jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

Macrodroidと地図サイトの「逆ジオコーディング」で,スマホの画面オフでの住所読み上げを実現

耳ナビで現在地住所を音声合成で伝えるウィジェットを発見--動作がちょっと不安定だけど・・・【追記】やはり不安定で却下 - jeyseni's diary (2023/11/25)。1年ぶりにMacrodroidを動かしてみた。マップを表示して指定個所をクリックして現在地の住所を音声合成で伝える,という実験を繰り返していたのだが,結局,画面にマップが表示されていない状態では動作させられないので,ずっと画面が点いたままになるという不具合があり,制作をあきらめていた。

 スマホを交換してから,自動的にMacrodroidも移行していたことは確認していたのだが,「結局ここまでか」と思ってそのまま放置していた。

 Macrodroidのデフォルトの機能として,GPSで読み取った現在地の緯度経度は変数に取り込むことができたり,直接読み上げることができることは,以前から確認していた。ところが何かのサイトで,緯度経度を住所に変換するAPIがあることを知った。

 住所やマップ上をクリックして,その場所の緯度経度を抽出することを「ジオコーディング」といい,逆に緯度経度から住所を知ることを「逆ジオコーディング」と呼ぶのだそうである。この機能を使って,外部の逆ジオコーディングサイトでデータ変換し,これをMacrodroidで音声合成するという方法にチャレンジした。

 逆ジオコーディングAPIの典型は,google mapにあった。ただ,google APIの「API_KEY」を取得する必要がある。以前,google calendarの情報を自動で書き換える方法を試したときもこのAPI_KEY申請をした記憶があるのだが,何だか面倒だった。同様に,Yahoo mapの逆ジオコーディングでもYahoo アプリケーションIDを取得する必要がある。ちょっと面倒な感じがした。

 国土地理院国土交通省のマップでもこの逆ジオコーディングに対応している。ほかにないか見たところ,Open Street Map(OSM)の逆ジオコーディング「OpenStreetMap Nominatim API」を見つけた。どういう結果になるのか興味があったので,試してみることにした。

 しかしMacrodroidでこの逆ジオコーディングをどう実現できるのかが,まったく不明だった。そこで,投稿されているマクロで「GPS」で検索したところ,この逆ジオコーティングに対応していると思われるマクロ「コーディネートから住所を取得��を見つけた。このマクロはgoogle map APIを使う仕組みになっており,上記の理由で筆者は動かすことができなかった。さすがに投稿するだけに,エラー処理も完璧のようだったが,「アクション」と呼ばれる動作が数十行にわたってセットされており,理解できないまま数日放置した。

 気を取り直して,エラー処理や分岐などをどんどん消していくと,google map APIにHTTP Get命令を送って住所情報を得て,その後その住所情報から都市名,通り名などを抽出して表示する,という流れが見えてきた。

 HTTP Getの先にOSMのサイト情報と緯度経度を入れて送り,回答をXMLで得る。ここから,文字処理で都市名などを抽出するということが分かった。

 ここからは数日間,うなりながら試行錯誤を繰り返した結果,都市名,区分名(町名),通り名,登録ビル名,に絞って情報を抽出し,これを音声合成で読み上げることに成功した。

 MacrodroidのマクロをONにし,1分ごとに現在地を読み上げるようにした。画面をOFFにしていてもGPSで情報が取れていれば,住所の読み上げができる。

 しかも,以前は国名,郵便番号から読み上げていたのだが,その2点は読まないようにセットできたので,非常に聞き取りやすくなった。

 途中のエラー処理をすべて外してしまったので,いろいろと不具合は起きる可能性はあるのだが,いちおうこれが目標としたアプリでもある。クルマの運転中にも,音声再生させることを考えているところである。

男性の愚行はどこまで続くのだろうか--浮気,暴言,ハラスメント

かつて中国では,君主に忠誠を誓うために男性の精巣を切り取り,宦官(かんがん)となった人物が多数いた。去勢することで官僚への登用の道が開かれており,政治の実権を握るチャンスを得ていた。逆に,奴隷として従わざるをえない立場に置かれる人物も多数いたし,極刑の代わりとされることもあったようである。中国だけでなく,東アジア,東ローマ帝国などでも行われていたようである。

