伊吹 (空母)
伊吹 | |
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解体のため入渠した「伊吹」 (1946年10月22日) | |
基本情報 | |
建造所 |
進水まで:呉海軍工廠[1] 空母改造:佐世保海軍工廠[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦歴 | |
計画 | 1942年度[2](マル急計画[3]) |
発注 | 1942年1月16日訓令[4] |
起工 | 1942年4月24日[5][6] |
進水 | 1943年5月21日[5][6] |
その後 |
1943年11月から空母へ改造[2] 1945年3月16日工事中止[2] 1946年から翌年解体[2] |
要目(空母としての計画) | |
基準排水量 | 12,500英トン[7] |
公試排水量 | 14,800トン[8] |
満載排水量 | 16,071トン[9] |
全長 |
200.6m[7][註 1] 205.0m(飛行甲板長)[10] |
水線長 | 198.37m[11][7][註 2] |
水線幅 | 20.76m[8] または21.2m[10] |
深さ |
上甲板まで 10.43m[8] 飛行甲板まで 17.900m[7] |
飛行甲板 |
縦:205.0m × 幅:23.0m[11] エレベーター2基[7] |
吃水 | 6.31m (公試時)[8] |
ボイラー | ロ号艦本式缶(空気余熱器付)4基[5] |
主機 | 艦本式タービン2基[5] |
推進 | 2軸 x 328rpm、直径3.950m[15] |
出力 | 72,000hp[8] |
速力 | 29.0ノット[8] |
燃料 | 重油:3,060トン[7]、もし��は重油3,600トン[16] |
航続距離 | 7,500カイリ/ 18ノット[8] |
乗員 | 計画乗員1,015名[7] |
兵装 |
九八式8cm連装高角砲2基4門[10] 25mm機銃3連装16基48挺[10](もしくは17基51挺[17]) 同単装機銃12挺[18] 12cm噴進砲4基[18] 爆雷30個[18] |
装甲 |
弾薬庫舷側140-30mm、甲板40mm[19] 機械室舷側100-30mm、甲板35mm[19] |
搭載機 | 艦戦15、艦攻12[18](計27機。露天繋止10機[7]または11機[20]を含む) |
レーダー |
22号電探2基[18] 13号電探2基[18] |
ソナー |
四式水中聴音機1組[18] 三式探信儀1組[18] |
重巡洋艦としての要目は改鈴谷型重巡洋艦#要目を参照。 |
伊吹(いぶき)は、大日本帝国海軍の航空母艦である[21]。改鈴谷型重巡洋艦の1番艦として起工され、建造中に航空母艦へ変更されたが、未完成のまま終戦を迎え[22]、1946年(昭和21年)に解体処分された。
艦名は「伊吹山」による[23][24]。日本海軍では同名の艦艇に、巡洋戦艦「伊吹」(1923年9月20日に退役)があった[24][25]。海軍施設本部補給部書記生だった遠藤昭によれば、候補艦名としては他に『鞍馬』があったという[26]。
艦型
[編集]空母への改装による重心の上昇に対応し復原力をあたえるため、船体にバルジが増設された[27][28]。また艦載機の大型化に対応するために、船体長よりも長い飛行甲板(長さ205m、幅23m)を設置する[29]。このため、従来の日本軍小型空母のように船体前方の飛行甲板下に艦橋を設けることが出来ず[27]、日本の小型空母としては異例のアイランド(島型艦橋)を採用している[22]。重巡洋艦からの改装のため、格納庫は1段のみ、魚雷調整場も有しない[22]。このため搭載航空機数はそれほど多くなく、エレベーターも2基のみで小さかった。改装案では、銃砲座のブルワークは丸みを帯びていたが、戦時改装に伴い直線状の簡易なものとなった[11]。
