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古本オモシロガリズム

アメリカは社会主義国だったのか!?――「高度レファ」のコスト分析

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NDL
これのつづきね

「高度レファ」にすがっても、説明できなければ…
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20090916/p2

ありがたく(?)も大阪版市場化テストから初手からはずしてもらった「高度レファ」
その高度レファに、「高度で専門的なのは認めるけど、そもそも公費でやるべきなの(σ・∀・)σ」という本質的ツッコミが(・∀・)
これはヤヴァイ(*´д`)ノ
なんでこのようにツッコミまれちゃうのか、これにどのようにきりかえせるのか、チト考へてみた
説明にはいくつか手があるが、まずはいちばん迂遠な説明をば(・∀・)

米国人はみな社会主義者

もし、高度レファレンスが委員のつっこみどおりのもの(受益者が極小なのに単価が高額)でしかないならば、つぎのテーゼが成り立っちまう

米国人はみな社会主義者である 

だって事実として米国の図書館どこでも(無料で)レファやっとるからのう…(  ̄▽ ̄)

ほへー、知らんかった…( ・ o ・ ;) 米国は社会主義国家だったんだ…

なーんちて(・∀・)
んなわきゃー、ないよね(σ・∀・)
国全体の利益になりそうな国民保険でさへ、「社会主義的だから反対!」というデモがもりあがる米国で、なぜレファランス・サービスが存続を許されとるのか。それも直営で。
大阪の委員さんのように考えれば、高度レファなど米国でやれるわけ(続いているわけ)ないのだ。
でも現実は逆で、フツーにやられとる。
なにかおかしい… とわかる。
んぢゃ、なにがおかしいの? と、こーなる(σ・∀・)
もちろん、

大阪の委員さまが堕天使ルシフェル橋下の使い魔だから

という説も論としてなりたたんことはないが、そーいった魔術的説明図問研日図研日図協におまかせする(  ̄▽ ̄)
「委員=邪悪」説でない説明をこころみん!`・ω・´)o

<レファランス・サービス≠質問回答業務>なのぢゃ

大阪府立の館員さんってば、

ファランス・サービスは「質問回答」業務だ、とか「高度な調査」業務だ

ぐらいに委員さんに説明しちゃったのではないのかな(σ・∀・)σ
ちがふのぢゃ(´∀` )
そんなふーに司書自身が思い込んでをるから、市場化委員さまの正しきツッコミをまねいてしまふのぢゃ(´∀` )
ファランスってば参照。
参照作業のためのもろもろがレファランス・サービスで、1件で(大阪府立最大値)1万9千200円かかる質問回答は、そのごくごく一部でしかないのぢゃ

ファランス・サービスは、「レファランス・ワーク」についてのサービスのこと

ちょっと前まで米国でreference serviceと呼ばれとったサービスは、最初、reference workと呼ばれていた(〜1950s)。レファランス・ワークは、正しく訳せば「参照作業」なわけなので、んじゃあ、参照作業をしてたのは誰?というのが、この問題を考えるヒントになる。

そもそもレファランス・ワークをするのは誰(σ・∀・)

米国ぢゃあファランス・ワークは利用者もすなるものなのだ。その場合、人件費は$0!
Q.E.D. 証明終わり、ってか(゚∀゚ )

ファランスはセルフ・ヘルプがデフォ

利用者がだまって入館し、排架されとるレファランス・ツールをだまって引き、だまって退館する。
ハイこれでレファランス・ワークが1件解決(o^ー')b
って、この1件にはいったいいくら新規に税金がかかっとるのでしょう? ってゼロ円ぢゃ(ゼロ・ドル?)。
もちろん、目に見えないコストはあって、レファ本の手配や排架にはコストがかかっとることになるが、それらは基本的に使いまわしが効き、利用者がレファランス・ワークをやればやるほど、1件あたりのコストは減っていくことになる。
あゝ、このコスト構造ってば、公費支弁にまさにうってつけの構造ではありますまいか(゚∀゚ )アヒャ

アメリカ的にはおかしい「セルフ・レファレンス」というコトバ

けど、日本ではそもそもレファランス・ワークは誤解されとって、そのよい顕れが「セルフ・レファレンス」という言葉が日本の図書館界に存在してしまうこと。米国のように考えられてれば、利用者が自分で引くのはデフォなのだから、「セルフ」なんちゅーコトバはありえぬ。だから、reference work や、reference serviceにselfなんちゅーものは付かない(実際、ググっても、self reference work/serviceはほとんどないといってよい)。
これから「セルフレファレンス」を強化しようなどという掛け声があるのは、逆に今まで司書たち自身が、

