タイガー (巡洋戦艦)
艦歴 | |
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発注 | ジョン・ブラウン社クライドバンク造船所 |
起工 | 1912年6月20日 |
進水 | 1913年12月15日 |
就役 | 1914年10月3日 |
退役 | 1931年5月15日 |
その後 | 1932年にスクラップとして売却 |
前級 | ライオン級 |
後級 | レナウン級 フッド[注釈 1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:28,800トン 満載:33,677トン |
全長 | 214.6 m |
全幅 | 27.6 m |
吃水 | 8.7 m |
機関 | バブコック・アンド・ウィルコックス式石炭・重油混焼水管缶39基 +ブラウン・カーチス式直結タービン(高速型・低速型二軸並列型)2組4軸推進 |
最大出力 | 85,000 hp |
最大速力 | 28.0 ノット(公試時:28.7 ノット) |
航続距離 | 12 ノット/4,600 海里 25ノット/4,650 海里 |
燃料(満載時) | 石炭:3,300トン 重油:3,450トン |
乗員 | 1,109~1,200 名 |
兵装 | Mark 5 34.3cm(45口径)連装砲4基 Mark 7 15.2cm(45口径)単装速射砲12基 Mark 1 7.62cm(45口径)単装高角砲2基 オチキス 4.7cm(43口径)機砲4基 53.3 cm水中魚雷発射管単装4基 |
装甲 | 舷側:229mm(機関区のみ)、152mm(主砲弾薬庫)、152mm(舷側上部)、76mm~102mm~127mm(艦首尾部)、102mm(前後隔壁) 甲板:25mm(主甲板)、51mm(弾薬庫) 主砲塔:229mm(前盾)、229mm(側盾)、203mm(後盾)、82mm(天蓋傾斜部)、64mm(天蓋平坦部) 主砲バーベット:229mm(甲板上部)、102mm(上甲板)、102~76mm(甲板下部) 副砲ケースメイト:127~152mm 司令塔:254mm(側盾)、76mm(天蓋) |
タイガー (HMS Tiger) は[注釈 2]、イギリス海軍の巡洋戦艦[3]。同時期にヴィッカースが建造した日本海軍むけの巡洋戦艦金剛[注釈 3]と似た外観である[5]。タイガーは金剛型戦艦の改良型と評されたこともあるが[注釈 4]、実際には直接の関係はなく[注釈 5]、完全な同型艦はない(後述)。
概要
[編集]本艦はイギリス海軍の1911年度計画により1隻が建造された。ジョン・ブラウン社クライドバンク造船所にて、1913年12月15日に進水[注釈 6]。 第一次世界大戦開戦後の1914年10月に竣工した[10]。当初はライオン級巡洋戦艦と全く同型の4番艦となる予定だったが、日本の金剛型巡洋戦艦と比べ主砲塔の配置に遜色があることから、急遽設計を変更して建造された艦である。機関配置が船体中央部に集中したことにより、ライオン級において2番・3番煙突により射界が狭められていた3番砲塔が真後ろに射撃が可能となり、後方火力が倍増した。
タイガーの船体設計はアイアン・デューク級戦艦の巡洋戦艦化版であって、金剛型とは直接的には関係がない。またタイガーの装甲配置はライオン級と同じで金剛型とは異なる。よってタイガーを金剛型の改良型とする説は誤りである[注釈 5]。しかしタイガーの設計時に金剛型の機関配置を参考にした可能性はある。さらにタイガーの設計担当はフィリップ・ワッツ卿だが、彼は金剛の建造指導もおこなっている。
金剛型はレシャディエ級戦艦レシャド5世(エリン)[11]を巡洋戦艦化したものであり、レシャド5世(エリン)はキング・ジョージ5世級戦艦 (初代)をタイプシップとしている。タイガーのタイプシップであるアイアン・デューク級はキング・ジョージ5世級の改良型であるため[12]、両者は共通の先祖を持っているとも言える。
英独巡洋戦艦の戦力差に不安を抱いていたタイガーの将校は金剛型巡洋戦艦を意識しており、金剛級巡戦4隻のイギリス派遣を期待していた[注釈 7]。この件に関しては、チャーチル海軍大臣も金剛型戦艦を1隻か2隻北海に出動してもらいたいとの希望を漏らしたという[14]。
艦形