戦後に撮影された写真では、艦体は迷彩を施さずに軍艦色一色で塗装されているほか、なぜか赤い水線塗装が喫水線ではなくバルジに沿って塗装されていた[11]。
空母への改装にあたり、ボイラーとタービンを巡洋艦計画時より半減した。空いたボイラー室は重油タンク等に[30]、後部のタービン室は航空機用のガソリンタンク(軽質油庫)となり[27]、プロペラ軸数も、最上型重巡洋艦の4軸から2軸に減少している[8]。これによって出力は15万2,000馬力から7万2,000馬力に減少し、最高速力は35.0ノットから29.0ノットへ減速、航続距離は18ノットで8,000海里を予定していた[8][29]。最高速度が30ノットに満たなかったのは、6,300海里であった重巡洋艦時の航続距離の延長と、大鷹型航空母艦などの商船改装空母がほぼ同じ速力で運用されても支障なかったためだと予想されている[11]。機関室舷側に30 - 100mm、(機関室上部)甲板35mmの防御を施した[31]。余剰となった本艦と第301号艦の機関は雲龍型航空母艦2番艦「天城」と同型4番艦「笠置」に転用された[32]。
兵装
[編集]- 搭載機
搭載機として、零戦の後継機として開発中だった艦上戦闘機「烈風」と、艦上爆撃機・艦上攻撃機を一機種に統合した艦上攻撃機「流星」が予定されていた。軍令部からの要望性能では十七試艦戦(烈風)・十六試艦攻(流星)各15機の計30機であったが[33]、のちに流星を12機に減らし、合計27機で全機常用[34]とした。格納庫が小さかったため、15機の烈風は4機のみ格納庫に収納し、11機(10機とも)は露天繋止とした[11]。このほか、搭載が予定されていた新鋭機の「彩雲」は艦内収容が困難となり、露天繋止されることになっていた。
搭載する航空魚雷は12本(もしくは18本)で商船改装空母と同じであったが、格納庫の小型化で航空爆弾の量は大幅に制限され、80番爆弾(800kg爆弾)は12発、25番爆弾(250kg爆弾)は24発のみ[18]。6番爆弾(60kg爆弾)以下の小型爆弾は搭載しないとされた[11]
- 対空兵装
初期の改装案では、対空火器として九六式 25mm(61口径)三連装機銃のみ搭載するという計画であった[28]。だが、これだけでは不十分と判断され、阿賀野型軽巡洋艦の高角砲にも使用された「長8センチ高角砲」連装2基を搭載する予定であった[18][29]。長8センチ高角砲の採用は、艦体が小さいことによる復原性の確保にあったと推定されている[11]。高角砲は当初後部に配置する予定だったが、最終的に艦体前部への配置となった。これらの対空火器は、千歳型航空母艦改装時の教訓から、反対舷への射撃もできるよう飛行甲板とほぼ同じ高い位置に配置された[22][28]。この高角砲2基分に加え、25mm三連装機銃片舷8基ずつ計16基分(計17基とも)、12cm28連装噴進砲片舷2基ずつ計4基分の架台も設置された[35][29]。
- 電子兵装
戦時中に建造された艦に共通する特徴として、当初から電探(レーダー)の搭載が考慮されていた[33]。改装案では、21号電探を艦橋上と飛行甲板前部中央(隠顕式)に各1基搭載する予定になっていた[11]。最終的には22号電探2基、13号電探2基の搭載が計画された[18]。また21号1基、22号1基、13号2基の搭載とする文献もある[36]。
艦歴
[編集]日本海軍は太平洋戦争直前の昭和16年度戦時建造計画(マル急計画)において、最上型(鈴谷型)重巡洋艦の準同型艦(改鈴谷型重巡洋艦)を2隻建造することを計画、仮称第300号艦と仮称第301号艦の建造を決定した[37][38]。重巡として完成した場合の性能は、公試排水量13890トン、速力35ノットであったという[33]。完成を急ぐために鈴谷型の設計を流用しつつ、若干の修正を施す[39][38]。鈴谷型の魚雷発射管(3連装×4基)を、伊吹型では4連装×4基に強化[39]。無線空中線延長と航空機運用のため、後部マストを四番砲塔直前に移動した点が外観上の相違点となった[39]。 「第300号艦」は1942年(昭和17年)4月24日に呉工廠で[40]、同型艦の「第301号艦」は同年6月1日に三菱重工業長崎造船所で起工された[29]。