ファランス・サービス=(時給4,800円の)正職員が質問に答える高度なこと

と考えてきたと証明されてしまうではないか(-∀-;)
これを受けて大阪の委員さまが、この延長上できちんと考えてくださったというわけぢゃ。
ルシフェルの使い魔が、またぞろ天使だらけの図書館界を攻撃していると思われたのは、実はまったく逆で、堕落してをったのは日本の司書どもであったといふ、笑えぬ話…(*´д`)ノ
まことに皮肉なことぢゃ。

ファランス・ライブラリアンってば、なにをするの?

質問に答えるのがレファランス・サービスの全てでないように、レファランス・ライブラリアンも質問に答えるヒトでは、ホントーはない(もちろん答えること「も」するが)。
教科書ではレファランス・サービスを二つにわけて説明している。

一次直接(ダイレクト):質問回答
二次間接(インダイレクト):ツールの整備

わちきに言わせれば、イチとニを入れ替えねばなんね。
つまり、利用者が参照作業できるようなコレクションをとりそろえるのが、レファレンス・サービスでありその担当者(レファレンス・ライブラリアン)だったというけ。
わちきにいわせれば、質問回答は、レファランス・サービスの中でも二次的なものということになる。極論すれば、きちんと完璧にツール整備ができていれば、クエスチョンに答える、ということ自体発生せんのぢゃ(もちろん、純粋理論上は、の話)。
実際に、某大のレファランス担当は、実際にクエスチョンに答えることはほとんどせず、ツールの整備ばかりしとると聞いた。
むかし、稲村テッチャンなどが活躍した専門誌に『参考書誌研究』といふものがあって、なして"Reference and bibliography"とセットなのかといへば、bibliographyの整備がreference serviceの重要な一部であったからである。いま、bibliographyとはネット情報資源のリンク集であるといってもよい。

ぢゃあ、レファランス・クエスチョンってなんなの?

でも、現実に発生するレファランス・クエスチョンって何なのという話にトーゼンなるが、これは本来、利用者がやるレファランス・ワークの例外的代行ということになる。これは、既存のツールの既存の使い方では答えがでないような疑問を、発見したり、ツールの整備不備を発見するようなパイロット的な事業と考えればよい。
もちろんほとんどのレファランス・クエスチョンは過去の事例を参照すること(それこそレファランス)で、ゼロからやれば19,200円かかるものが1,600円ですむようになっている(はず)。
もし過去・他館の事例を参照(refer)して、なければ、しょーがない。19,200円かけてそのクエスチョンに答えを(正確には答え方)を見つけねばならん、とゆーことになる。
けど、この新規の19,200円事例はスグさま事例になるわけなので、事例を利用者がリファーできるようになっとれば、新規コスト0円で、それらになんらかの支障があっても1件1,600円で処理できるという、なんともはや、公費支弁にフィットし、さらに外部経済性もありまくりのすばらすぃ〜業務が展開されまくる、という理屈になるわいな。
たとえば小学校などというものは基礎自治体がやれば本来はよくって、国立や県立の小学校など1つも要らないはずなのだけど、新規教育法の開発や、事例の新発見のためにパイロット的に行なわれとる。実はレファランス・クエスチョンってば、全体としては展開すればするほど社会的効用の高まるレファランス・サービスのうち、(金がかかるのもやむをえない)パイロット事業的部分、ということになる。
「高度レファ」(んな用語はハジメテ聞いたが)が、1件19,200円かかり1人にしか当座役立たないのは事実だが、それは国立の小学校が存在するのと同じ理由だ、ぐらいのことをスグ言いかえさなきゃ。

余談1:2つの部屋の比較

だから、ここに2つのレファランス・ルームがあるとして���片方は、ワンワン、ワンワン、係員が利用者に一生懸命、指示・回答しておるのと、片方は、しずかーぁで、質問するのはちょびっとで、ほとんどの利用者が勝手にレファ本をみて勝手に帰っちゃうのと、どっちが本来的に公費支弁にフィットするかといわれれば、意外なことに…(・∀・)