[編集]本艦の船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体を採用している。艦首は浮力確保のために水線下が突出していた。傾斜(シア)のまったくない艦首甲板上に「Mark 5 34.3cm(45口径)砲」を収めた連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上部構造物が始まり、その上に司令塔が立ち、その背後に操舵艦橋を組み込んだ前向きの三脚式の前部マストが立ち、本艦は就役時から頂上部に射撃指揮室が設けられた。
本級の煙突は前級と同じく3本煙突であるが、前級の反省から等間隔に並べられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、1番・2番煙突の左右に設けられた探照灯台を基部として片舷1基ずつの小型クレーン2基と3番煙突手前の大型クレーン1基の計3基により運用された。上部構造物は3番煙突と後部司令塔が立った所で終了し、船体中央部に3番主砲塔が後向きに1基、さらに後部甲板上には4番主砲塔が後向きに1基配置されたことにより間隔の離れた背負い式配置となっており、後方火力が前級の倍となっていた。 就役時の本艦には、後部マストがなかった[10]。
本級の副砲である「Mark 7 15.2cm(45口径)速射砲」は上部構造物の側面部に1基、船体中央部にケースメイト配置で片舷4基ずつ、3番主砲塔の後方に片舷1基の計12基を配置した。他に甲板上に対空火器として「7.62cm(40口径)高角砲」が単装砲架で2基を搭載した。
就役後のユトランド沖海戦後に3番煙突の後方の見張り所を高くして探照灯台を設置した。1918年に前部マスト上の射撃指揮室を拡大化して測距儀を設置した。この時に3番クレーンの基部を単脚式の後部マストへと改造した。1922年以降に3番・4番主砲塔の砲塔測距儀を大型の物に換装した。
1924年に7.62cm(40口径)高角砲2基を撤去し、「10.2cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基に強化したが後に2基に減少し、1925年に10.2cm高角砲を全て撤去して、代わりに新型砲架の「Mark I QF 7.6cm(45口径)高角砲」を4基に改められた。1928年に近接火器として「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲を単装砲架で2基を追加したが後の9月に撤去した。1929年に7.6cm(45口径)高角砲4基を撤去し、代わりに新型の「Mark V HA 10.2cm(45口径)高角砲」を4基に更新された。
兵装
[編集]主砲
[編集]本級の主砲は「Mark 5 1912年型 34.3cm(45口径)砲」を採用したが、主砲塔は前級「クイーン・メリー」にのみ搭載された新型砲塔を採用したことにより重量弾を運用することが可能となった。これにより前級の567kgの砲弾から635㎏砲弾を最大仰角20度で射距離21,710mまで届かせることができ、射程9,144mで舷側装甲318mmを貫通できる性能であった。砲塔の俯仰角能力は仰角20度・俯角3度で発射速度は毎分1.5発であった。旋回角度は首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持っていた。
副砲、その他武装等
[編集]本級の副砲は対駆逐艦火力に欠けていたことから、新設計の「Mark 7 1901年型 15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は重量45.4kgの砲弾を射距離2,740mで舷側装甲51mmを貫通できる性能であった。発射速度は毎分5~7発、砲身の仰角は15度・俯角7度で動力は人力を必要とした。射界は80度の旋回角度を持っていた。
その他に第一大戦後に飛行船からの爆撃が指摘されたために7.62cm単装高角砲を甲板上に2基を搭載した。対艦攻撃用に53.3m水中魚雷発射管を単装で4基を装備した。
機関
[編集]前級において船体中央部から3番主砲塔を挟んで艦後部に分散配置されていたボイラー室を本級は中央部に集中配置したために第一次大戦前の「装甲巡洋艦」と同じく前部にボイラー室、後部に機関室を置く旧時代的な配置を採っていた。ボイラー室は横隔壁で5室に分かれており、艦首から7基+8基+8基+8基+8基と配置しており、1番煙突がボイラー15基、2番煙突が8基、3番煙突が8基を担当していた。5番ボイラー室とタービン室のあいだには3番主砲塔の中央部弾薬庫があるため、3番主砲塔と4番主砲塔の間隔は離れていた。
