2018年11月10日、東京・渋谷にあるスマートニュース株式会社のイベントスペースで、読書イベント「東京読書サミット」が開催されました。この読書イベントを主催したのは、株式会社オープンウェブ・テクノロジー代表取締役の白石俊平さんが運営する読書サークル「読書するエンジニアの会」です。
白石さんはWeb技術者向け情報メディア「HTML5 Experts.jp」初代編集長であり、また日本最大のHTML5開発者コミュニティ「html5j」の管理人を務めた経験を持つエンジニアです。そんな白石さんが「読書するエンジニアの会」を友人と共に立ち上げたのは2008年5月のこと。「子供の頃から本が好きだったのですが、大人になってからは技術書ばかり読んでいることに気が付きました。そこで、もっと視野を広げて、さまざまな本と出会いたいと思い、読書会を立ち上げました」
「読書するエンジニアの会」は毎月1回、あらかじめ決められたテーマの本を各々が選んで読み、その内容を発表するプレゼン形式の読書会です。過去の読書テーマを見ると、「謝罪」「卑しい」「乙女」「飛ぶ」などバラエティに富んだユニークなものばかり。「ドキドキ」というテーマの時には心臓疾患の本を選んだ強者のメンバーもいたそうです。プレゼン後は各自、自分が紹介した本のPOP(Point of Purchase advertising)を描き、(読書会とコラボレーションをしている)ジュンク堂池袋本店の専用コーナーに展示します。
「読書するエンジニアの会」は10年以上にわたり、読書好きと本との出会いを演出してきました。そんな「読書するエンジニアの会」が一般の読書好きを集めて開催したのが「東京読書サミット」です。第一部は著名人を招いて“推し本”を語ってもらうトークショー、そして第二部では参加者が持ってきた“推し本”のプレゼン大会でした。
東京読書サミットに参加した「AI書店員ミームさん」とは?
「東京読書サミット」には「AI書店員ミームさん」も参加しました。
「AI書店員ミームさん」とは、出版取次大手の株式会社トーハンと、ソフトウェア開発のsMedio株式会社が共同で開発した「本をオススメするための人工知能」です。モニターに設置しているWebカメラで人の顔を撮影し、その画像を基に性別、年代、感情を推定してオススメの本を紹介してくれます。性別(2種類)/年代(4段階)/表情(3区分)にいくつかのランダム要素を掛け合わせた計70種類以上のパターンの中から、「その人の気分に合わせた本」を理由と共に提示してくれます。
「AI書店員ミームさん」が初めて登場したのは、2017年11月のイベント「早川書房・AXNミステリー アガサ・クリスティ フェア」(東京都内の書店3店舗で開催)です。この時は、単にオススメのクリスティ作品を表示するだけだったそうですが、「なぜ、この作品を勧めてくれたのか、その理由を知りたいというお声をいただきました」と、トーハン 仕入企画推進室マネジャー(施策推進グループ)吉村���光さんは説明します。ユーザーの声を受け、現在のように、「感情」と「オススメの本/その理由」を表示するように改良したそうです。ちなみに、「AI書店員ミームさん」に搭載される本のDB(選書)とレコメンド文の作成は、吉村さんが担当したそうです。
この「AI書店員ミームさん」は国内外のさまざまな出版イベントに参加しています。台湾で開催された「台湾・台北国際書展 2018」では、日本ブースに特別出展され、来場した図書館や大学関係者の方から好評を得ました。また、2018年3月に東京・神楽坂で開催された「本のフェス 2018」では1日で600人近くが「AI書店員ミームさん」を利用するために訪れるなど、大きな反響があったそうです。
2018年8月には、TBSラジオ「AI時代のラジオ 好奇心プラス」で取り上げられ、これをきっかけに、TBSラジオと人気アニメ『秘密結社鷹の爪』とコラボしたバージョンの「AI書店員ミームさん」が開発されました。2018年11月現在、都内の複数の書店に設置されています。今回「東京読書サミット」に登場したのもこの『秘密結社鷹の爪』とのコラボレーションバージョンでした。参加者には、まずはトークショーと推し本バトルを楽しんでいただき、イベント終了後に、「AI書店員ミームさん」を体験してもらうことになりました。
