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H級駆逐艦 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
H級駆逐艦
基本情報
種別 駆逐艦
運用者  イギリス海軍
 大日本帝国海軍 (橄欖型)
就役期間 1910年 - 1921年
前級 G級 (ビーグル級)
次級 I級 (アケロン級)
要目
常備排水量 772トン (計画)
全長 75.0~83.8 m
最大幅 7.7~7.8 m
吃水 2.6 m
ボイラー 水管ボイラー×4缶
主機 蒸気タービン×3基
推進器 スクリュープロペラ×3軸
出力 13,500馬力
速力 27.0ノット
航続距離 1,900海里 (13kt巡航時)
燃料 重油170トン
乗員 72名
兵装40口径10.2cm砲×2基
40口径7.6cm砲×2基
・53.3cm単装魚雷発射管×2基
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H級駆逐艦英語: H-class destroyer)は、イギリス海軍駆逐艦の艦級[1]。当初は「エイコーン」をネームシップとしてエイコーン級: Acorn-class)と称されていたが、1913年に再種別された[2]

来歴

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1908年4月に成立したアスキス内閣では、社会保障の財源確保のため、自由統一党以来の海軍増強計画の見直しを進めていた[3]。仮想敵をドイツ帝国海軍に変更して以降、イギリス海軍の駆逐艦はリバー級(E級)トライバル級(F級)と大型化・高コスト化の傾向にあったが、この流れを受けて、1908-9年度計画のビーグル級(G級)では小型化・コスト低減が志向された。同級では、F級と比して約20パーセント建造費を低減したものの、これでもまだ不足とされた。このことから、1909-10年度計画の艦では、更に30パーセントの建造費低減が図られた。これによって建造されたのが本級である[1][2]

設計

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E級以来の船首楼型が踏襲されているが、艦型の縮小を補って堪航性を確保するため、船首楼甲板の高さを増すとともに、艦橋を極力後方に移動した。しかしこの結果として、煙突の排煙が艦橋に深刻な影響を及ぼすようになった。当初計画では煙突は3本とも同じ高さだったが、計画途上で、第1煙突を約1.8メートル延長するよう改正された[1][2]

主機は蒸気タービンレシプロ蒸気機関水管ボイラー石炭専焼式と重油専焼式で検討された。特に燃料については、重油備蓄量への不安からビーグル級(G級)では石炭が採用された経緯があったが、本級では、機関部員の減少、航続距離の延伸、機関重量節減といったメリットを考慮して、再び重油が採用されることとなった[1]

主機の型式・構成や軸数はビーグル級(G級)と同様だが、ボイラーは4缶とされた。また、本級を含めて従来の英海軍駆逐艦の蒸気タービンは、いずれもパーソンズ式直結タービンであったが、本級の「ブリスク」ではブラウン・カーチス式直結タービンによる2基2軸方式が試験採用された。パーソンズ式直結タービンと比して機関構成が単純化できるほか、低速域での燃費向上も期待されたが、海上公試では燃費は期待ほどではなかったとされている。しかしその後、改良を加えて、パーソンズ式タービンとともに英駆逐艦の主機として採用されるようになった[4]

装備

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ビーグル級(G級)と比して艦型が小型化したにもかかわらず、兵装は同級と同等以上となっている[1]

艦砲の配置は同級のものが踏襲されているが、同級では40口径10.2cm砲(BL 4インチ砲Mk.VIII)1基と40口径7.6cm砲(QF 12ポンド砲)3基が備えられていたのに対し、本級では後部の12ポンド砲を4インチ砲に換装し、更に砲熕火力を強化した。また船首楼甲板の増高に伴い、従来はプラットフォーム上に設置されていた艦首砲は、船首楼甲板上に直接設置する方式とされている[1]

水雷兵装は同級と同じく、53.3cm単装魚雷発射管2基を備えている[1]

同型艦一覧

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計画 艦名 造船所 進水 解体/売却
1909-10年度 エイコーン
HMS Acorn
ジョン・ブラウン 1910年7月1日 1921年11月
アラーム
HMS Alarm
1910年8月29日 1921年5月
ブリスク
HMS Brisk
1910年9月20日 1921年11月
シェルドレイク
HMS Sheldrake
デニー 1911年1月18日 1921年5月
スターンチ
HMS Staunch
1910年10月29日 1917年11月11日 戦没
カミーリアン
HMS Chameleon
フェアフィールド 1910年12月 (竣工) 1921年12月
コミット
HMS Comet
1910年6月23日 1918年8月6日 戦没
ゴールドフィンチ
HMS Goldfinch
1910年7月12日 1915年2月19日 難破
ネメシス
HMS Nemesis
ホーソン・レスリー 1910年8月9日 1917年10月、大日本帝国海軍に貸与され『橄欖』と呼称、
1919年1月返還、1921年11月売却
ニリーデ
HMS Nereide
1910年9月6日 1921年12月
ニンフ
HMS Nymphe
1911年1月31日 1921年5月
フュリー
HMS Fury
イングリス 1912年2月 1921年11月
ホープ
HMS Hope
スワン・ハンター 1910年9月6日 1920年2月
ラーン
HMS Larne
ソーニクロフト 1910年8月23日 1921年5月
ライラ
HMS Lyla
1910年10月4日
マーティン
HMS Martin
1910年12月15日 1920年8月
ミンストラル
HMS Minstrel
1911年2月2日 1917年9月、大日本帝国海軍に貸与され『栴檀』と呼称、
1919年1月返還、1921年12月売却
レッドポール
HMS Redpole
ホワイト 1910年6月24日 1921年5月
ライフルマン
HMS Rifleman
1910年8月22日
ルビー
HMS Ruby
1910年11月4日

参考文献

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  1. ^ a b c d e f g 「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、26頁、ISBN 978-4905551478 
  2. ^ a b c Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. pp. 18, 71-72. ISBN 978-0870219078 
  3. ^ 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究:近代イギリスを中心として』創文社、1967年、393-396頁。 NCID BN0195115X 
  4. ^ 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478