筆者は2020年11月末に風邪を引いて,3日間の微熱と鼻水,くしゃみを経て「ただの風邪」と判断した。その後,実は2週間ぐらいは,ときどき鼻水が止まらなくなった。息苦しさもないが,言われてみると乾いた咳も出る。無症状での新型コロナウイルス感染と,ただの風邪の区別がやはりつかない。年内の仕事外出をやめた理由は,万が一の無症状感染拡大のリスクを避けるためである。
これまでと少し考えが変わったのは,通勤・通学というポイント・トゥ・ポイントの移動・出勤・通学の移動における感染リスクはかなり少ないということだ。
勤務先の同じグループ,また通学先のクラスは,ほとんど同じような生活パターンの集団である。同じ程度の給料をもらい,同じような休みパターン,また学校は同じようなレベルの家庭の子供が集まってくる。同じぐらいの家庭の人間の行動パターンはそれほど変わらない。外食の頻度,旅行の頻度などだ。毎日のように外食したり,頻繁に海外旅行に行ったりする人たちが,オフィスやクラスにいるわけではない。そこでの感染のリスクはそれほど高くない。
また,密閉空間で密集している空間という意味で,電車やバスなどの公共交通機関での感染リスクが高いのではないかということについて当初から指摘してきたが,その後のほぼ全員のマスク着用,窓開け,控えめな会話が徹底されてきたため,電車やバスの車内での感染リスクも少なくなったと思う。
自宅での感染リスクが少ないとなると,自宅→電車→オフィス→電車→自宅という繰り返し移動については,リスクがそれほど高くない,ということになる。
外食についても,店側の徹底的な対策によって,一人外食は問題がないと思われる。ホテルの外泊も問題ないのではないか。
これほど,個人側も公共機関も店舗も,対策を講じているというのに,感染拡大が止まらない理由は何かを考えた。
残っているのは,「不特定多数が集まり,会話が伴う会合」ということであろうか。会話を伴う会食,会話を伴う外部メンバーとの会議,当然のことながら会話を伴う営業など,30分以上の接近と会話のある場面である。このうち会議や営業は,マスク着用しないことはほとんどなくなった。そうすると最後に残るのは,「会話が伴う会食」ということか。しかし普通の会食時は,マスクを外して黙々と食べ,その後にマスクを着けて会話する,という流れができつつある。飲食の途中に会話をしたければ,都度マスクを着ける,という方法も提案されているが,これは正直言うと現実的ではない。特にアルコールを伴う会食は,気が緩み,マスクを外し,声も大きくなり,会話のピッチも速くなる。感染リスクが高くなる。アルコールなしでもカラオケなど,声を出す会合はやはり感染経路になりやすい。
通勤時の混雑は,感染拡大の以前とほぼ同じ程度まで戻ってきた。これまでは通勤途上の公共交通機関での感染リスクが高かったが,これも改善しつつある。普通の働き蜂のビジネスマンや普通の通学は感染リスクはそれほど高くないようだ。
そうすると,なぜかこのような時期でもリアルな食事会を「必要な会合」と称して実施される日本の政治家や先生方,「お偉いさん」たちによる外食時が最も怪しくなる。会の主催者は,たぶん“しゃべりたがり”であり,自らが話題の主導権を取りたがり,そしていわゆるマウンティングをしたがる。外食比率が高く,海外も含めて旅行の頻度が高い,そういう人たちによる無症状感染と接触した人が,感染被害者になる確率が高いということになる。
一般庶民としての筆者からいうと,外食比率は極めて低く,旅行をしなくても特に不便を感じない。ただの貧乏なのかもしれないが,テレワーク,宅配,食材宅配,これに加えて多少の出前を加えても,ほとんど不便を感じない。ペットの犬が2匹いて,ここ10年間,まったく旅行をしていないことも幸いしてか,筆者はストレスを感じていない。(家族のほかのメンバーがどうかは不明)。
通常の通勤が,みんながマスク着用で会話控えめ,窓開け換気を心がければ感染拡大リスクが少なくなってきたとはいえ,テレワークによる移動時間の削減効果は絶大で,できればこのまま在宅ワーク的に続けたいところである。オンライン飲み会も,結構盛り上がる。眠くなればオフにすればいいので楽だし,支払いもなくて済むので財布にも優しい。
家食(いえしょく)で問題になるのが,焼き肉だそうで,煙が出るのでにおいが部屋にこもり,壁も床も汚れるため,このために焼き肉店は繁盛しているのだそうだ。それ以外は外食の必要性が筆者にはない。
観光,飲食関係は,正直,根本的なビジネスモデルを変えてもいいのではないかと考えている。ホテルの療養施設化はすでに提案したところだが,飲食店をデリバリー専門や出張専門にするとかにするのが一つのやり方かもしれない。当事者にとっては死活問題を軽々しく論じてほしくはないとは思うが,このままだと立ちいかなくなりそうな気がする。
特に,席に着いたらウン万円,お酒1杯ウン万円,で潤っている“御用達”系の飲食業(シェフとかご主人とか言われているようなお店)は,それ自体が飢えと貧困に苦しむ世界の中で格差社会を助長している存在と言えるのではないか。