トークショーから推し本バトルへ
トークショーに登場したのは、篠田真貴子さん(元株式会社ほぼ日CFO(2018年11月25日退職))、作家・エッセイストの紫原明子さん、そして今回のイベント会場を提供いただいたスマートニュース株式会社フェロー 藤村厚夫さんです。
トークショーのテーマは「大事な一冊」。藤村さんが「100%の恋愛小説」として紹介した本は『杳子・妻隠』(新潮文庫/古井由吉)でした。「起承転結を忘れるくらい、時間の深さを感じさせる恋愛小説」(藤村さん)とのこと。藤村さんがこの本と出会ったのは学生時代で、「恋愛がうまくいかず、その喪失感の中でこの作品を読んだ」と言います。「本を読んでも心の傷が癒されるわけではないのですが、この作品に出会って、『どうしようもないのは自分だけではない』ことを認識できました。読み返すと今でも、当時の思いが甦ります」
続いてプレゼンを行なったのは篠田さん。小学生の頃にアメリカで暮らした経験を持つ篠田さんは、今でも日本語の本より洋書に親しむ機会が多く、「翻訳書ときどき洋書」(note)にコラムを寄せているほどです。そんな篠田さんが選んだのは、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社/デイヴィッド・ミーアマン・スコット、ブライアン・ハリガン、監修:糸井重里)でした。
1965年に結成されたグレイトフル・デッドは、40年以上も前にライヴ音源の録音・供給やロゴのフリー使用を許可し、チケットの直販施策などを進めるなど、積極的にファンコミュニティを築いてきた伝説のロックバンドです。篠田さんがこの本を勧める理由は「今の時代にも通じるグレイトフル・デッドのマーケティングのユニークさはもちろん、この本が翻訳化され、出版される過程をつぶさに見てきたため」とのこと。翻訳文の違いで、原文の持つ味わいが変化することや、ブックデザイナー 祖父江慎さんによる編集と装丁テクニックで原本を“超える”すばらしい本に仕上がった過程を語り、「この本の味わいやユニークさは、Kindle版ではなく、ぜひ紙の書籍で体験してみてください」とイベントの参加者にオススメしていました。
最後にプレゼンした紫原さんのオススメは『小説・捨てていく話』(筑摩書房/松谷みよ子)です。『ちいさいモモちゃん』シリーズで有名な児童文学者の松谷みよ子さんが、自身の結婚生活と離婚の過程を描いたエッセイのような小説で、「私自身、離婚を経験した時に、この本にずいぶん励まされました」と言います。
『ちいさいモモちゃん』シリーズは、そんな作者の体験が後半になるほど色濃く反映されていく物語で、シリーズ最後の方の作品では、主人公の両親が離婚した理由や別れを巧みな比喩で描写するシーンが登場します。
お子さんのために購入した『ちいさいモモちゃん』シリーズを自分でも読むうち、いつしかその物語の裏にある作者の体験に興味を持つようになったそうです。そこで読んだのが『小説・捨てていく話』。「自分の経験とオーバーラップする部分が多く、独特の優しい表現にいろいろ考えさせられました」
トークショーが終わった後は、「自分の推し本」のプレゼン大会がスタート。まずは予選として、グループ内で各自の推し本を紹介し合い、その中から代表者を決めて本戦となります。優勝したのは、『ロマンチック・サイエンス』(角川文庫/楠田枝里子)を勧めた女性参加者の方でした。著者の楠田枝里子さんは、東京理科大学で応用化学を専攻し、アナウンサーになったユニークな経歴の持ち主です。
推薦者の女性はそんな楠田さんに憧れ、自身も理系分野に進みました。人生のかたわらにはいつも『ロマンチック・サイエンス』があったそうです。「感情の『ロマンス』と理性の『サイエンス』。一見すると相反する事柄について、とても面白く書いてある本」とのことで、多くの参加者が関心を寄せていました。