 日本保守党の代表で作家の百田尚樹氏による「子宮摘出」発言が問題視されている。SFの世界の話という前提でのコメントだというのが,これは明らかな女性差別であり,障碍者に対する差別でもある。先の裁判で問題視された優生保護法を是認しているようにも聞こえる。もともと理性を感じない人物だったが,元名古屋市長の河村たかし氏と波長が合うような人物なのだろう。この河村氏に賛同する人が結構多いことも,筆者にとっては謎である。

 国民民主党の党首である玉木雄一郎氏の不倫問題も論外なのだが,どうしてこう,上に立つ者がお手本を示さずに愚行ばかり繰り返すのだろうか。元兵庫県知事の斎藤元彦氏のパワハラ問題,都知事選挙に新風を巻き起こした石丸伸二氏の異常とも思えたパフォーマンス,そしてNHK党の立花孝志氏の異常な選挙行動や言動など,日本人の心がマヒしてしまっているように思える。

 筆者は逆に,多くの男性の愚行が男性ホルモンによるものだと考えており,「先生」と呼ばれるためには,感情を押さえ込む絶対的な理性が必要だと思うが,なぜこう次々とハラスメント事件が起こるのだろうか - jeyseni's diary (2022/2/12)にも男性のハラスメントが男性ホルモンを抑えることで防ぐことができるだろうとコメントしている。ただし,上記のような手術によるような暴力的な方法ではなく,適切な薬や食事などで制御できればいいのだが,と書いている。

 金や権力のある男性に意図的に取り入って金銭を得たり地位を得たりすることは,女性にとっての1つの生き方である。そうしなければならない世の中を作ってしまっているのも,男性中心の世界だからである。家庭を持ち,地位も得た男性が,余計な行動に出てしまうのが,男性の愚行である。そこに理性が働かなければならないはずが,どうなってしまっているのだろうか。

 かつて写真週刊誌が全盛だったころ,パパラッチと呼ばれるスキャンダル専門のカメラマンが,政治家やアイドル,俳優などの私生活にまでカメラを向け,それを飯のタネにしてきた。現在,すべての人がカメラも録音機も持ち歩いているような時代である。あらゆる行動が記録され,公にされることを前提に行動を慎む理性が必要なのだが,どうして隠れてでもやってしまうのだろうか。

 動物の繁殖の原理からすれば,すべての男性はただの「オス」である。知識を得て,想像力を得て,人間という社会の中で上に上っていく中で,本来はより高い理性も持つべきだと思うのだが,どこかで理性を落としてしまうようである。政治家,裁判官,教員,警察官,社長,など地位や資格,職業のラベルを得た段階で,それに見合った理性を持ち,キープする必要があるにもかかわらず,動物の本性が出てしまう。

 かつてはこれを「男の勲章」だとか「男の甲斐性」だとか言って議論を避けてきたが,21世紀の現在,こんなことはあってはならない。しかしその代表格とも言えるトランプ氏が世界の頂点にあるアメリカのさらに頂点の大統領に返り咲くとは,これから何が起きても不思議ではない。

 国会でも地方議会でも,女性議員に対する男性議員の色眼鏡はいまだに変わっていない。まだまだ時間はかかるのかもしれないが,「暴言も愚行もハラスメントも,すべて犯罪」としてしまわなければ,子供たちに対して指導ができなくなる。「浮気しても,御免なさいと言えば,トップでいられる」などと思わせるような大人の行動・言動は,厳しく処分すべきだと考える。

「与党」「野党」という言い方をやめることを提案--「政権政党」「対峙政党」と言った方がいい

2024/11/11,石破内閣が総辞職し,首相指名投票でまた石破氏が首相に指名され,第二次石破内閣が発足した,というのが今日のニュースである。

 素人的に考えれば,辞職すれば身を引くものだと思うのだが,なんだか茶番を見せられているようで,すっきりしない。衆議院議員選挙でお互い戦い合った政党が,首相指名の段階で手を結んで対抗する党の党首に票を入れる,ということはまずありえない。野党協力が実現できなかった,という表現で終わっている。

 今日の一連の動きとその報道を聞きながら,「与党」「野党」という言い方が実に気になった。かつて,自民党が一時期,野党になった時期があった。このときの自民党の言いぐさは,「野党に落ちぶれた」といった印象の言葉だった。

