それ以上に
皆に生きていてほしかった、みんなと仲良くしたかったという思いがひしひし伝わってきます。
ほむらの友達観や、ほむらがほかの人たちの誰を見ていて、どう見ていたかも伝わってくる。
前回も書いたけど、その「みんな」は自分に優しくしてくれるだけの「みんな」ではないです。
引っぱたいてでも自分を止めてくれる先輩だったり、間違ったことを間違っていると言ってくれる友達だったり。
そして、ほむらはそういう人たちと一緒にいる居心地のいい空間よりも、その人たちが敵になったとしても、みんなが自分らしく生きている状況の方を選択しています。そこにどういう思惑があるかは別として。
あくまで、結果として起きた状況はそうなっています。
(勿論、続編が作りやすいように、というメタ的な意図はある。)
また面白いのは、TV版と劇場版の対比。
劇場版はほむらが編集したほむら視点の話だ、という説がありました。
本当かどうかは明示されないけど、そうだとしても面白いです。
ポイントは他の魔法少女との接し方。
TV版に比べ、劇場版では魔法少女たちの悲劇とか無念が強調されます。
さやかのことをほむらが殺そうとするシーンが端折られてもいる。
これ、ほむらの他の魔法少女たちへの思いの表れ、と考えると面白いです。
ほむらにとって大事な友達は、本当にまどかだけだったのか?
もうひとつ面白いのが、このほむらの「叛逆」が、今までのまどかマギカでまどかが行った「因果律への叛逆だ」にまるまる相当していて、まどかの対比になっていること。
ほむらの表情が病んでてコワイヒトタチがいるから怖い世界に見えるけど、ほむらの実現した世界から伝わってくるものは「皆に生きていてほしい」という願いです。
そのみんなは、ほむらが生きざまを見届けてきた人たちでもある。
誰よりも死に立ち会い、死があまりにも軽い世界を生きたほむらだから、出したこの答えには説得力があります。
その意味で、この話はやはり「魔法少女まどか☆マギカ」なのだと思います。
魔法少女まどかと触れた世界の中でほむらが知り合い、見届けたものに対して答えを出す話だから。
その話はすべて、赤いリボンをつけた少女まどかとの出会いの中で起きた話でした。
まどかが最後にそのリボンをほむらに託す形で、一度話が終わる。
でも、ほむらは違う答えにたどり着いたから、もうリボンは要らなくなる。
キャッチコピーでは、「孤独の先に少女が辿りついた答えは愛」。
なのですが、これはまどかに対してだけの愛じゃなくて、
―まどかを通じて触れた、非業の死を遂げた皆に、生きていてほしかった―
そういう、強い思いなのではないでしょうか?
ほむらもまどかも、「一人ぼっちの魔法少女たちの無念」に対して答えを出しています。
一人は自分が死ぬことを選ぶ。
一人は自分が悪役になることを選ぶ。
どちらも、自分が独りぼっちになってでもみんなを助けたいという思いは同じです。
まど神様の作った世界が大好きで、その中で一つだけの命を生きている私としては、みんなにもう一度生きるチャンスを提供したほむらには、やっぱりどうにも強く惹かれるものがあります。
天賦の才ではなく、血反吐を吐いて成長して得た結果だし、何より、私も生きていることはそれ自体が素晴らしいと思う人間だから。
また、ほむらはそう決断できたことで、一人ぼっちではないのだと思います。概念まどかとは別の意味で。
自分がどういう人間に触れ、何が大事か、そのために何を犠牲にするか?を自分の意思で全部判断して、あの答えに至っているからです。
これは、自分の生きた世界をよく知り、強い思い入れがないとできないと思うのです。
その判断がなければ、彼女が成したあの世界は作れないのではないでしょうか。
だから、「たとえ、世界を滅ぼしてでも」に続く文は「あなたに会いたかった」「あなたに幸せになってほしかった」であると同時に、
「あなた(たち)に、生きていてほしかった」でもあると思うのです。
やっぱ、また劇場で見ないと笑
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