ボイラー形式はバブコック・アンド・ウィルコックス式石炭・重油混焼水管缶39基に新型のブラウン・カーチス式直結タービンを高速型1基と低速型1基を1組として2組で4軸推進で公試時には108,000馬力で速力30.0ノットを発揮し、通常は最大出力85,000馬力で速力28.0ノットを発揮した。燃料は石炭2,450トン、重油2,450トンでカタログデータは10ノットで4,650海里までしか航行できず、巡洋艦のように遠出は出来なかった。
防御
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ジュッドランド沖海戦での損傷個所。
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ジュッドランド沖海戦で機関区の主装甲229mmは28cm砲弾で貫かれた
防御方式は当時の主流として全体防御方式を採用しており、舷側装甲帯は1番主砲塔から4番主砲塔の弾薬庫を防御すべく長さ198m・高さ3.5mの範囲を防御した。しかし、229mm装甲で守られるのは機関区のみで、前後の弾薬庫は最厚部でも152mmでしかなかった。主砲弾薬庫は舷側装甲と別個に76mm装甲で覆われていた。水線下防御はあまり重視されておらず、石炭庫で浸水を止める考えで艦底部のみ2重底であった。 水平甲板の装甲は主甲板が25~51mmで水線部装甲と接続する部分は傾斜している。これに最上甲板の25mmで敵弾を受け止め、剥離した装甲板の断片(スプリンター)を主甲板で受け止める複層構造とした。
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3番主砲塔に28cm砲弾で空いた穴
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4番主砲塔のバーベットについた28cm砲弾の被弾痕
主砲塔の装甲は前盾と側盾229mm、後盾203mm、天蓋は前盾に近い傾斜部分が82mmで平坦部が64mmであった。基部のバーベットは甲板上は229mmだが、最上甲板の下は152mmとなり、主甲板から下では102mmでしかなかった。主砲塔の弾薬庫の装甲厚は水線部76~152mmとかなり薄くなっており、主砲に見合った防御力は無かった。副砲のケースメイト(砲郭)は前級では無装甲で危険であったが「タイガー」は127mmから152mm装甲が張られて強化された。本級の防御力は実戦において証明された。
艦歴
[編集]1914年8月に第一次世界大戦が勃発した時はタイガーはまだジョン・ブラウン社のクライドバンク造船所で建造中であった。タイガーは1914年10月に就役し、デイビッド・ビーティー提督が率いる第1巡洋戦艦戦隊に編入された。第1巡洋戦艦戦隊には、本艦の他に巡洋戦艦ライオン、プリンセス・ロイヤル、クイーン・メリーが所属していた。
1915年1月24日[15][16]、タイガーはビーティー提督の指揮下において、ドッガー・バンク海戦に参加した[17][18]。 この海戦でタイガーは複数の命中弾を受け、10人の乗員を失った[19]。また、タイガーは225発の砲弾を発射したが、命中したのは1発のみであった。海戦後、ビーティー提督は安保清種大佐(日本海軍の観戦武官)に「タイガーのかわりにクイーン・メリーでも参加していたら…」と嘆息したという[注釈 8]。
1916年5月31日、タイガーはユトランド沖海戦に参加した(ユトランド沖海戦、戦闘序列)。本海戦におけるタイガーは、ドイツ帝国海軍の巡洋戦艦モルトケとフォン・デア・タンに命中弾を与えた[21]。だが本艦もドイツ巡洋戦艦から15発の11インチ砲弾を受けた。この内13発は、巡洋戦艦モルトケからのものであった。この海戦では乗員24人が戦死した。戦死者の大半は海戦初期にQ砲塔に大損害を与えた命中弾によるものである。クイーン・メリーなどが爆沈し[22]、一部で巡洋戦艦という艦種に疑問符がつけられたものの[23]、ともかく本艦はユトランド沖海戦を切り抜けた。ユトランド沖海戦での損傷は7月2日までに修理された。修理完了後、ライオンが修理中の間の臨時の第1巡洋戦艦戦隊旗艦を務めた。
1917年11月17日、タイガーは巡洋戦艦レパルス[24]やカレイジャス級巡洋戦艦などと共に第2次ヘリゴラント・バイト海戦に参加した[注釈 9]。タイガーに乗艦していた日本海軍の観戦武官(吉岡保貞、機関中佐)も、この海戦を見聞している[25][注釈 10]。その後、レナウン級巡洋戦艦と行動を共にして北海における哨戒活動などを行った[27]。
