ビートルズが1968年に設立したレコード会社。
コンピュータやアプリケーションなどの家電製品のデザイン、製造、販売を行う多国籍企業。正式社名は「Apple, Inc.」*1。
本社所在地はアメリカのカリフォルニア州クパティーノのInfinite Loop 1。
文字通り「林檎」の意味で、日本では主に「アップル」の愛称で呼ばれている。
現在のCEOはティモシー・ドナルド・クック(ティム・クック)。
「Macintosh」や「iMac」などのパーソナルコンピュータで有名。
同社のPCに搭載される「Mac OS」は、Microsoft社の「Windows」と常に対比される。
最近のヒット商品は「iPod」や「iPhone」、「iPad」、「Macbook Air」など。
1976年、スティーブ・ウォズニアックがApple Iを製作。これを見たスティーブ・ジョブズは、新しいビジネスになると考え、1977年スティーブ・ウォズニアックと共にApple社を設立した。
その後発売したApple IIは表計算ソフトVisiCalcと共に大ヒットとなり、これまで一部のマニアのおもちゃでしかなかった「パソコン」が仕事にも使える道具だということが分かり、パソコン市場が出来上がった。
この成功を見たIBM社はあわててIBM PCを開発、パソコン市場に参入する。
さてXerox社のパロアルト研究所を見学したスティーブ・ジョブズは、そこでAltoと呼ばれる試作機を目にする。Altoはビットマップディスプレイやマウスを備え、Smalltalkシステムの提供するGUIによる直感的な操作が可能になっていた。これに衝撃を受けたジョブズは自社で開発中であったマシンにGUIを搭載してLisaとして発売する。しかしLisaはあまりにも高額だったため、注目はされたものの商業的には失敗であった。
この頃社内ではもうひとつのプロジェクト、Macintoshが進行していた。ジョブズはこのプロジェクトを乗っ取り、Lisaに近い使いやすさをローコストで実現することを目指した。そして1984年に初代Macintosh、通称Macintosh 128Kがデビューする。
スティーブ・ジョブズはすっかり世界の有名企業になったApple社をさらに強固なものにするべく、当時ペプシコーラ・カンパニー社長だったジョン・スカリーを社長として招いた。しかし、ジョブズの考え方とスカリーの考え方はたびたび衝突し、最終的にジョブズはスカリーの手によって解任、追放されてしまう。
スカリーの考えはMacintoshをオープンなものにして、サードパーティの参入を促そうというものだった。こうして開発されたのがMacintosh IIシリーズである。内部に拡張スロットを持ち、ユーザーが自由に機能を追加できるMacintosh IIシリーズのおかげでスカリーの思惑通りにMacintosh市場が出来上がっていった。
一方、ジョブズはNeXT Computer社を設立。1986年、NeXT Cubeを発表する。
話は前後するが1983年、ジョブズはある会社を訪れている。その会社の名前はAdobeといった。そしてその会社が開発していたのはページ記述言語、後に印刷革命を引き起こすPostScriptである。Apple MacintoshとAdobe PostScriptのタッグはDTPという新分野を開拓し、印刷業界でMacintoshは磐石の地位を築いた。
しかし安穏としていられる時は短かった。Microsoft Windowsが後から追いかけてきたのである。1985年のバージョン1.0では笑ってしまうような存在でしかなかったWindowsだが、着実な進歩を遂げ1990年代に入るとバージョン3.0、3.1が発売されAppleとしても無視できない存在となっていった。
一方のMac OSはシステムが建て増しに次ぐ建て増しで肥大化し、ツギハギだらけの状態になっていた。もちろんApple自身問題は認識し、次世代OS、コードネーム"Copland"や次世代書類作成環境、"OpenDoc"を開発していたが、その進行は停滞していた。また、Macintoshを支えるMotorola社の68040MPUは当時としては驚異的なパフォーマンスを持っていたもののその後の性能は伸び悩んでいた。
そこにRISC CPUであるPOWERを持ってやってきたのがIBM社である。この3社はPowerPC連合を作り、1994年Power Macintoshが発売された。しかし、1995年に発売されたMicrosoft社のWindows 95は社会的なブームとなり、Macintoshのシェアをどんどん奪っていった。Appleの業績は悪化し、たびたび買収の噂が立つほどだった。
Power Macintoshが発売されたが、依然として新しいMac OSの開発は進まなかった。CoplandなしではPower Macintoshの真の実力は発揮できなかった。このころAppleはMacintoshのOSを他社にライセンスして互換機を作ることを認めた。Mac OSという言葉ができたのもこのためであろうと言われている。Macintosh互換機市場にはMotorola社やUMAX社、Radius社、Pioneer社などが参入した。
しかし、とうとうCopland開発計画は破綻。開発中止が決定された。新たなOSを一から立ち上げるのが困難と考えたAppleは他社のOSを買収することにした。大本命はかつてMacintosh IIやPortableの開発を指揮し、Appleを退社後Be社を設立したジャン・ルイ・ガセーのBeOSだった。BeOSはまったく一から書き起こされたOSで、PowerMacでも動作し、軽快な操作性、オブジェクト指向などで注目を集めていた。しかし最終的に決定した内容はジョブズのNeXT社を買収するというものだった。
