大森時生/テレビ東京 プロデューサー・ディレクター
PROFILE: (おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「Raiken Nippon Hair」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出された。X(旧Twitter):@tokio____omori
ダ・ヴィンチ・恐山/ライター、小説家
PROFILE:(だ・ゔぃんち・おそれざん)東京都出身。2009年よりツイッターを中心にインターネット上での活動を開始。さまざまな媒体で活動した後、2015年に品田遊名義で小説家としてデビュー。以降、小説家としては品田遊の名義を利用している。2016年にバーグハンバーグバーグ入社。コンテンツのクリエティブディレクションから編集まで幅広く手掛ける。著書に「止まりだしたら走らない」(リトルモア)、「名称未設定ファイル」(キノブックス)、「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)など。X(旧Twitter):@d_v_osorezan
テレビ東京のプロデューサー、大森時生が仕掛ける「TXQ FICTION」シリーズの第1弾として、2024年4月30日に「イシナガキクエを探しています(1)」が放送された。この番組は「探しています」とのタイトル通り、行方知れずとなった架空の人物“イシナガキクエ”を捜索するフィクション。これまで大森が手掛けてきた「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」などの評判が期待を呼び、放送中からSNSではさまざまな考察があふれた。
今回「イシナガキクエを探しています」第2回の放送を前に、対談形式で話を聞いた。そのお相手は、「オモコロ」などのメディアでライターとして活動、「SIX HACK」では構成を務め、さらに「品田遊」名義で小説も執筆するダ・ヴィンチ・恐山。同世代で触れてきた文化圏も近い2人が見据える、フェイクドキュメンタリーの未来とは。
「SIX HACK」はある種の自傷行為みたいだった
——お2人が最初にお仕事をしたのは2023年4〜5月に放送された「SIX HACK」ですが、その前から面識はあったのですか。
大森時生(以下、大森):2022年の12月に放送した「このテープもってないですか?」の時に、恐山さんが番組の感想をネットに書いてくれて、それをきっかけにご飯を食べに行ったのが最初ですね。
ダ・ヴィンチ・恐山(以下、恐山):その食事の席で、「一緒に何かやりましょう」という話をして、1カ月後くらいには「SIX HACK」の企画が送られてきました。
大森:業界人によくある、実現しない口約束に終わらないでよかったです。
恐山:ちなみにその「SIX HACK」では、構成という役割上、エンドクレジットで最初に私の名前が出るので、多くの人から番組の全体像を私が考えたと誤解されているのですが、決してそんなことはありません。
大森:ドラマでいう脚本家みたいに思われているんですかね。もしそうだとしたら確かに誤解で、あの番組はたくさんの人たちが関わって作っています。
恐山:企画や構成には初期から関わっていましたが、私が脚本を直接担当したのは主に番組内VTRなどです。
大森:もともと僕は恐山さんの作品や日記のファンだったのですが、「SIX HACK」につながる作品でいうと、品田遊名義の「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」(イースト・プレス)という本があって。あの本のトンマナというか、世にはびこる論破的なものからズレた視点が、番組のテーマ「偉くなる」と相性いいだろうなと思いました。
恐山:テレビで見られる“悪さ”から、もう一歩踏み込んだものをやりたいと思っていたので、そういう視点のズラしは意識しましたね。
——テレビ番組の構成をやってみた感触はいかがでしたか。
恐山:秩序のないネット空間と比べると、テレビはきちんとした枠組みがある分、おかしなことをやったときの緊張感はだいぶ違いました。ただ、自分で放送を見て、あんな番組を放送していいのだろうかと、率直に思いました。
大森:特に恐山さんが担当した「ネットで偉くなる」しぐさやコツを紹介したパートは、誰しもに広く関係するネタが多く、それは当然僕たちにも降りかかるところで、もはや最終的に自傷行為みたいになってましたよね。
実際につながる電話番号が用意されたわけ
——新作「イシナガキクエを探しています」は、いち視聴者として恐山さんはどう見ましたか。
