サークラの話に違和感
サークルに限らず、あるコミュニティーを崩壊させるだけの力と戦略を持った人がいるのは間違いありませんが、色々な事例を聞く限り、いくつかの共通した要因があるように思われます。
- 権力者に入る情報の一元化
- 問題解決の場を設定しないコミュニティー
- 風聞でしか伝わらない人の情報
これって、ある特定の人物が入ってきたことにより顕在化したコミュニティーの脆弱性に過ぎないんじゃないでしょうか。どのようなコミュニティーにも存在するような。
サークルクラッシャーとレッテルを貼られる人は、確かにこの脆弱性を突くのが上手く、意識的にか無意識的にかはともかく、それを利用して自分の立場を持ち上げようとしているのでしょう。でも果たしてそれは責められるべきこと?皆が同じ価値観を持ち、同じよう���考え、同じように行動するようなコミュニティー(それは数少ない例外を除いてありえない)で無い限り、自分の生来の何かを生かして立場を得ることはごく自然のことだと思うし、それがそのコミュニティーにとって都合の悪いことであれば、コミュニティー側の防衛機構が発動しなければならないのではないでしょうか。発動しないとすれば、それはその行為を受け入れていることになる。それが無関心や面倒なことを避けたいと言う心理から出ていたものであっても。
クラッシュされるサークルはもともとその可能性を孕んでいたのですよ。少年時代の人間関係の脆弱性なんてまさに典型かと思います。
で、僕が感じた違和感は何かって言うと、そんなわけで、こういう話は特殊な事例じゃなく、ましてや女が女の武器を使ってと言ったような手法限定的な話ですらなく、日常にありふれた話のはずなんだけどってところ。そして、クラッシャーが来たからコミュニティーが崩壊したとしているのはおかしいんじゃないかってこと。少なくとも、崩壊したのはコミュニティー側の問題であり、クラッシャー一人の責に帰するべきことではないのではないでしょうか。遠巻きにして陰口を叩いたりするんであれば、既に突かれてしまった脆弱性によって入った亀裂を自らの手で押し広げる可能性を恐れて自然に瓦解するのを待っているだけに過ぎないようにも思えます。
あまり単純化はできない問題とはいえ、主観的な観察の元でクラッシャーを「酷い人間」と片付け、それ以上何もやらないことは、コミュニティーから「人格」を排除しつつ「行為」や「存在」を排除しない片手落ちな対応です。そしてコミュニケーションをとることを諦めたということでしょう。つまり、無視。大げさに言うと、向こうが悪いんだからいじめてもよいんだ、というロジックに近い。けれども、行為は直接咎めない。クラッシュと言う結末まで指をくわえてみているだけですよね。追い出して解決すると言うわけではないけれども、そうすることで本人にメッセージを伝えることはできるんじゃないかな。
何故クラッシャーの人は救われないのか。それは本人が本質的に悪だからなのか。悪だとしたら何がその人をそうさせたのか。「こういう酷い人がいたよ」⇒「それは酷い」で終わってしまうのであれば、また同じことが繰り返されるばかり。どうすれば、そんな事態にならないような関係を築けるか、そういうことを、ぽつぽつと考えていきたいのです。