 「野」という言葉が「外野」や「野原」をイメージさせ,中央から外に置かれたもの,都会に比べて草ぼうぼうの野原に放り出されてもの,といった響きがある。つまり,「野党=成り下がり」という言葉のイメージがあるからである。

 野球でも,内野はハイスピードで物事が動くのに対し,外野は大きな当たりを走り回って追いかけ,思い切ったバックホームをするなど,動作が大きい。遠くで走り回っているだけのような印象がある。

 「与党」「野党」に相当する英語は,Ruling party とOpposition partyである。これを「政権政党」「対峙政党」と訳して使ってみてはどうだろうか。アメリカの民主党共和党,イギリスの民主党労働党,などは,第1党と第2党の勢力がほとんど変わらない。定期的に入れ替わってその時々に適切な政治を行う。しかし,日本では野党は「万年野党」で「反対反対」と言っているだけで政策がない集団である。対抗する集団になっていない。

 かつては自民党は単独政権だったが,今や公明党との連立でなければ政策決定ができない。そして今回の衆議院議員選挙で連立でも過半数に達しなくなり,政策ごとに他党と調整して賛成してもらう,という作戦しか取れなくなっている。そんな実力のない党になっているのにも関わらず,相変わらず自分を「与党」(政権を与えられた党),他党を「野党」(野原にいる党)といった印象で語るのは,いかがなものかと思うのである。

 フランスでもドイツでも,1党独裁ができず,常に連立政権となっているため,逆に党の間での話し合いもフラットに行われているように思える。しかし日本では,そのようなタフ・ネゴシエーションなどしたことがない。野党から与党にくら返った公明党が,創価学会による集票能力を買われたのだが,いまやその力も弱体化しているようにも思える。正直,どうせなら立憲民主党政権に乗り換えて政権中央に安定的にとどまった方がよかったのではないかとも思えるし,将来的にその動きがないとも限らない。

 何しろ,選挙で大躍進して自民公明連立政権の政策に介入できるキャスティングボートを握ったはずの国民民主党が,党首玉木氏の浮気という情けないスキャンダルで一気に崩壊しそうに思えるからである。せっかく,立憲民主党から袂を分かってまともな政策論争ができる党ができたかと思ったのに,まことに残念である。

 

車載ディスプレイの機能・大きさ・位置・明るさを考える--バイク用5インチは画面がやはり小さく感じる

バイク用のディスプレイオーディオ(DA)を購入し,自転車用のバックモニターとしてテストしていい結果を得たと思った。さすがにバイク用で,IPS液晶パネルで500nitの明るさは,直射日光が当たっても画面の認識が十分できた。パネルの明るさは自動調光のはずだが,夜間でもかなり明るかった。

 画面サイズは5インチ。手持ちのスマホが6.7インチなのと,DAとしての周辺アイコン表示などがあり,実質的な画面はさらに小さくなる。

 それでも,バイク用として5インチは標準的であり,中には「5インチだと設置場所に困る」という評価もある。確かにハンドル周りにスピードメーターなどが集中しており,ディスプレイを加える場所は限られている。また、クルマ以上に前方を注意していないと、石などの障害物で転倒する危険性がある。画面を注視する時間は、クルマよりも短い。

    したがって、情報量を制限し、大きな文字で表示したり、音声合成で知らせる仕組みが望ましい。画面に細かい情報が表示されても認識できないからである。

    もしバイクでナビ画面を参照するのが目的ならば、より大きい画面のシステムを選ぶべきだろう。7インチタイプ以上で設置できる場所があれば、選択の候補になる。

   一方、バックモニターやドライブレコーダーが中心なら、5インチでも問題ない。バックミラーと同じぐらいの表示面積だからである。チラッと画面で後方を確認できればいいからである。

    さてクルマ用ではどうだろうか。かつては1DIN というカーラジオの標準寸法の取り付け場所に合わせて7インチ画面のナビが標準だった。ところが現在は、ディスプレイ部が浮いた形で10インチ型が主流になりつつある。ナビ用なら地図が大きい方がいいし、テレビなどの動画を視聴するのにも大画面は適している。軽自動車でも10インチ型がよく取り付けられている。