Appleに戻ってきたジョブズは容赦なく収益につながらない部門を切り捨てていった。スカリーの立ち上げたNewton、OpenDoc、CyberDogなどが次々と切り捨てられた。また、Mac OSのライセンスを中止。そのため互換機メーカーはいっせいに撤退せざるを得なかった。これらの技術に関与していた技術者はもちろん反発した。しかしもっとも衝撃的だったのはMicrosoft社との和解、Internet Explorerの標準採用だった。このことにはユーザーも激しく反発した。マスコミはAppleがとうとうMicrosoftの軍門に降ったと書きたてた。
いっぽうジョブズはそのような批判を意に介していないようだった。かつて自身でパソコン市場を作り上げ、20年間シリコンバレーで生き残ってきたこの男はしたたかだった。"Think Different"をスローガンに掲げ、Power Macintosh G3(第三世代)を発売。新世代をアピールしたこのマシンは好調な成績を収め、Appleは一息つくことができた。
また、Coplandに採用されるはずだった技術のうち完成に近づいていたものを部分的に採用しMac OS 8として発売した。さらにNeXTSTEPの技術をベースにしたMac OS X (テン) を発表。BSDをベースにしたこの新OSは堅牢性が非常に高く、オブジェクト指向開発環境であるProject BuilderとInterface BuilderはNeXTSTEP時代から評価が高かった。それまでのMac OSとMac OS Xでは互換性が失われるためCarbonとよばれるAPIを採用し、移行が簡単に行えるようにした。
ハードウェアの面でもジョブズは大きな改革を成し遂げた。これまでのコンピュータの外観からは程遠い半透明で丸っこいボディを持つiMacの発表である。拡張性はメモリとUSBのほかはほとんどなく、フロッピーディスクドライブを持たないマシンが本当に売れるのか、コンピュータを知っている人ほど首を横に振った。
しかしこれが逆にコンピュータをあまり知らなかった人たちに受け、iMacは大ヒットとなった。後にカラーバリエーションも加わりジョブズは「これからはコンピュータを色で選ぶようになる」とふざけてみせた。またハードウェアのラインアップを大幅に整理。コンシューマー向けのiMac、iBookとプロ・セミプロ向けのPowerMac、PowerBookとした。
そしていよいよ2000年9月、Mac OS X発売。そのころ「パソコンはいずれ滅びる」と言われていたがジョブズは逆にパソコンが生活の中心になると予言。そのためのハードウェアとしてiPod、ソフトウェアとしてiTunes、iPhoto、iDVDを次々と発表してみせた。
2002年、iPodがWindowsにも対応。2003年のWindows版iTunes発表によってWindowsでも気軽に音楽が楽しめるようになったのに加え、音楽配信サービスのiTunes Music Store(現iTunes Store)を開始。iPodはもはやMacintoshの周辺機器とは呼べないほどに成長した。
2003年6月、OS9でのブートが終了し、AppleはUNIX採用のOSX単独ブートに移った。一部の漢字Talk時代からのユーザーなどは「MacはPCと化した」との批判もあるが、iPodブームの影響かMacユーザーは増えつつある。
2005年6月、10年間に及ぶIBMとの関係解消、及びIntelとのパートナーシップ締結を宣言(IBMのPowerPC開発の遅れが大きな要因とされている)。2006年中にまずは「Mac mini」などのローエンドモデルからIntelチップ搭載のMacintoshが市場に投入される予定となっている。PowerPC用に作られたソフトウェアをそのままIntelチップで動作させることはできないため、移行に要する労力が懸念されているが、Xcode 2.1以上でアプリケーションをUniversal Binary(ユニバーサルバイナリ)化にするか、またはRosetta(ロゼッタ)によってシミュレート出来るとされている(Classicはサポートされない)。
2006年1月11日未明(米国時間10日)、Intelチップ搭載のMacintoshがMacworld Expo 2006で発表された。PowerBookの後継機種だと思われるMacBook ProとIntelチップ搭載のiMacが発表された。どちらも1月5日にIntelが発表したデュアルコアCPU、Core Duoを採用している。
2006年8月7日、Macファミリーの全機種がIntelの最新のプロセッサを採用。210日でIntelプロセッサへの移行を成功裏に完了。
2007年春、Mac OS X v10.5 Leopardを出荷予定だったがiPhoneのOS開発に優先してしまったため、10月に延期した。対するMicrosoft陣営は1月にWindows Vistaを出荷した。
2007年1月9日(日本時間10日未明)、Macworld San Francisco 2007 Keynoteスピーチ中、スティーブ・ジョブズが名称変更を発表。併せてApple TVを正式発表し、リビングへの進出への第一歩を刻んだ。
Appleには伝説が非常に多い。
1984年1月24日、Apple社はMacintoshを発表します。
あなたがたは1984年がどうして『1984年』のようにならないか解るでしょう。
あまりの意味不明な内容にニュースにもなったほどだった。監督はリドリー・スコット。
*1:2007年1月9日にApple Computer, Inc.から改称。日本法人は2007年3月1日付でアップルコンピュータ株式会社からアップルジャパン株式会社に社名変更