しかし、日本海軍は1942年(昭和17年)6月5日のミッドウェー海戦で大敗して主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を喪失、急遽航空母艦の急速大量建造を行うことになった(昭和17年6月30日決裁、官房機密第8107号、航空母艦増勢実行ニ関スル件仰裁)[41]。同日附の軍令部商議による「既定軍戦備計画の修正」において「第301号艦」は建造中止(同一船台で雲龍型空母「天城」建造)[39]。「第300号艦」は『速やかに進水せしめ工事を一時中止』と決定した[37]。
「第300号艦(伊吹)」は水上偵察機搭載の中止、魚雷発射管を島風型駆逐艦「島風」の零式5連装魚雷発射管と共通にする等の設計変更を行いつつ、工事を続けた[39]。1943年(昭和18年)4月5日の命名[21]とともに一等巡洋艦として登録される[42]。5月21日、高松宮宣仁親王(昭和天皇弟宮、海軍大佐)臨席のもとで進水した[43]。同日附で舞鶴鎮守府籍[44]。
しかし、進水後の工事中止はすでに決定されていたため、「伊吹」は呉工廠魚雷実験部沖(烏小島沖)に繋留放置された[28]。艦政本部は「伊吹」の有効利用について、苦心しながら研究を続けていた[33]。缶室や機械室区画を半分として残部分に補給用重油タンクを増設した艦隊随伴型高速給油艦の他、水上機母艦、高速輸送艦等への改造が検討される[28]。
その頃、アメリカ海軍は重巡洋艦以上の艦体を持つクリーブランド級軽巡洋艦を[註 3]軽空母へと改造、インディペンデンス級航空母艦として続々と建造していた[45]。1番艦「インディペンデンス(旧アムステルダム)」は1942年(昭和17年)8月22日進水、1943年(昭和18年)1月14日竣工。米海軍の動向は日本海軍も察知していた[46][47]。これに影響される形で、日本海軍は1943年(昭和18年)8月に巡洋艦「伊吹」の軽空母改造を決定した[28]。
1943年(昭和18年)11月1日、第300号艦(伊吹)の佐世保海軍工廠での改造と、昭和20年3月末の完成予定が通知される[48]。「伊吹」は潜水母艦「迅鯨」の曳航によって佐世保に回航されることになった[49][29]。海防艦「壱岐」に護衛された2隻(迅鯨、伊吹)は[50][51]、11月22日佐世保到着[52]。ただちに佐世保海軍工廠にて空母改造工事が再開された。しかし、重巡洋艦としての工事がかなり進んでいた船体を無理に空母として転用したため、主砲塔などの撤去工事から行わなくてはならなかったことや、佐世保工廠が他の艦船の建造(伊吹の佐世保到着時、阿賀野型軽巡洋艦3番艦矢矧、同型4番艦酒匂《第135号艦》建造中)[6]や修理のほうに力を入れなければならなかった為に工事はあまり進まず、予定の工期から大きく遅れ続けた。
1945年(昭和20年)になっても「伊吹」は建造中であった。更なる戦局の悪化に伴い物資の調達に苦労し、さらに制海権の喪失で作戦活動に従事する見込みもなくなっていた。日本海軍の空母機動部隊は前年のマリアナ沖海戦とレイテ沖海戦で壊滅し、残存した空母「隼鷹」や「龍鳳」、戦争中に竣工した雲龍型航空母艦3隻(雲龍、天城、葛城)や大和型戦艦改造空母「信濃」等は輸送任務に投入されるか、あるいは停泊中に空襲を受け、消耗していった。
1月20日附で松浦義大佐(当時、空母龍鳳艦長)が伊吹艤装員長に任命される[53]。1月25日、佐世保海軍工廠に設置された伊吹艤装員事務所は、事務を開始する[54]。 だが2月25日附で松浦艤装員長は軽巡洋艦「大淀」艦長へ転出[55]。佐世保海軍港務部長の清水正心大佐が、港務部長と伊吹艤装員長を兼務することになった[55]。