    しかし、カーラジオの指定席だったコンソールの中央以外の取り付け場所がない。かつては、コンソールの上に固定する人も多かったがそこに10インチ型は大きすぎる。

 バイク用の5インチ型は,ちょうどクルマのコンソールの空間に収まり,視界を妨げないことが今回分かった。ただ,ナビ用には画面が小さい。クルマ用にバックモニターやドラレコとして使うという用途もない。

 少し気になっている存在として,10型の横長2画面表示のDAがある。ディスプレイの幅はほぼ30cmもあるが,高さは8cmほどである。コンソールの上に置くとやや視界に掛かるのが気になるが,ディスプレイの半分をナビの地図表示,もう半分を音楽プレーヤー表示,といった使い方ができるようである。ただこれをカーラジオのDINの辺りに配置すると,横幅が大きすぎる。クルマのコンソールはそれなりにきちんと設計されているので,追加ではなかなかいい場所が見つからないのである。

 未来のクルマは,コンソール全面がディスプレイになっているようなイメージ図も提案されている。そのころには,手放しの自動運転もできているかもしれない。ディスプレイはエンタメ用にさらに大きくなるのかもしれない。

 最後のポイントは画面の明るさである。バイク用のIPS高輝度液晶パネルは,クルマの中だと画面の明るさを最も暗くしても視認できた。直射日光が当たってもそれなりに見える。逆にいままで使ってきたカーナビ画面が暗すぎるかもしれない。確かに,直射日光が当たるような場面では,画面はほとんど読めなかった。

 ところが夜になると,カーナビの画面は良く見える。バイク用のパネルはさらに明るく見えるのだが,逆に視界を奪ってしまいそうになる。カーナビ画面は,明るさの自動調節機能もないのだが,さすがによく考えられたチューニングになっているように思えた。

 クルマの価格の1割以上もしたカーナビだが,もう20年以上も使えている。当時のことだから,おそらく国産の液晶パネルを使っているだろうし,設計も組み立ても日本製だと思われる。大したものだと思う。DVDのマップの更新が終わってしまって,新しい道は認識できないが,あえて外すこともなさそうである。ただ,液晶パネルのバックライトは冷陰極蛍光管と思われ,これが寿命を迎えるタイミングがあると思われる。その時点で次のことを考えることになるだろう。

 しかし,DAがスマホとリンクしてその機能を使っていることが,ちょっと気に入らない。それなら,タブレットを置いて,ナビでも電話でも音楽再生でもなんでもさせればいいのではないか,という気にもなる。現在のDAでも,エンジンONと同時に電源が入るが,その後スマホとのリンク設定などがあり10秒ぐらいは使えない。タブレットをナビ専用にするなら,電源ONでナビ画面にすぐに移るような設定も可能である。せっかく8インチのタブレットもあるので,ナビ化にもう一度挑戦してもいいかなと思っている。

「正義」というのは難しいし面倒なもの--説明責任を果たしても受け付けない相手もいる

リーダーというのは大変である。すべてルールで決められた組織のリーダーなら,そのルールに従わない者を罰したり処分すればいい。今風に言えば,コンプライアンスである。これを守ることが「正義」である。

 しかし,ルールやコンプライアンスは組織ごとに異なる。その組織のリーダー同士がぶつかり合うと,そこに複数の「正義」が存在することになる。どちらの正義もそれぞれの組織にとっては正しいが,相手から見たら間違っていることがほとんどである。そこで衝突が起きる。それぞれの「常識」「考え」が異なるからである。

 国同士の「正義」のぶつかりが戦争になる。政党同士の「正義」は,「多数決」のルールで決着させることが「国会」のルールなので,多数決に勝つ組織を作らなければならない。そのためには,金も宗教も何でも使う。とどのつまりは「お金」である。

 国同士で正義をぶつけ合って折り合いを付ける話し合いは,いわゆる「タフ・ネゴシエーション」になる。理屈を言っても始まらない。おそらく,ガンとした態度での交渉の中でちょっとした糸口を見つけるといった綱渡りの交渉になるだろう。一歩も引くことなく,相手の妥協を引き出すといった交渉になる。懐柔策も必要だし,行動力,交渉力が求められる。そういう意味で,トランプ氏は求められた存在だとも言える。相手がプーチン習近平金正恩,ネタニヤフ,そしてゼレンスキーだからである。正直言って,日本など相手にされていない。単に突っぱねるだけで勝手に折れてしまうからである。