1918年7月18日、整備を終えて出渠する[28]。当時の巡洋戦艦艦隊司令長官は、ウィリアム・パケナムであった[28]。パケナム中将は観戦武官として日露戦争に参加[29]、日本海海戦では戦艦「朝日」に乗艦していた[28]。観戦武官としてタイガーに乗艦した日本海軍の山中政之機関少佐にも[30]、親身になって対応したという[28][注釈 11]。
11月21日に大洋艦隊 (Hochseeflotte) がスカパ・フローに到着した時、タイガーも記念すべき瞬間に居合わせた[32][33]。タイガーからは、かつて本艦と交戦したフォン・デア・タンとモルトケの姿を見ることができた[33]。
第一次世界大戦後の1919年から1922年にかけて大西洋艦隊に配属され、この間に定められた1921年のワシントン海軍軍縮条約でも保有を認められた[34]。軍縮条約の結果、イギリス海軍の保有する巡洋戦艦は4隻(タイガー、レナウン、レパルス、フッド)となり[34]、巡洋戦艦戦隊を編成した[21][35]。 15インチ砲8門搭載戦艦10隻(クイーン・エリザベス級戦艦5隻、リヴェンジ級戦艦5隻)を擁するイギリス戦艦部隊に比べて、巡洋戦艦戦隊は画一性を欠いたが、それでも恐るべき威力を秘めていた[注釈 12]。
「タイガー」および戦艦3隻の代艦が建造可能となるのは、1935年であった[34]。 1924年から1929年にかけて砲術練習艦となったほか、1929年に“マイティ”フッドが改装のため艦隊を離れた際は、短期間ではあるが巡洋戦艦戦隊に復帰した。なおこの際、ロイヤル・オーク事件の当事者の一人であるケネス・ドワー少将がタイガー艦長として着任している[注釈 13]。
その後、1930年のロンドン海軍軍縮条約により廃棄されることになり[注釈 14]、1931年に除籍[注釈 15]。1932年2月に解体のため売却処分された。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 第二節 巡洋戰艦[1] 最新巡洋戰艦ハRepulse級ナルガ同艦ハ大口径砲數少ク防禦薄弱ナルトテ一般ニ評判宜シカラズ速力ノ如キモ竣工後幾多ノ防禦ヲ附加シ重量ヲ増加セルガ故ニ計畫ヨリモ多少減少シタルモノノ如シ 現在巡洋戰艦トシテハTiger型ヲ以テ最良ト認メラル後テ今後巡洋戰艦トシテハTigerノ改良型タルHood型ヲ以テ最良トスルニ至ラン(以下略)
- ^ 巡洋戰艦タイガー(一九一四年竣工)[2] 排水量二六五〇〇噸、時速三〇節。除籍されたるものゝ如し。
- ^ 1911年11月起工、1912年5月進水、1913年7月竣工、安保清種は英国大使館付武官として受領した一人[4]。
- ^ ◎世界海軍の趨勢 獨佛露三國の發達[6] 近着のブラツセー海軍年鑑によりて世界海軍の主なる趨勢を見るに從來戰艦と総ての點に於て區別せられたる装甲巡洋艦の威力が年と共に發達したるため今や兩艦の能力殆ど一致して名も戰闘巡洋艦と稱するによりて見るも千九百五年進水のインヴヰンシブルに比し同十年進水のインデファチアブルは全長二十五呎幅十八呎排水量千五百噸を増加しあるに其インデファチカブル進水の時起工せしライオンは更に著大なる發達を示し排水量のみにしても約七千六百噸といふ目覺しき増加を現はせしが同國は尚之に滿足せず近々我が金剛と同型なる二万七千餘噸のタイガーを起工せるが如く曾て最新式と稱せられたる戰艦コンクエラー級の如きは右ライオンに對して及ばざること遠きものとなれり(以下略)
- ^ a b (金剛型建造、構造について)[7](中略)日本海軍ノ造船官ハコノ型式ヲ全部自己ノ頭腦ヨリ搾リ出シタリト稱シ居ルモ技術上ノ最困難ナル問題ハ毘社ニテ解決セリト信セラル當時英國ハ金剛ノ設計ヲ非常ニ賞讃シ其長ヲ採ランカタメニ「タイガー」ノ設計ヲ模様換シタル程ナリトノ噂アリシモ其ハ誤傳ナリシナリ、金剛ハ三一箇月ニテ竣工シ日本ニ造レル三艦ハ三〇箇月乃至三八箇月ヲ要シタリ四艦ハ何レモ公試運轉ノ時契約速力ヲ超過シタリ。(以下略)
- ^ ◎十萬馬力の新英艦 ― タイガー號の要目 ―[9] 十二月十五日英國クライドバンクのブローン造船所にて進水式を擧げたる新巡洋戰艦タイガー號は獨り英國海軍といはず實に世界無比の新計畫に基けるものにしてライオン、クイン、メリーに比し更に二節の快速力即ち最強馬力三十節馬力十万を算しその総排水量また二万八千五百噸主砲は十三吋半砲八門に副砲として六吋砲二十門を搭載すべし(記事おわり)