3月16日、空母「伊吹」の工事は進捗率80%で中止[11][28]。4月2日には艤装員事務所も撤去[56]。その後は終戦まで港内に放置された。
年表
[編集]- 1942年(昭和17年)4月24日 - 呉工廠にて起工(第300号艦)[40][38]。
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)3月16日 - 工程80%で工事中止。
- 1946年(昭和21年)11月22日 - 佐世保船舶工業(旧佐世保工廠)第7ドックで解体開始。
- 1947年(昭和22年)8月1日 - 解体完了。
艤装員長
[編集]- 松浦義 大佐:1945年1月20日[59][53] -
- (兼)清水正心 大佐:1945年2月25日[55] - 1945年5月10日[60](本職:佐世保海軍港務部長)
- 工事中止のため5月10日[60]以降は艤装員長を置かなくなる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本海軍での全長の定義は「船体前後端間を1WL(基本計画公試状態の吃水線)に平行に測った長さ」(泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の軍艦 上』グランプリ出版、2001年 ( ISBN 4-87687-221-X )、96頁。)
- ^ 197.0mとする出典もある[8]。197mは最上型重巡洋艦の計画当初の水線長[12]。福井静夫の著書に198.35mとあるが[10][13]、同著者は「本表記載ノ諸値ガ次頁ノ表と相異スル場合ハ次頁ニ依ルコト。」として、198.370mに改めている[14]。
- ^ クリーブランド級軽巡(基準排水量)約12000トン。古鷹型重巡(基準)8700トン、高雄型重巡(基準)10000トン、最上型重巡(基準)11200トン
出典
[編集]- ^ a b #海軍造船技術概要289頁。
- ^ a b c d 『日本航空母艦��』p.102。
- ^ #日本空母物語p.291。
- ^ #S17.1.1-S17.4.30呉鎮日誌(2)画像15、昭和17年1月16日作戦経過概要〔 官房機密第340号ニ依リ第300号艦製造ノ件指令ス 〕
- ^ a b c d #昭和造船史第1巻pp.780-781。
- ^ a b c #S1811佐鎮日誌(1) p.29〔 (四)佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ艦船左ノ通|艦名/伊吹(三〇〇)|起工/十七.四.二十四|進水/十八.五.二十一|竣工豫定/二十.三末 〕
- ^ a b c d e f g h #海軍造船技術概要 296頁〔 航空母艦要目比較(前頁の補足) 〕。
- ^ a b c d e f g h i j #主要々目及特徴一覧表 p.11〔 伊吹|基準△12500|公試△14.800|主要寸法 LWL:197.0m、B:20.76m、D:10.43、d:6.31|速力29.0|SHP72.000|航続力18k-7.500|(兵装略)|機関:タービン×2・缶4|軸数2|隻数1 〕
- ^ #海軍造船技術概要294頁。
- ^ a b c d e #日本空母物語 293頁〔 第13図 航空母艦 伊吹 〕
- ^ a b c d e f g h i j 小林義秀「歴史発掘 未成空母「伊吹」の明細」 『世界の艦船』第498集(1995年7月号) 海人社 pp.110 - 113
- ^ #海軍造船技術概要342頁
- ^ #海軍造船技術概要295頁
- ^ #海軍造船技術概要296頁
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet118
- ^ 『日本航空母艦史』102頁
- ^ #昭和造船史第1巻p.548.
