「映え」を「バエ」と読んで,Instagramがコミュニケーションツールとして定着したようである。筆者は,発信する写真が何もないので,アプリを登録しては削除しを繰り返している。FacebookやTwitterと同様,どうやって使えばいいのか,正直言ってまったく分からないからである。ちなみに,「バエ」のような濁音を含む言葉は響きが汚いから使うなと,社会人になったときに先輩から教わり,それを徹底して守ってきたので,筆者にとってはどうしても馴染めない言葉の1つになっている。
さて,こうした写真投稿サイトにアップする写真が増え,さまざまな新しいジャンルが生まれた。筆者の若いころは蒸気機関車の写真を撮って楽しむことが趣味だったが,いまやそれは「撮り鉄」として分類されるようになった。写真という趣味が,自分で楽しむことから,一般に公開して見てもらうという楽しみに変わってきたということだろう。
その新ジャンルとして,廃墟や工場夜景が登場した。これらを探検したり撮影したりするためのツアーも多く企画され,写真集もたくさん作られるようになった。
工場夜景が幻想的に見えるのは,昔から気づいていた。飛行機で羽田空港に夜間に着陸する際,川崎の臨海工業地帯の横を通るのだが,ビックリするほど色合いがきれいだと思っていた。夜間にプラントに照明を点けているのは,そのプラントが24時間稼働しており,夜間の点検の際の作業員の安全確保のためである。
戦後の高度経済成長期に作られたこれらのプラントは,石油化学製品や火力発電など,日本の底辺を支える産業である。しかし,おそらく操業から数十年が経過し,そろそろプラントの寿命を迎える段階になっている。
ところが,現在のような経済低迷状態で,海外から安い製品を輸入して済ませている日本で,おそらくこれらのプラントを再構築したり,新設したりする需要そのものがなくなっている。そのために,1日でも延命させようとしていると思われるのだが,それでも寿命が来たらプラントを閉鎖する日がいつかは来るだろう。
その日が来たとして,新たにプラントを設計したり,プラントを建設したりできる技術者が,今の日本にいるのか,というと,誠にお寒いと思っているのである。
中国では現在,新規の原子力発電所が20基以上が新設工事中である。一方,日本は33基の原発があるが,全面停止中で,姑息な方法で10年間の延命措置を図っているのが4基あるだけで,ほとんどが廃炉措置を受けている。原発はもう作らない,のではなく,「もう作る技術がない」「作れる技術者がいない」のであり,さらに言えば,「廃炉する技術者もいない」のである。
同様に,鉄鋼所の「高炉」と呼ばれる鉄を溶かすプラントも,新設の予定はない。最も高品質と言われる自動車用の高張力鋼板ですら,すでに韓国がシェアを取っている。ましてや化学製品を作る工場は,中国がほとんどを担っており,日本ではもう新規の工場の必要性がなくなっているし,工場を設計できる技術者も,建築する技術者もおそらくいなくなっている。
高度経済成長期には,こうしたプラントに対する多大な投資と,危険を冒してでも新しいモノを作るという技術者魂が日本人にもあった。現在の日本には,本当に技術者がいなくなったと感じる。モノづくりの熱意が感じられないのである。
その分,廃墟写真や工場夜景,撮り鉄・乗り鉄など「表面的なきれいさ」ばかりを追い求める人ばかりになってきた。Instagramに写真をアップした後は,食べ物すら捨てられるケースもあると聞く。写真をアップするために,コスチュームや化粧,果ては美容整形まで進んでしまうケースも増えている。みんな二重マブタになり,同じような顔つきいなってきているように見えてしまう。写真も,iPhoneでは満足できなくなり,ミラーレス一眼デジカメを買う人,特に女性が増えたという。
カメラの話はともかく,おそらく工場夜景が見られるのはあと10年はないだろう。かつて,煙突からの煙やガスが公害の原因となり,今度はその生産物が環境破壊の原因として問題視されており,日本での化学工業は難しくなっている。公害対策をした分,コストが上がり,海外製品と競争ができなくなるからである。鉄鋼所の高炉が消え去ったのと同じように化学工場もいずれ日本からはなくなる。そのときに人は何を癒やしに求めるのだろうか。いや,癒やしを求め続ける若者ばかりでは,国は滅びるだろうというのが,筆者の今の心配事なのである。次々と癒やしの企画ばかり作っていっても,結局は数年でブームは去っていく。こんな日本でいいのだろうか。適切な提案が今,見つからない。