「AI書店員ミームさん」はどうやって本を勧めるのか
会場に設置された「AI書店員ミームさん」も本をオススメしていました。
モニターに示された枠内に顔が映るように立ち、横にある「Enter」を押すと写真撮影が始まります。「AI書店員ミームさん」が表情を解析すると、「うれしい」「穏やか」「かなしい」という3つの感情の割合がモニターで示され、「楽しんでますね!」「失恋しちゃいましたか」など、その時の心の状態を推定します。そして、その感情に適した書籍をオススメします。
画像認識エンジンはsMedio社が開発しました。同社はもともと家電製品やパソコンの画像再生ソフトの開発を手がけていたソフトウェア会社で、現在はその技術を応用し、画像認識テクノロジーの分野で多くのソリューションを提供しています。「AI書店員ミームさん」に搭載されている画像認識エンジンは、写真画像を基に、性別や年齢を推定し、表情から「うれしい」「穏やか」「かなしい」という3つの感情パターンを導きます。その上で、ユーザーのその時の感情を「判定」するそうです。
sMedio社に「AI書店員ミームさん」の企画を持ち込んだトーハンの吉村さんによると、開発のきっかけは「書店でお客さまが本と出会える新���い機会を創出したかったから」。当時、吉村さんは『ほんをうえるプロジェクト』という社内プロジェクトの担当者でした。
「ほんをうえるプロジェクト」とは、すでに刊行されている本の中から「ユニークな本」や「良い本」を選書し、新しい売り方を考えて書店に提案するという取り組みです。通常、本のプロモーションが活発になるのは新刊が出たタイミングなのですが、「既刊本の中にもいい本はたくさんあるので、そういう本を読書が好きな方々に広く知ってもらいながら、じっくり販売を伸ばしていこうという目的で始めたプロジェクトです」。実際、このプロジェクトでは、書店だけでなく、SNSやWebサイトを使って、さまざまな本を紹介しています。
「私は『e-hon』という通販サイトを15年ほど担当していました。その経験からすると、ネットとリアル書店に接点を設けるのはとても難しいと感じていました。ただ、IoTやAIが登場したことで、本とのユニークな出会いの機会を創出できるのではと考えたのです」(吉村さん)
実際に「AI書店員ミームさん」を体験した参加者の声を聞くと、「楽しい。どんな本を勧めてくれるのか、表情のパターンを試してみたい」「オススメの理由も教えてくれるので、読んでみたくなります」と、楽しんでいました。
人が勧める本か、AIが勧める本か
AIが本をレコメンドすることは特に珍しいことではありません。Amazonの事例が有名です。過去の購買履歴を基に嗜好が似た人をグループ化し、「あなたは未購入だけど、同じ嗜好グループの人が購入した本」を表示(レコメンド)することで、クロスセル/アップセルを促進するサービスが話題となりました。
「AI書店員ミームさん」の場合、過去の購買履歴ではなく、「その時の表情」がオススメの鍵の1つです。あまり読書の機会がなかった方も気軽にオススメ本の相談ができますし、気分に合わせた本がそのつど紹介されるのはゲームのようで楽しいものです。もし、普段読んでいる本と異なる分野の本だとしても「試しに読んでみてもいいかな」という気分になれるのではないでしょうか。
読書好きの友人が勧める本には「なぜ、自分はこの本を勧めるのか」というストーリーがあります。本の内容よりもその人が語ったストーリーに惹かれて読みたくなるというケースも珍しくありません(むしろ、その方が多いかも)。そう考えると、「AI書店員ミームさん」が勧める本は“自分自身を基点にした本”であり、人が勧める本は“お勧めする人が持つストーリーを重視した本”と言えそうです。
自分に合った一冊を探すにはいろいろな方法があります。書評や友人のレコメンドもいいですが、AIに相談するのも悪くない手だと思いませんか? 一生忘れられない一冊に出会えることを願っています。