- ^ a b c d e f g h i j k #主要々目及特徴一覧表 p.11〔 伊吹|(艦数値略)|主要兵装/砲:長8cm連装×2、機銃:25mm3連装×21、25mm単装×12、噴進砲×4、魚雷(18)、爆雷30、探艦:三式×1、水聴:四式×1、電探:二二号×2・一三号×2、其他:飛行機/戦×15・攻×12 爆弾/80番×12・25〃×24 〕
- ^ a b #主要々目及特徴一覧表p.11の防御欄。
- ^ 日本の航空母艦p.54。
- ^ a b c #達昭和18年4月(1) p.9〔 達第七十號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十八年四月五日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 伊吹(イブキ)〕
- ^ a b c d #主要々目及特徴一覧表 p.11、#海軍造船技術概要 p.1601、〔 摘要(特徴)|鈴谷型巡ヨリ改造ノ中型空母。飛行甲板 同長空母ニ比シ長ク(205m) 塔型艦橋ヲ有ス。機銃ノ反対舷射撃水平ヨリ7°マデ可能。工事簡易化ノタメ 1.格納庫一段 2.魚雷調整所ナシ 3.爆弾軽質油搭載量ヲ制限 4.最上甲板ハ縦業式構造 5.飛行甲板格納庫壁ハ溶接ブロック式トス 6.構造簡易化ニヨリ-9000工数 艤装簡易化ニヨリ-44000工数 〕
- ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝pp.79-81。
- ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ86(原本134頁)〔 一等巡洋艦 二檣(信號用) 鞍馬と姉妹艦なり。 山名に採る、伊吹山は近江・美濃の兩國に跨る、標高4,545尺。
明治40年5月22日起工、同42年11月1日竣工、本艦は起工より僅かに6ヶ月にして進水し、更に其後2ヶ年にして竣工、全工程2ヶ年半にして完成、此の種大艦としては記録的のものなり。 大正元年8月巡洋戰艦に列す、同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年8月特別南遣支隊に属し印度洋・濠州方面警備に任じ濠州・新西蘭軍隊輸送掩護を行ふ、獨逸掠奪艦「エムデン」の追跡時代に關係あり(艦長大佐加藤寛治)、同7年12月第三艦隊に属し露領沿岸警備(艦長大佐海老原敬一)、同12年9月20日除籍(華府海軍々備制限條約に由る)。(要目略) 〕 - ^ #達明治40年11月 p.14〔 達第百二十八號 呉海軍工廠ニ於テ製造ノ第一號装甲巡洋艦ヲ伊吹ト命名セラル 明治四十年十一月二十一日 海軍大臣男爵 齋藤實 〕
- ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78
- ^ a b c 『丸』2012年10月号
- ^ a b c d e f g #日本空母物語 292-294頁〔 (2)空母への改造 〕
- ^ a b c d e f #戦史叢書海軍戦備(2) 32頁〔 二 マル急計画の修正 〕
- ^ #昭和造船史第1巻 pp.546-547、第3図〔 航空母艦 伊吹 一般配置図 技術会議資料 〕。
- ^ #主要々目及特徴一覧表 p.11〔 伊吹|(艦数値・武装略)|防御 弾薬庫:舷側140-30・甲板40、機関室:舷側100-30・甲板35 〕
- ^ 軍艦メカ3 日本の空母、p.55。
- ^ a b c d #戦史叢書海軍戦備(2) 104-105頁〔 巡洋艦伊吹の航空母艦への改造計画 〕
- ^ 軍艦メカ3 日本の空母、p.97。
- ^ 世界の艦船増刊「日本航空母艦史」 p.104
- ^ #写真日本の軍艦第4巻p.91。
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- ^ a b #S1701呉鎮日誌(8) p.36〔 二四(天候略)四.三〇〇號艦起工式 〕
- ^ #戦史叢書海軍戦備(2) 16頁〔 航空母艦緊急増勢 〕
- ^ #内令昭和18年4月(3) p.30〔 内令第六百六十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年四月五日海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦一等青葉型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | |伊吹| (以下略) 〕
- ^ #高松宮日記6巻292頁
- ^ #内令昭和18年5月(6) p.12〔 内令第千一號 軍艦 伊吹 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|昭和十八年五月二十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
- ^ #幻の航空母艦162頁
- ^ #米超弩級戦艦進水 p.1〔 米海軍省発表=米海軍でも今日までには一隻もなかった超弩級戦艦一隻が米東岸の海軍造船所で今週進水する予定である。(中略)又元来巡洋艦として建造中として建造中であった航空母艦一隻が東岸の某造船所で進水した 〕
