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人手不足が深刻化している。「介護職員が集まらず、事業の一部を閉鎖した」「トラックドライバー不足で、荷物が運ばれなくなる可能性がある」などと聞くと空恐ろしさが募るが、「労働力不足は悪い面ばかりではない。不足といわず『希少』と呼ぼう」と亜細亜大学経済学部の権丈英子教授が提唱していると聞き、東京都内にある研究室を訪れた。
就業者数はむしろ増えたが
――労働力不足は悪くない、労働力希少と呼ぼうと提唱されていると聞きました。
「希少は『まれで、少ない』ということですから、希少と呼べば『希少な労働力を大事にしよう』という前向きなニュアンスが出てくると思います。一方、不足は不十分で良くないこと、困ったこと。すぐ手当てしなければと思いがちですが、そのまま人手だけ増やすことは、賃金が上がらないことにつながります。そもそも、この国で長く続いてきた困ったことは、賃金が上がらないことでした」
「賃金を上げなくても、企業が必要とする労働力を確保できたからです。日本の生産年齢人口(15~64歳)は1995年の約8700万人をピークに、この約30年間で約1300万人も減ったのに、就業者数はむしろ増えました。高齢者や女性で働く人が増えたからです。しかも、高齢者や女性は非正規雇用で、低い賃金で働く人が多い。つまり、企業は賃金を上げなくても、求める労働力を手にすることができたといえます」
――確かに、団塊の世代が高齢者の仲間入りをして、再雇用などで働く人が増えました。
「65歳までの雇用確保措置が企業に義務づけられたこともあり、団塊の世代という巨大な層が低賃金の労働力として高齢期も労働市場に
賃上げや経済成長につなげられるか
――どんなふうにですか。
「急速に伸びてきた高齢者と女性の就業者数が限界に近づきつつあります。団塊の世代が75歳以上となり、その下の65~74歳の高齢世代の人数は減ってきています。女性も、両立支援策が整ってきたこともあり、かつては低かった就業率が、今では他の先進国と遜色ないほど高まっています。第1子出産後に仕事を継続する人も増えています」
「もちろん、様々な政策を取ることで、高齢者と女性の就業者数は多少は伸びるかもしれませんが、そんなに大きな人数は期待できません。何よりも、生産年齢人口が今後、急速に減少します。2070年には今より約40%少ない約4500万人にまで減少するとの推計も出ています」
――いよいよ労働力が足りなくなる……。
「労働力希少社会の到来です。これはとても大事な転換点。労働力の希少性を、賃上げや経済成長につなげられるかどうかが問われているといえます」
――どういうことでしょうか。
「図を見てください。縦軸が実質賃金率(労働者が実際に受け取った給与である名目賃金から、消費者物価指数に基づく物価変動の影響を差し引いて算出した指数)、横軸が労働量です。ここ30年ほどは、W L という比較的低い賃金で企業は労働量を確保できていました。これまでは、L*のところまで労働量を得られていたからです」
「しかし、高齢者と女性の労働参入が限界に近づいたため、労働量はこれからはL**の方向に減っていきます。すると、これまでW L の賃金から水平に伸びていた労働の供給曲線が、時計と反対回りに回転し、企業はW H のところまで賃金を高くしなければならなくなります。労働条件も、魅力的にする必要があります」
「賃上げしても存続するためには、企業は、付加価値の高い製品やサービスを生み出すことが必要になります。これは個人や個別の企業にとってだけではなく、日本経済にとっても望ましいこと。こうした変化を労働力希少社会はもたらすといえます」
「もちろん、介護のように公定価格が関係する市場では、労働力を確保するための賃上げに要する財源の問題も議論する必要が出てきます」
生じつつある「ルイスの転換点」
――私たちは今、そうした大事な転換点に立っていると。
「開発経済学で『ルイスの転換点』という概念があります。工業化の過程で、工業部門に労働力を供給していた農村の余剰人口が底をつき、労働市場が
――そうすると、日本人が雇えないからといって、日本との賃金格差が大きい国から安易に、穴埋め的に外国人に来てもらうのは良くないということになりますね。
「企業がそうした行動に出たがるのはよくわかります。でも、これまでのように低い賃金で働いてくれる人が大勢いる労働市場のままでいれば、賃上げや労働条件の改善、機械化、デジタル化、生産性向上への機運は高まらず、これまでと同じでしょう。外国人を受け入れるなら、今起ころうとしている前向きな変化に水を差さないような政策が求められます」
「同時に、賃上げをはじめとした労働条件の改善が難しい企業に、安易に補助金を出すことも政府は厳に慎むべきです」