伊良湖 (給糧艦)
伊良湖 | |
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公試中、もしくは完成直後の伊良湖 (1941年、日本海軍識別用資料に掲載の写真) | |
基本情報 | |
建造所 | 川崎重工業[1]艦船工場 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 運送艦(給糧艦) |
母港 | 佐世保 |
艦歴 | |
計画 | ③計画 |
起工 | 1940年5月30日[1] |
進水 | 1941年2月14日[1] |
竣工 | 1941年12月5日[1] |
最期 | 1944年9月24日大破放棄 |
除籍 | 1945年11月30日 |
要目(1938年計画時) | |
基準排水量 | 9,570英トン[2][注釈 1] |
公試排水量 | 11,100トン[3] |
満載排水量 | 12,001.6トン[4] |
全長 | 152.00m[3] |
水線長 | 145.10m[3][注釈 2] |
垂線間長 | 143.50m[3][注釈 2] |
最大幅 | 19.00m[3] |
深さ | 12.264m[4] |
吃水 |
公試平均 6.05m[3] 満載平均 6.46m[4] |
ボイラー | 艦本式ロ号混焼缶6基[2][5] |
主機 | 艦本式タービン(二重減速装置付)2基[2] |
推進 | 2軸[2] |
出力 | 8,300shp[4] |
速力 | 17.5ノット[2] |
燃料 | 重油520トン、石炭1,670トン[4] |
航続距離 | 6,600カイリ/ 14ノット[3] |
乗員 |
計画乗員 426名(傭人49名を含む)[6] または361名(傭人76名を含む)[7] 竣工時定員 299名[8] |
兵装 |
45口径12cm連装高角砲 2基[3] 25mm機銃 連装2基[9] 25mm機銃 3連装3基(1944年増設)[10] |
搭載艇 | 9隻[2](内 12m糧食配給艇3隻 12m真水配給艇1隻、他[11])もしくは8隻[12] |
その他 |
25,000人に14日分の食料補給[13]として898トン[14] 補給用真水1,000トン[14][15] |
伊良湖(いらこ)は[16]、日本海軍の特務艦(運送艦)[17]。 「伊良湖」の名は、愛知県渥美半島先端の「伊良湖岬」、及び神島の間の「伊良湖水道」がある[18]。
計画
海軍では艦隊随伴能力を持つ給糧艦が間宮1隻のみであることに危惧を抱いており、長らく新しい給糧艦が要望されていたが、昭和13年(1938年)度の③計画の追加分としてようやく建造が決定した[19]。 基本計画番号J20[20]。 当初の要求は基準排水量5,000t、速力20ノット、25,000人に20日分の食料補給であったが、とてもこの要目には収まらずに公試8,000t、速力18ノット、ディーゼルエンジン装備で計画は進められた[21]。 しかし燃料を石炭とする要求があって更に排水量は増え、最終的に公試排水量11,100t、速力17.5ノット、25,000人に14日分の食料補給に落ち着いた[22]。 詳細設計は川崎造船所に任され、建造も神戸にある同社の艦船工場で行われた[23]。
資料によっては間宮の同型艦としているものがあるが、誤りである。
艦型
艦型は三島型の商船構造[19]である。
食料補給は25,000人に20日分の要求のところ、艦型の問題から14日分とされたが、設計では要求をなるべく満たすよう努力され、獣肉約19日分、魚肉約17.8日分、野菜約18.8日分、新漬物などが搭載可能であり、それら専用の冷蔵庫を装備、その他に貯糧庫や味噌庫、旧漬物庫などが設置された[13]。 また現地で調達した食料を冷凍するための冷凍庫や製氷設備も設置された[24]。 艦内の工場は、酒保で販売する菓子や清涼飲料の生産設備があり、生パン及パン菓子、餅菓子及焼饅頭、最中及羊羹、飴、ラムネ[要曖昧さ回避]及アイスクリームの製造室があり、更に豆腐及蒟蒻製造室、新漬物製造室もあった[25]。
その他に洗濯設備として1日に夏服400着を処理できる洗濯室、火熨斗(ひのし)室も設けられた[25]。 また通信監査艦としての任務が考慮され、長波・短波兼用の九二式特受信機30台(計画では32台[26])を設置した[23]。
揚貨装置としては2トン電動ジブクレーン8基、前部10トンデリック1基、後部20トンデリック1基、冷蔵品揚卸装置1式を装備、後部デリックを更に1基増備する計画もあったため、後部の支柱は門型とされた[27]。 艦載艇は配給用として12m糧食配給艇3隻、12m真水配給艇1隻、その他5隻の計9隻[27][11] の搭載が計画された。ただ8隻搭載とする文献[12]もあり、1944年作成の略図でも艦載艇は8隻のみが描かれている[28]。