- ^ (中略)[13] 多クノ士官ハ味方ノ巡洋戦艦ノ勢力ニ不安ヲ持ツテ居ル從テ日本ノ巡洋戦艦ニハ常ニ多大ノ注意ヲ払ヒ横濱長崎ノ名ヲ知ラヌ先生迠比叡 金剛 榛名 霧島ノ名ト要目丈ハ暗誦シ時ニ余ニ送抠ヲ喰ハセルコトガアル。「金剛ハ今何処ニ居ル、何時「ロサイス」ニ来ル、早ク来ナイト間ニ合ハナイジャナイカ「パナマ」ヲ通レバ十五日デ来ラレル
ジャナイカ」ナド馬鹿ナ難題ヲ吹掛ケ日露戦争ノ時「トライヤンフ」ガ日進 春日ノ回航ヲ陰ニ助ケタ話(真偽ハ知ラズ)ナドスル手合モアル。(以下略) - ^ (乗組員の練度について)[20]前世界大戰中に、私が、英國艦隊に從軍して居た時にも、新造大戰艦のタイガーと云ふのが、開戰後間もなくビーチ―司令長官の麾下に編入されて來たので、艦隊の面々は非常に有力な勢力が加はつたと大喜びであつたが、愈々ドッカーバンクの海戰となつて、獨逸の艦隊の射ち合つて見ると、本當の射撃訓練を經てゐないから、彈丸が當らない。彈丸の當らない戰艦などは無いも同然で、見かけだけは大きな戰艦が出來ても、戰闘力にはならない。
このドッガーバンク海戰は、獨逸の巡洋戰艦ブリュッヘルを撃沈し、英國艦隊の勝利となつたが、長官の旗艦ライオンが大損害を被り、戰ひ半ばにして戰場を離るゝことゝなり、結局決戰を見るに至らなかつたもので、この合戰の直後ビーチー長官は私に對し、タイガーの代りにクヰンメリー(私の乗艦で射撃訓練の特に優れた巡洋戰艦)でも加はつてゐたら、敵の大艦をもう二隻位は遣つ付けたものにナー、とつくづく嘆聲を漏らして居た。(以下略) - ^ 巡洋戦艦レナウンは、入渠中のため不参加[25]。
- ^ 他に山口熊平中佐が巡洋戦艦グローリアスに乗艦していた[26]。
- ^ 去ルニ臨ンデ長官「パケナム」中将ヨリ「ランチ」ニ招待サレタガ其節長官ハ種々独逸ノ艦ノコトヤ思想上ノ事ヲモ説カレタ[31]。「ドレッドノート」建造当時ノ昔話ヲモセラレ日本カラ一時帰英シタ時「フヰツシヤー」元帥カラ「ドレツドノート」ノ模型ヲ見セラレ決シテコノコトヲ誰シモ口外セヌ旨誓ヘト強イラレタコトヤ、日本ノ士官ニ丈ハ之ヲ話ス義務ガアルト抗辯シタコト又大艦ノ魚雷ガ防禦的ノ意味デアルコトナドヲ話サレタ 素人ノ余ハ少シ応対ニ間誤ツイタ。巡洋戦艦ノコトモ論ゼラレ「ライオン」級ハ防禦薄弱ニシテ自分ノ主張シタ処ニ合致シナイト説キ「フード」型ノ理想的ナルヲ述ベ近々同艦ノ工事ヲ視察スル積デアルト言ハレタ 終リニ「日英風俗習慣ハ非常ニ異ツテ見エルケレ度思想ノ機微ニ触レテ見ルト相通ジテ居ル処ガ多イト自分ハ思フ君モ必ズ左様ニ感ジタコトヽ信ズルガ将来日本ニ帰ツテカラ后モ英國海軍ト云フモノヲ日本ノ海軍ニ結ビ付ケル考ヘヲ忘ルヽコトナカランコトヲ希望スル」ト述ベラレタ
- ^ (中略)[36]本艦隊ノ各戰隊ハ殆ント同質艦ヲ以テ成ル乃チ十隻ノ戰艦ハ僅ニ二種ノ艦型ニ分タルルノミニシテ之レサヘモ其差ハ只速力ノ奈何ニアルノミ、武器装甲ノ點ニ於テハ十隻ノ戰艦ハ孰モ事實上同一ノモニ属ス、「フッド」「レナウン」「レパルス」及ヒ「タイガー」ヨリ成ル巡戰戰隊ハ畫一ヲ缺クモノアリ、若シ最初ノ造艦計畫ニシテ實現センカ現今「フッド」級ノ四隻ヲ有セシナル可シ然レドモ「フッド」級ノ爾餘ノ三艦「アンソン」「ロドネー」及「ハウ」ハ平和克復後間モ無ク製艦ヲ取消シタリ、而モ現時ノ如ク艦隊編制ヲ縮小スルモ尚且ツ本艦隊ハ威力侮ル可カラス、巨砲力ニ加フルニ少クトモ二十九節ノ集合速力ヲ有ス、大西洋艦隊ニ編入セラレタル輕巡艦、驅逐艦及潜水艦ハ言フ迄モ無ク近代的設計ニ属シ精鋭ノ艦船ナリ。(以下略)
- ^ オーク號事件で問題の艦長[37]二十四日倫敦發)英國軍艦ローヤル、オーク號の司令官排斥問題で査問會議に附せられた同號艦長は巡洋戰艦タイガー號の艦長に任命された。(記事おわり)
- ^ 条約本文[38]コマ2〔 第二條 合衆國、「グレート、ブリテン」及北部「アイルランド」聯合王國竝ニ日本國ハ左ノ主力艦ヲ本條ニ規定セラルル所ニ從ヒ處分スベシ/合衆國「フロリダ」「ユター」「アーカンソー」又ハ「ワイオーミング」/聯合王国「ベンホー」「アイアン、デューク」「マールバラ」「エンペラー、オヴ、インディア」「タイガー」/日本國 比叡(以下略)
- ^ 英國三戰艦 廢棄決定 新年度總豫算卅四萬磅減[39](五日倫敦發)倫敦海軍條約に依り英國海軍はベンボー、エムペラー オブ インデア、マールボーローの三戰艦闘と戰闘巡洋艦タイガー號を廢棄し且つアイアン ヂューク號(戰闘艦)を非軍用として殘す事となれるが、右は愈々新年度内に實施される筈で、此の事は海相アレキサンダー氏の新年度海軍豫算説明中に説かれて居る(以下略)
出典