 一方で,国民はこの政治の組織の中に組み込まれていない。ルールもコンプライアンスも効かない人たちである。そこでは人柄や年齢のほか,女性やマイノリティといった要素も加点の対象になる。そこに政策が適切で,さらに説明もきちんとされていることが支持を維持できる要因となる。ただし,美辞麗句を並べたり,キャッチコピーを量産するだけでは信頼は得られない。そこにはセンスも求められる。

 政治が暴走したとしても,経済が発展し,生活が豊かになっている間は,国民は政治には関心がなく,政治側も説明責任を果たさなくても良かった。戦後の自民党のやり方である。しかしバブル崩壊後も,裏金,宗教との癒着,そして説明のない状態が腐敗を増長し,今に至っている。今さら何を説明されても,国民の半分は受け付けない状態になっている。

 ルールの変更が本当に国民のためになるのか,単に政党間の勢力争いの交渉のツールなのか,真剣に議論し,きちんとしたシミュレーションをし,国民に説明し,最適な道を選ぶ必要がある。その前に,問題の根本がどこにあるのかをはっきりとさせ,政治家自体の在り方についてもっと議論を深める必要があるのではないだろうか。政治の目的は何か,そのためのすべき仕事は何か,はっきりさせなければ,正直言って利益を追求する一般企業と何ら変わりのない「数の論理」だけの組織にしか見えない。本来の目的である「国民の幸福」「国の発展」を今の政治家が忘れてはいないか。

 これは,国だけでなく,地方自治体のリーダーにも当てはまる。しかし,本来なら退陣のはずが,なぜか支持者を増やしている人物がいるのはなぜなのか,ここは検証すべきだろう。「お金」以外に幸福ホルモンの出るプラットフォームが蔓延しているのが原因なのかもしれない(ゲーム,アニメ,その他のオタク文化・・・)。

「103万円の壁」と「時給1500円」は矛盾しないか--それよりも「非正規」「契約」の壁がなくせないか

2024年11月の衆議院議員選挙で与党の自由民主党公明党過半数割れという大敗を喫し,議員を3倍増した国民民主党との政策協力話が進んでいる。その中で,扶養控除対象となる103万円を巡る議論が焦点の1つとなっている。

 一方で,パート,アルバイトなどの形態での時給単価の増額が年々進んでおり,現在の全国最低時給の平均が1055円に増加した。今回の選挙では,この最低時給を1500円や1800円に上げるという公約を掲げた党もある。

 しかし,この数字を出している厚生労働省の役人や,選挙公約を掲げる政党,政治家は,実際の労働状況をほとんど知らないのではないかと思われるのである。

 アメリカ大統領に返り咲くことが決まったトランプ氏が,選挙遊説中にマクドナルドのアルバイトをしたり,トラックの運転手をしているパフォーマンスを見せたりしていた。対戦相手のハリス氏の経験を逆手に取って庶民派層に理解を求める作戦だったろう。この作戦が功を奏したかどうかはわからない。筆者は逆の印象を持った。

 というのも,こうしたアルバイト勤務の多くが,いわゆるエッセンシャル・ワークだからである。基本的に,長時間同じ体勢で同じ作業を繰り返す。自分のペースではなく,相手や機械のペースで仕事を続けなければならない。屋外での仕事も多く,天候や気温に左右されても文句が言えない。

 一般に,経験を積んで作業能力が上がると時給増という形での評価はなくはないが,それも雇い主による。10円単位で上がっていったとしても天井はそれぞれの働き先で決められている。最低賃金が上がった場合,スタートはその最低賃金からになるだろうが,今度は上がり幅の圧縮などの措置が取られ,いつまで仕事をしても待遇が改善しないという状況が起きる。

 時給が上がって,年収103万円の壁があると,仕事の日数や時間数を制限しなければならなくなる。この壁がなくなれば,働く側も日数を制限しなくて済み,雇い側も仕事に穴が開くのを防ぐことができる。しかし,支払いの総額は増える。

 一方で,103万円を超えていた場合は,扶養控除が適用されなくなり,その分は税金として徴収できていたものが,税収にならなくなり,なんと年間7兆円もの税の減収になるという。実際,それだけ多くの人がパート,アルバイト,非正規で働いているということである。