余談2:コスト構造論

で、この、図書館サービスにおけるコスト構造の問題は、来る次号の『文献継承』にわちきが載せる「ゴロウタンは三度死ぬ」の後半部分で展開しておるので、よろ〜(*´д`)ノ
てかコスト構造論は、当然ながら課金の可否と直結しておるから、戦後一貫して、1950年図書館法17条の無料原則をめぐるイデオロギー論にからめとられて深まらんかった。無料厳守派は館界内でイデオロギー的に勝利を収め、安心しておったわけぢゃが、今回みたいに外界から黒船がやってきたときに、防衛線がぜんぜん引けんということになる。この委員のつっこみはその予兆ぢゃ。
「国法が禁じてるから禁止」とか、「とにかく禁止」とか。ほんとうは、各種サービスにはそれぞれ固有のコスト構造があって、そのコスト構造類型やサービス類型によって公費・私費、課金・無料がふさわしい、というのが自然にでてくるはずなんだけれども(無料原則はその歴史的帰結として規範化されたと考えるべき)、まともな議論がそもそもなかったというのは、この前読んだ論点整理本に書いてあったところぢゃ。

課金=悪、ではない

ベルギーの公共図書館はなんと閲覧料をとっているというし、ドイツでも取り始めたという。また、米国ではベストセラーの複本貸出しに課金して、ベストセラーの貸出と納税者、出版社との調整を図ってをる。じゃあ、ベルギーやドイツ、米国の公共図書館は天をもおそれぬ悪々図書館なのか、といへば、はっきりいって日本よりずっとよい公共図書館でせう。

訂正(2010.4.18)

レファレンス・サービスを2つにわける話で、つい一次、二次と書いてしまったけれど、これはわちきの覚え誤りで、長沢(1995)によれば、ダイレクト(直接)とインダイレクト(間接)という区分けだった。
もちろん、わちきが一次、二次とまちがえて憶えてたのは、なにを隠そう、華々しくお客さんに対応するのが第一の優先事項で、うしろでちまちまと古本を買ったりするのは優先事項の低い二次的なこと、という思い込みがあったわけだわさ。
おそらく(業界のなかでは相対的に*1)有能なる大阪府立の人々も、わちきと同様の誤解をしていたのではあるまいか。
で、長沢(1995)を読むと、ダイレクトとインダイレクトのどちらがより重要とかは書いてない。

参考文献(2012.4.21追記)

レファレンス・サービスのコスト構造については、いままで日本語のレファレンス・サービス本のほとんどを読んだ記憶があるが、未見。いちおー、わちきの説といふことで(σ^〜^) 話では米国では今まで問われるまでもなく上手くいっとったサービスなので、枠組み自体が論の対象にあまりならなかったのではないかといふ――って、誰の「話」なのかってか(;´▽`A``
といふことで、レファレンス・サービスについては、なんとまぁ未だに長沢御大の本が基本。

  • 長沢雅男 著. レファレンスサービス :. 丸善, 1995.3. 245p

ただこれは長沢先生の弱点――ああ、畏れおおい――は、日本への適用法がほとんど考えられていないこと。まあ米国がへりの長沢先生の立ち位置では、アメリカにならうのがデフォだったのでせうけど(´・ω・`) けどニッポンジン、アメリカのサルまねなかなかできないアルヨ。マネの仕方も議論せねば。たとえばダイレクトRSもインダイレクトRSもおなじRSの一部でしかないけど、それをアメリカ流にただ記述してしまふと、ダイレクトがRSのメインと思っちゃうニホンジンをミスリードすることになりはしまいか。ってか帝国陸海軍もさうだったけど――そして今もさうだけど――ニホンジンって、前線の華々しいバトルが重要と思っちゃうけど、じつは地味な兵站(ロジスティックス、ここではインダイレクトRS)を軽視したり、はなはだしい場合にはバカにしたりするからねぇ。
最近のものでは、次のものが比較的よいが、大学図書館に特化しているような。。。

  • 情報サービス論 / 田村俊作編著. -- 新訂. -- 東京書籍, 2010. -- (新現代

図書館学講座 ; 5)
ただ基本的枠組みについてはまだ長沢(1995)を読まないとなんね。

2021.4.29

「にゃんでこんなことになっちゃうの子猫ちゃん」からタイトルを変更す。
画像(2021-03-22 12.01.44)を貼り付ける。曇天下、翩翻と日本国旗が翻る国会図書館。この図書館は日本人にレファレンスをさせるために米国人クラップ&ブラウンが業務設計をしてくれたもの。果たして70年間その任を果たしてきたか、という謎掛け。

*1:1950年代の神戸市立の次にレファで有名といえば、1970年代の大阪府立であらう。