主機は当初ディーゼルエンジンを搭載する計画であったが、この場合でも給糧艦であるため大型の補助ボイラーを搭載する必要があり、機関容積、重量ともに増大するために断念された[29]。 その他レシプロエンジンやタービン1軸の案も検討されたが、いずれも問題点があり断念された[29]。 搭載された主機のタービンは新設計とすると時間を要するため、敷設艦津軽と同じものとなった[29]。 ボイラーは燃料行政上、将来的に重油が枯渇する問題があることから重油と石炭の混焼[29] (文献によっては石炭専焼[5][21])とされた。 このため煤煙や石炭の粉塵が食品に混入することを防ぐために各種の工夫がされた[30]。 排煙内の煤の量を少なくするため、なるべく大きなボイラーを搭載して燃焼度を下げ、また排煙の速度を下げて煙突内で煤を除去しようと煙突の直径を太くした[30]。 更に排出された煤が遠くに拡散するように煙突は高くされ[30]、 その高さは水面上約28mとなった[19]。
兵装として高角砲は12cm高角砲2門の計画[26]であったが、12cm連装高角砲2基4門となった[3]。 機銃は25mm連装機銃が艦橋両���に1基ずつ装備され、あ号作戦後の1944年6月以降に3連装機銃3基が増備された[10]。
艦歴
1940年(昭和15年)5月30日に起工。1941年(昭和16年)2月5日に伊良湖と命名[16]、特務艦中の運送艦に登載[17]され、本籍を佐世保鎮守府と仮定[31]。2月14日、進水。9月2日、艤装員事務所を神戸市川崎重工業内に設置[32]。12月5日に竣工。同日附で本籍を佐世保鎮守府と定められ[33]、連合艦隊へ編入された。12月24日、宇垣纏連合艦隊参謀長は戦艦大和を視察したのち、伊良湖を訪問した[34]。艤装上の不満を訴える特務艦長に対し、宇垣は伊良湖の充実した野菜倉庫や、優秀な菓子類製造能力を誉めている[34]。同時に速力18ノット発揮可能という点にも注目し、対潜の観点から『海軍の特務艦は今後二十節を出し得る事絶對的なり。徴用船舶も亦然るを要す。茲に於て平素より優速船の建造奨励に関し一段の努力必要なりと認む』と述べた[34]。
1942年(昭和17年)1月、呉を出港し、トラック諸島、ルオット方面へ糧食補給を行う。2月から5月にかけてダバオ、セレベス島スターリング湾方面の艦船に対する糧食補給、マカッサルへの輸送に従事。8月からは呉とトラック間の輸送に13回従事した。
1943年(昭和18年)8月1日、伊良湖は駆逐艦天津風、浦風と共に呉へ到着したが、その際に4月のカビエン空襲で大破した重巡洋艦青葉も同行していた[35]。
1943年(昭和18年)12月7日、伊良湖と靖国丸は航空母艦千歳、第16駆逐隊の2隻(天津風、雪風)に護衛されてトラック泊地を出発[36]。14日、横須賀へ帰投した[37]。
1944年(昭和19年)1月3日、伊良湖は第27駆逐隊2隻(時雨、春雨)に護衛されて横須賀を出港[38]、11日にトラック泊地へ到着する[39]。 1月20日、トラック北方でアメリカ潜水艦シードラゴンの雷撃を受け損傷し浸水したため、駆逐艦涼風が現場へ急行[40]。だが涼風による曳航は曳航ロープが切断し失敗した[41]。浸水が進む中、増援の要請に対し重巡洋艦鳥海、駆逐艦潮等も救援に駆けつけ、伊良湖はなんとか沈没を免れた[42]。
2月14日、伊良湖は水上機母艦能登呂、海軍徴傭船辰浦丸、陸軍徴傭船日美丸の4隻で第4213船団を編成[44][注釈 3]し、隠岐、満珠、第31号駆潜艇[注釈 3]の護衛を受けてトラックを出港し内地へ向かった[45]。
伊良湖は内地に帰投後、横浜、佐世保において修理を実施した。7月5日、南西方面艦隊付属に編入された。8月に修理を終えマニラへ出港。9月21日、マニラで空襲を受けコロン湾に退避した。同日、駆逐艦皐月が空襲を受け沈没、伊良湖は他艦と協力して生存者を救助した[46]。9月24日、コロン湾で水上機母艦秋津洲と共にアメリカ機動部隊艦上機の攻撃を受け、大破着底し放棄された。翌年11月30日に除籍となった。
現在はダイビングスポットになっている。
特務艦長
- 艤装員長
- 特務艦長
- 辻榮作 大佐:1941年12月5日[48] - 1942年4月10日[49]
- 富澤不二彦 大佐:1942年4月10日[49] - 1943年3月15日[50]
- 岡野慶三郎 大佐:1943年3月15日[50] - 1943年9月19日[51]
- 宮本八十三 大佐:1943年9月19日[51] - 1944年11月10日[52]
同型艦
改⑤計画で本艦の改型である基本計画番号J20c[20]、仮称艦名第5408号艦、予定艦名久須見[53]の建造が計画されたが、戦局悪化のため1944年5月5日に計画中止[54]となった。
脚注
注釈
- ^ 『昭和造船史 第1巻』794頁によると9,750T。
- ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」3頁によると、垂線間長145.10m、水線長142.50m(吃水6.50mにて)。ただし、垂線間長の方が水線長より長いのは通常ありえないので、逆に転記したと思われる。
- ^ a b 当時の帝国海軍の正式用語として、正確には「船団」と、船団護衛部隊は別に扱われるものである。第一海上護衛隊、第二海上護衛隊等、護衛を受け持つ部隊は、被護衛対象と護衛艦艇を合わせた上で「船団」とは称しないのが正しいとされる。
出典
- ^ a b c d #内令昭和17年5月(2)p.22『伊良湖|運送艦|(艦要目略)|川崎重工業會社|15-5-30|16-2-14|16-12-5|(装備略)』