 おそらく,この制度が作られたときは,家族の中で夫が働いて家族を養い(扶養し),収入の使い道もすべて夫が決めてしまうので,妻が自由に使えるちょっとした内職や手伝いなどの収入に対して課税を免除する,という環境があったのだろう。筆者もそれをほとんど気にもしなかったし,自分が家庭を持ったときも妻には子育てに注力してもらいたいと思った古い人間である。

 しかし現在,夫の稼ぎだけでは家族を養えないほど,給与水準は下がっている。総務省が発表する「平均所得が上がった」とする統計ほど,無意味なものはない。平均所得が600万円だとして,それに達していない人でも200万円ぐらいの所得はある。その差は400万円である。一方,平均所得より上の人は青天井である。大手企業であれば1000万円は普通である。国会議員は2000万円クラス,役員,経営者ともなれば億円のクラスになる。その差額まで入っているのだから,正規分布になっておらず,平均を取ること自体に意味がないのに,いかにも景気が良くなったような数字を出してくる。何しろ官僚の所得も1500万円クラスなのだから,庶民感覚とはかけ離れているし,自分たちは年々給与水準が上がっているので,「世間も上がっている」と勘違いしてしまうのだろう。

 高度成長期にはDINKS(Double Income No Kids=夫婦共稼ぎで子供なし)が優雅な世帯としてもてはやされた。夫はベンチャー経営者や青年実業家,妻は弁護士やコンサルタント,といったハイソサエティなイメージで,「子供は厄介だから要らない」とばかり,自分たちだけの生活を楽しむスタイルである。扶養関係もない。お互いが独立して確定申告をするような生活である。

 しかし,今の共稼ぎは悲惨である。夫が勤め人で給料が増えず,その補填のために妻がパートで働く。総合収入が少ないが,夢のある家庭なので子供も生まれる。妻も働きに出るので,子育ても放置がちになる。その負担が学校に押し寄せてきて,教育環境も破壊の危機に陥る。

 「国を守る」と言って「防災省」を作るのは構わないが,その命令下で動くのは基本的に自衛隊である。だとすると,防衛省との指揮系統をどう調整するのかが問題になる。さらに,同じ宣言の下に防衛能力を高めることも重要だが,単に高い装備を買ってアメリカの軍事産業を喜ばせるだけになっていないか。災害時のドローン利用がまったく進まない日本--自衛隊のカリキュラムにはどう組み込むつもりか - jeyseni's diary (2024/11/4)と書いたように,比較的低コストで効果的なドローンや,レーザー砲など,守備側の装備とその訓練をした方が効果的ではないか。迎撃ミサイルを買っても災害には役立たないが,ドローン部隊ならさまざまな活躍が期待できる。

 それ以上に,国民の「生活を守る」のなら,企業努力へのしわ寄せばかり押し付ける給与水準の引き上げや最低賃金の引き上げばかり要求していては,今度は企業の体力が失われる。現実,給与引き上げができているのは,内部留保があった大手企業だけであり,中小零細企業は給与引き上げどころか引き下げまで行われている。その中で,国をけん引しているはずの自動車産業で業績悪化によるリストラが発表されるなど,政府も与党も「口ばっかり」なのである。

 日本復活のシナリオを早急に構築し,それに必要な産業は何か,人材は何か,そして国民生活の安定のための恒久的な給付金制度を実現しなければ,デイトレードなどのほぼギャンブラーやe-スポーツなどのほぼゲーマー,ギャル育成をするような学校(渋谷女子インターナショナルスクール(シブジョ):世界に羽ばたく女性を応援します)のようなエンタメ系Youtuber,そして,詐欺や闇バイトなどの“非正規”仕事ばかりが横行する国となり,科学立国どころか観光立国すら危うくなってしまう。

 日本が今,世界に向けて発信すべきなのは何かをもう一度考えてみたい。ギャル文化やYoutube,アニメなどのエンタテインメント産業なのか,「お・も・て・な・し」だけの観光産業なのか,それとも,エネルギー,食糧,教育といった世界が必要とする産業なのか。エンタメも観光も一過性である。それで生きていくためには,海外に食糧を頼らざるをえない。それは違うと,早く気づいてほしいものである。流行りばかりを追いかけるマスコミの節操のなさが,現在の日本の破綻を招いたとも言えるように考えている。