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参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『6年4月16日 英国巡洋戦艦「タイガー」水線下損傷状態に於ける吃水の変化及其傾斜角度に就いて』。Ref.C10100770200。
- 『「6年11月30日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(1)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792400。
- 『「6年11月30日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の1(2)」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792500。
- 『「6年12月1日 自5年6月至6年8月 英国大艦隊作戦の大要 其の2」、大正5年 外国駐在員報告 巻4(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100792600。
- 『「8年3月10日「ハイシーフリート」の降服を見たるまで及び毒瓦斯に就いてに関する件」、大正6年 外国駐在員報告 巻2(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100815500。
- 『「8年1月20日 乗艦報告の件 「インドミタブル」及び「タイガー」乗艦報告(1)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100818800。
- 『「8年1月20日 乗艦報告の件 「インドミタブル」及び「タイガー」乗艦報告(2)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100818800。
- 『「8年1月20日 乗艦報告の件 「インドミタブル」及び「タイガー」乗艦報告(3)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100818800。
- 『「6年11月15日 英海軍視察報告」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100819600。
- 『「6年10月16日 英海軍視察報告」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100819700。
- 『「6年12月12日 英海軍視察報告」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100819800。
- 『「7年3月3日 英海軍視察報告(1)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100819900。
- 『「7年3月3日 英海軍視察報告(2)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100820000。
- 『「7年3月3日 英海軍視察報告(3)」、大正6年 外国駐在員報告 巻3(防衛省防衛研究所)』。Ref.C10100820100。
- 『7年4月15日 大正6年11月17日「ヘリゴランド・バイト」に於ける英独前進部隊の戦闘報告の追補』。Ref.C10100829100。
- 安保清種(海軍大将)『武将夜話 明日の海』東水社、1943年3月。doi:10.11501/1450673 。
- 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
- 世界軍備研究会(編)『世界海軍大写真帖』帝国軍備研究社、1935年6月 。
- 高木宏之『英国軍艦写真集 British warship photograph collection』光人社、2009年1月。ISBN 978-4-7698-1415-3。
- ヘクトル・バイウォーター 著『太平洋海權論』海軍軍令部 訳、水交社、1922年7月 。
- 「Conway All The World's Fightingships 1906–1921」(Conway)
- 「Jane's Fighting Ships Of World War I」(Jane)