- ^ #米国内○軍事問題 p.1〔 六.軍事問題◎巡洋艦、商船ヲ航母ニ改造(サクラメント・三月十日二十三時十五分)・・軍事消息通ハ今年末頃マデ米国ハ恐ラク世界最強ノ海軍航空隊ヲ有スルコトニナラウト観テヰル、巡洋艦ヲ改造シタ航空母艦九隻ガ近ク就役スルガ外に商船ヲ輸送船団用空母トシテ多数改装中デアルト・・ 〕
- ^ #S1811佐鎮日誌(3) pp.23-25〔 一日海軍大臣(宛略)官房機密第五五三三號 第三〇〇號艦艤装ノ件訓令 佐世保海軍工廠及第二十一海軍航空廠ヲシテ首題ノ件左記ニ依リ施行セシムベシ 〕
- ^ #S1811佐鎮日誌(5) pp.23-24〔 十八日一三二〇佐世保鎮守府司令長官(宛略)一.第三〇〇號艦回航豫定左ノ通(以下略) 〕
- ^ #S1809呉鎮日誌(3) pp.31-32〔 十八日二一〇四呉防戰|十八日二三四五 壱岐(呉鎮)(迅鯨)(外)|一.伊吹(迅鯨曳航)二十一日〇七〇〇六連發佐世保回航ノ豫定/二.壱岐ハ二十日中ニ六連ニ回航迅鯨艦長ノ指揮ヲ受ケ右ニ對スル對潜警戒ニ任ジ迅鯨、六連歸着迄同艦ノ對潜警戒ニ任ズベシ 〕
- ^ #S1806呉防戦(9) pp.11-13〔 (四)麾下艦船部隊行動 〕
- ^ #S1811佐鎮日誌(1) p.30〔 註 伊吹ハ呉工廠ニ於テ進水セルモノヲ迅鯨之ヲ曳航十一月二十二日佐世保ニ入港佐世保海軍工廠ニ於テ艤装工事中 〕
- ^ a b 「昭和20年1月24日(発令1月20日付)海軍辞令公報(甲)第1702号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103100
- ^ 「自昭和20年1月.至昭和20年8月 秘海軍公報(防衛省研究所)2月(1)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070503800 (海軍公報 第4920号/昭和20年2月2日/金)p.6〔 ○事務開始(略)|軍艦伊吹艤装員事務所|佐世保海軍工廠内|一月二十五日|(以下略)〕
- ^ a b c 「昭和20年3月2日(発令2月25日付)海軍辞令公報(甲)第1735号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103600
- ^ 昭和20年4月11日付 秘海軍公報 第4981号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070504500 で閲覧可能。
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- ^ 『艦長たちの軍艦史』81頁。
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参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)
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- 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(9)』。Ref.C08030368900。
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- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
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- 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年。ISBN 4-7698-0454-7。
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- 雑誌『丸』編集部 編「石橋孝夫『改鈴谷型重巡"伊吹"の概要』」『ハンディ判日本海軍艦艇写真集12 重巡 最上・三隈・鈴谷・熊野・利根・筑摩』光人社、1997年5月。ISBN 4-7698-0782-1。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年。ISBN 4-87565-205-4。
- (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』(第3版)原書房〈明治百年史叢書〉、1981年(原著1977年)。ISBN 4-562-00302-2。
関連項目
[編集]- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 伊吹 (巡洋戦艦) - 初代伊吹
- インディペンデンス級航空母艦
- サイパン級航空母艦
- 『空母いぶき』 - かわぐちかいじ作、恵谷治監修による漫画。漫画に登場する架空の航空機搭載型護衛艦(DDV)「いぶき」の艦名は「伊吹」に因む。
- 『ルーントルーパーズ 自衛隊漂流戦記』 - 浜松春日による小説。作中に登場するイージス護衛艦「いぶき」の艦名は「伊吹」に因む。