二回目の『シン・エヴァンゲリオン』鑑賞。今度は女と一緒に行った。女はアマプラで新劇場版を予習した上に、解説You Tubeを見てきたという。女は庵野秀明とほぼ同世代である。『Q』だけがよくわからないと言っていた。
シアターはブルク13のIMAX。おれが最初に観たのは封切り日だった。満員だったし、なにか空気がピリピリしていた。それがどうだろうか。公開……何周目かの今日は、空席も目立ったし、なによりピリピリしていなかった。
おれはというと、さんざんネットでいろいろな感想、批評、考察、批判を読んできて、なんだかわからないが、二度目とは思えない、という感じだった。庵野秀明総監督のドキュメンタリーももちろん観た。ただ、なんというか、「二度くらいは劇場で観る」と決めてはいたが、それにすらテンションが上がらなかった。でも、あらためて観たら印象変わるかな、と思っていた。
が、印象は変わらなかった。なにかもう、悲しいくらいだった。唯一ウルッときたのは、本編前の「これまでの新劇場版」だった。なぜだかはわからない。
はじまったエヴァはおれが一回観た『シン・エヴァンゲリオン劇場版』であり、さんざん読んだ感想、批評、考察、批判の通りに進んでいった。ありとあらゆる既視感のなかで映画は進み、映画は終わった。
エヴァンゲリオンは終わった。
やっぱり終わっていたのだった。ここまで空虚なのかと思った。そのことに少し心動かされたくらいだった。やはりおれのなかのエヴァンゲリオンは成仏されてしまったのだし、おれは浄化されてしまったのだ。
帰り道、女から「あれどういうこと?」、「いや、あれはわからんです」、「なんだ、わからなくていいのか」、というやりとりを何度もした。「ただ、わからんけど、終わったので、大団円なのです」と言った。「それはなんとなくわかる」と言われた。
帰ってきて、なんとはなしにネットを見ていたら、こんなニュースが目に入ってきた。
『シン・仮面ライダー』。冗談かと思ったら、冗談ではないらしい。
冗談じゃない。いや、たしかに特撮にそれほど思い入れのないおれも『シン・ゴジラ』は面白かった。『シン・ウルトラマン』がどうなるのかわからない。しかし、その上で仮面ライダーをやるのか。
冗談じゃない。庵野秀明には新作オリジナルアニメを作って欲しいと思っているのだ。それがエヴァのように私小説的なものになるのか、『シン・ゴジラ』のようなものになるのかわからない。むしろ、『シン・ゴジラ』のようなアニメでもいいかもしれない。『シン・ナウシカ』を望む声もある。ただ、おれは特撮よりアニメが好きかな、というだけだろう。
いずれにせよ、おれはもうエヴァを振り返ることも少ないだろうし(ただ、Blu-rayは買うだろうが)、春からの深夜アニメを漁ることだろう。
二回目の『シン・エヴァンゲリオン』は、なにかもう、ただ、映像と音が流れていくだけで、本当になんということもなかった。
映画を観てこんな思いをしたのは、初めてだった。初めてのことだった。
おれがどんな気持ちなのか、新劇場版から新しく入って観てもらってもいいですよ。でも、おれがエヴァで最大のインパクトがあったのは、量産型がぐるぐる空を回っているシーンでした。