早苗 (駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1918年度(八六艦隊案) |
起工 | 1922年4月5日 |
進水 | 1923年2月15日 |
就役 | 1923年11月5日(第六駆逐艦) |
その後 | 1943年11月18日戦没 |
除籍 | 1944年1月1日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:820トン |
全長 | 83.8m |
全幅 | 8.08m |
吃水 | 2.51m |
主缶 | ロ号艦本式缶3基 |
機関 | オールギアードタービン2基2軸 21,500shp |
最大速力 | 35.5ノット |
航続距離 | |
乗員 | |
兵装 | 12.0cm単装砲3基 6.5mm単装機銃2基 53cm連装発射管2基4門 |
早苗(さなえ/さなへ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型の3番艦である。
艦歴
[編集]浦賀船渠にて建造され、1923年11月5日に竣工した。当初は第六駆逐艦という艦名であり、1924年4月1日に「第六号駆逐艦」、1928年8月1日に「早苗」へと改名された。
1932年(昭和7年)12月3日、早苗のほか早蕨、呉竹、若竹の駆逐艦四隻で台湾の馬公へ向け呉港を出航。同年12月5日、暴風雨により早蕨が沈没。乗組員の救助を行う[1]。
1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争が開戦すると、主に船団護衛に従事した。1943年(昭和18年)11月15日、船団護衛のためパラオを出港し ボルネオ島のバリックパパンへ向かったが、セレベス海へ入り、見張り交替の直後の11月18日の深夜、船体の中央付近へ雷撃を受け、さらに 2本の魚雷が早苗に命中。合計3本の雷撃をうけた。同日23時46分、北緯4度52分、東経122度7分にて沈没。
この攻撃は米国資料によりアメリカ海軍の潜水艦ブルーフィッシュの雷撃と確認されている。ブルーフィッシュ号は第2513船団を18日の午前に発見し、深夜まで追跡のうえ、攻撃を行ったことが記録されている。海軍少佐:酒井信一 艦長、海軍中尉:飯田貞行 先任将校兼砲術長 以下 大多数が戦死し、救助されたのは3名の水兵長のみであった。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』379-380頁による。階級は就任時のもの。
艤装員長
[編集]- 若木元次 少佐:1923年5月1日 - 11月5日[2]
駆逐艦長
[編集]- 若木元次 少佐:1923年11月5日[2] - 1924年12月1日
- 杉山六蔵 少佐:1924年12月1日 - 1925年10月20日
- 勝野実 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日 同日より予備艦
- 野末信次郎 少佐:1926年12月1日[3] - 1927年3月15日[4]
- (兼)藤田俊造 大尉:1927年3月15日[4] - 12月1日[5]
- 橋本象造 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日[6]
- 板垣盛 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月1日[7]
- 橘正雄 大尉:1929年11月1日[7] - 1932年11月15日
- 福岡徳治郎 大尉:1932年11月15日 - 1934年5月25日
- 大迫東 大尉:1934年5月25日[8] - 1934年9月29日[9]
- 矢野寛二 少佐:1934年9月29日[9] - 1936年12月1日[10]
- 吉井五郎 少佐:1936年12月1日 - 1938年7月25日[11]
- 柴山一雄 大尉:1938年7月25日 - 1939年1月20日[12]
- 柳瀬善雄 少佐:1940年10月15日 - 1941年4月15日[13]
- 小川陽一郎 大尉:1941年4月15日 - 1941年10月1日[14]
- 小泉四郎 少佐:1941年10月1日 -
- 長倉義春 大尉:1942年10月25日 -
- 酒井信一 大尉:1943年10月20日 - 11月18日戦死
脚注
[編集]- ^ 駆逐艦「早蕨」、台湾沖合で沈没『東京日日新聞』昭和7年12月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p47 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b 『官報』第3363号、大正12年11月7日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ a b 『官報』第61号、昭和2年3月16日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ a b 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
- ^ 『官報』第2218号、昭和9年5月26日。
- ^ a b 『官報』第2326号、昭和9年10月1日。
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第216号 昭和13年7月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第289号 昭和14年1月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第620号 昭和16年4月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第721号 昭和16年10月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 日本海軍人事手帳(?) - ウェイバックマシン(2006年5月6日アーカイブ分)