- ^ a b c d e f #内令昭和17年5月(2)p.22『伊良湖|148.11|19.00|5.40|9.570|(速力)17.5|(短艇数)9|(日時略)|大砲12C/m…2|「タルビン」2|艦本式6|(推進器数)2|(馬力)83.000』
- ^ a b c d e f g h i 『昭和造船史 第1巻』794-795頁。
- ^ a b c d e 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」3頁。
- ^ a b ボイラーは片桐大自の研究によれば石炭専焼である。片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』新装版、光人社、1993年p.575。
- ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」28頁。
- ^ 『海軍造船技術概要』906頁。
- ^ 海軍定員令 昭和16年12月5日付 内令第1594号制定分 「第91表ノ2 運送艦定員表其ノ6」。この数字は特修兵と軍属を含まない。
- ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」7頁。
- ^ a b 「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」『日本補助艦艇物語』369頁。
- ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」31頁。
- ^ a b 『写真日本の軍艦第14巻』26頁。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』906-907頁。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』908頁。
- ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」34頁。
- ^ a b #達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、一等潜水艦一隻、驅潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號驅潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』
- ^ a b #内令昭和16年2月pp.18-19『内令第百三十四號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|運送艦ノ項中「宗谷」ノ下ニ「、伊良湖」ヲ加フ』
- ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝p.575、伊良湖(いらこ)
- ^ a b c 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 29。
- ^ a b 世界の艦船 『日本海軍特務艦船史』、p. 139。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』900頁。
- ^ 『海軍造船技術概要』900-901頁。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』903頁。
- ^ 『海軍造船技術概要』902頁。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』908-909頁。
- ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」19頁。
- ^ a b 『海軍造船技術概要』911頁。
- ^ 「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」『日本補助艦艇物語』367頁、図75。
- ^ a b c d 『海軍造船技術概要』904-905頁。
- ^ a b c 『海軍造船技術概要』905頁。
- ^ 昭和16年2月5日付 内令第135号。
- ^ 昭和16年9月2日付 海軍公報(部内限)第3887号。
- ^ #内令昭和16年12月(1)p.31『内令第千五百九十一號 特務艦 伊良湖 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|昭和十六年十二月五日 海軍大臣嶋田繁太郎』
- ^ a b c #戦藻録(1968)54頁
- ^ #S1806呉防備戦隊日誌(4)p.11『護衛概要|1日|伊良湖、青葉|第二特別掃蕩隊(31kg)入泊航路上|対潜特別掃蕩』-p.48『1日(天候略)|一.青葉伊良湖天津風浦風0630沖ノ島通過北上第三特別掃蕩隊ハ右航路上ノ掃蕩哨戒実施(略)』
- ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.21『12月7日0500千歳/靖国丸、伊良湖、第十六駆逐隊(天津風雪風)横須賀ニ向ケトラック発』
- ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.47『14日/115天津風雪風横須賀着、1255秋月トラック着』
- ^ #昭和18年12月~2水戦日誌(3)p.13『27dg(時雨、春雨)横須賀ニ在リテ待機中/3日伊良湖ヲ護衛横須賀発』
- ^ #昭和18年12月~2水戦日誌(3)p.31『11日0900将旗27dg→各隊/27dg(時雨、春雨)伊良湖「トラック」着』
- ^ #昭和18年12月~2水戦日誌(3)p.9『涼風(略)19日雲鷹救難ノ為24dg(海風)浦風ト共ニ出撃セルモ命ニ依リ引返セリ、20日伊良湖救難ノ為出港翌21日入港』
- ^ #昭和18年12月~2水戦日誌(3)p.60『21日0305伊良湖/涼風ニテ曳航試ミタルモ「スリップ」切断曳航不能トナル進水漸次増加スルニ依リ他ノ曳船派遣方至急艇手配アリ度、涼風警戒任務ニ就カシメタリ』
- ^ #昭和18年12月~2水戦日誌(3)p.60『21日0701潮→2KEg 妙高(涼風鳥海曙九〇二空/伊良湖ハ浸水増加危険状態ナリ0700鳥海到着セリ(略)』
- ^ 『日本海軍全艦艇史』p.868.
- ^ 加入船名は駒宮『戦時輸送船団史』p. 140による。徴傭種別は、辰浦丸は「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表」に、日美丸は昭和16年1月25日付 運密第188号 "軍隊輸送船「コレラ」終熄ノ件報告"による。なお、駒宮『戦時輸送船団史』では、当該船団番号を4212としている。
- ^ #日本海防艦戦史49頁
- ^ #S1906第30駆日誌(1)p.23『1730頃|大発一隻現場ニ急行シ来ル日没迄ニ生存者全部ハ根拠地隊派遣艇(大発1隻)並ニ伊良湖其他ノ船ニ救助セラル』
- ^ 昭和16年8月11日付 海軍辞令公報(部内限)第688号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081700 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和16年12月5日付 海軍辞令公報(部内限)第764号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072083300 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和17年4月10日付 海軍辞令公報(部内限)第841号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072085100 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和18年3月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1069号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072090000 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和18年9月20日付 海軍辞令公報(部内限)第1219号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072093100 で閲覧可能。
- ^ 昭和19年11月13日付 秘海軍辞令公報 甲 第1642号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072101900 で閲覧可能。
- ^ 世界の艦船 No. 129、p. 43。
- ^ 戦史叢書 『海軍軍戦備(2)』、p. 95。
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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- Ref.C12070108700『昭和16年1月~6月達/達昭和16年2月(1)』。
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- 宇垣纏、成瀬恭発行人『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年1月。
- 世界の艦船 No. 129 (1968年5月号)、海人社、1968年。
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- 世界の艦船 No. 522 増刊第47集 『日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。 ISBN 4-562-00302-2
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- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
- 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」