リーダーに求められるのは人格?品格?性格?--なぜか違和感のある世界の2024年

アメリカ大統領選挙で,トランプ氏が当選しハリス氏が落選した。日本の自民党総裁選挙で,石破氏が当選し,高市氏,小泉氏らが落選した。

 ロシアはプーチン氏,中国は習近平氏,イスラエルはネタニヤフ氏,そしてウクライナはゼレンスキー氏。世界の各国のリーダーに誰が選ばれるかは,まさに時の運でもある。

 国民の人気投票なら,結果は別になっていたかもしれない。いわゆる一般受けすることと,実力は別問題だし,まして数の論理が左右する選挙では,何等かの形で数を集めた方が強い。そこに派閥,宗教,利害関係などが絡んでくるからややこしい。

 マスコミや評論家は,一般国民を装っているが,実はかなり独善的である。結果が出るまでは自分たちの論理で展開し,結果が出たらコロッと宗旨替えしてしまう。その変わり身たるや,恐ろしい。

 それにしても,トランプ氏の品格のなさは格別である。よくもあそこまで相手を罵倒し,汚い言葉が使えるものだと感心する。性格も過激だし,人格も問題があるように思える。しかし,そのぶれない姿勢,一貫した論理,そして「I am the First」ともいえる自信によって,態度や言葉に反映される姿は驚きである。

 一方で,ハリス氏やバイデン氏は,相手によるかく乱作戦に見事に乗せられて主張の穴をさらけ出さされた点に弱さがあった。女性,マイノリティ,中流階級という立場を利用しきれなかったのかもしれない。

 石破氏は,自民党内での支持率は高いが,国民受けするキャラクターではなかった。丁寧な物言いが逆に不信感を招いた。普段笑わないキャラがニコニコキャラを演出して,これも反感を招いた。高市氏は安倍晋三色,小泉氏は偽小泉純一郎色と,何か信用が置けない印象だった。

 前首相の岸田氏は育ちも良く,人当たりも良く,外交的にも優れた人材だったのだが,彼の時代にちょうどパーティー券のノルマ超過分を裏金とする問題が起きたことで退陣に追い込まれたという不幸な面はある一方で,彼自身の「増税メガネ」とも呼ばれる無節操な予算の使い方にも問題があった。

 リーダーシップと独裁は紙一重の差とも言える。ある一線を越えたところで,自分の周囲が皆「自分派」に見え,自分の主張がすべて全員に受け入れられているように錯覚してしまい,実際は反対論も忠告もあるにも関わらず,見えてこなくなってしまうのかもしれない。

 それにしても,敵対する相手を完全に罵倒するトランプ氏やネタニアフ氏,そして相手とまったく議論をかみ合わせない東京都知事選挙2位候補や元兵庫県知事が,なぜか絶大な人気を受けているのはどういうことなのだろうか。それは一線を越えて周囲の声が聞こえなくなってきているというよりも,一種の宗教的な暗示をかけているかのような恐ろしさを感じるのである。正直,この人たちを敵に回したら何をされるか分からないといった恐怖も感じる。「カリスマ性」でもない,何か「オカルト系」の恐怖である。

 イスラエルでは完全な恐怖政治が敷かれている。アメリカは分裂の危機にある。中国やロシアもクーデターが起きかねない。その火付け役になるのが北朝鮮の行動かもしれない。ロシアへの協力で1万5000人の兵士をウクライナ戦争に派遣し,その大半が死亡したとも伝えられている。さすがに国内でも問題視が起きているのではないか。次の一手,つまりたとえばアメリカへのICBM発射などが起きることで,世界が大混乱に陥るのではないか。

 ここが日本の登場のチャンスだと思うのだが,今のどの政治家の顔を見ても,トランプ,ネタニアフ,プーチン習近平,そして金正恩と正面から向かい合える人物が見当たらない。自民党公明党も立民党も国民党も共産党もその他もすべて同様である(もちろん,以前から筆者が支持している人物はいるが,あえてここでは名前は挙げない)。

 政治でのリーダーシップが取れないのだから,経済,環境,エネルギーなど,世界に貢献できる分野でリーダーシップが発揮できるような思い切った動きが必要である。