恐山:子供のころ、ああいう人探し番組を見た時に感じたざわざわした気持ちを久しぶりに思い出しました。番組の体裁としてはホラーの感触もあるのですが、それよりも、テレビの中で何が起きているんだろう��という不安感の方が強かったです。
大森:いわゆるJホラー的な怖さとは違いますよね。例えば、イシナガキクエを探している当事者の“米原さん”という方がカメラに向かって話しているシーンは、米原さんの視線とか間に不気味さがあって、何か視聴者を驚かせるような仕掛けがあるわけじゃない。
恐山:そもそも、指名手配犯とかではなく一般人の、しかもだいぶ昔に失踪した人を探すという番組のコンセプト自体が歪(いびつ)ですよね。
大森:人を探す番組はテレビの定番としてありますけど、「イシナガキクエを探しています」は体裁がそれっぽいだけで、よく考えると、この人を探す理由も分からないし、肝心の番組意図がつかめないんです。今回は新しく立ち上げた「TXQ FICTION」という枠組みの中でフェイクドキュメンタリーをやることがテーマなので、これまで僕が作ってきた番組にあったような、構造でのだまし討ちとかではなく、フィクションとしての強度を高めることを追求しました。
恐山:フィクションとしての強度を高めてはいますが、なんならこれまで大森さんが作ってきたどの番組よりも、リアルだと勘違いする人が多そうな気がします。
大森:それは放送時間も関係あるかもしれません。「SIX HACK」は深夜1時からの放送でしたが、今回は深夜0時30分なので、統計的にはざっくり30万〜40万人が視聴しているんです。SNSなどを通じて番組の概要を知った上で見ている人もいますが、ほとんどの人は事前の情報なしで見ているはず。
——視聴者からの情報提供を呼びかける目的で、問い合わせ先の電話番号を放送内で紹介していましたが、あれはOKなんでしょうか。
大森:テレビには、ダメそうでダメではないことはたくさんあります。まさにこれはその一例だと思います。関係各所との綿密な擦り合わせはしました。実際につながる番号を用意したので、放送中に回線はパンクしちゃったんですけど。
恐山:深夜1時近くに電話をかけさせるって、相当なことですよ。
大森:存在しない番号でもよかったんですけど、むしろそれを探す方が難しい部分もあって。それに、コンセプトの段階で「イシナガキクエを探しています」という大きな嘘をついている以上、ほかの部分はなるべく本物にしておかないと、リアリティーがなくなってしまう。スタジオに電話を設置したのも、よくある人探し番組のセットには電話を受けるオペレーターが何人もいるよなっていうところから、じゃあ設置しようかっていう順番で。実際につながる電話番号があったらおもしろい、という発想では全然ないんです。
素材の段階から本物っぽさを追求する
恐山:人探し番組の体裁であるとか、実際につながる電話番号とか、そういった構造のおもしろさはもちろんあるんですけど、私が一番グッときたのは、あのおじいさんの表情やしぐさだったんですよね。
大森:さっき話に出た米原さんですね。
恐山:静かにたかぶっていく感情がなんとも言えず、これはすごいものを見たぞって。あのシーンは演技を超えた何かが確実に宿っていました。しかも、あの方はかなりの高齢者だと思うのですが、難解な番組のコンセプトをよく理解してもらえたなって。
『フェイクドキュメンタリー「Q」』を見ていても思うのですが、ロケーションにしても演技にしても、フェイクだからって決して安っぽくはせず、廃虚ひとつとっても、本気でふさわしい場所を探してくるじゃないですか。あれはすごいなと思います。
大森:「イシナガキクエを探しています」には、『フェイクドキュメンタリー「Q」』の寺内康太郎さんと皆口大地さんにも参加していただいています。寺内さんとはその前にも「祓除」というイベントでご一緒したのですが、僕が一番すごいと思ったのは、素材へのこだわりです。
テレビのやり方だと、撮ってきた映像はあくまで素材として使って、編集の段階で本物に近づけていくのが一般的です。つまり、完成品を本物っぽく仕上げることが最終目標。でも寺内さんは、素材の時点で本物っぽさを追求しているんです。だからこそ、ロケーションでも何でも、撮影の時からどうしたら本物に近づけられるか粘りまくる。素材にリアリティーがあると、編集のセンスや技術でどうにかするのとはまったく違う仕上がりになるんですよ。
恐山:廃虚にしても民家にしても、現実だからこその猥雑さはそう簡単に模造できるものではないですからね。
大森:民家を舞台にする場合、実際に人が住んでいた家じゃないと本物っぽさって出ないんですよね。不思議なことに、人が住んでいた家の匂いとかって、画面越しにも伝わるんです。
恐山:その感覚すごく分かります。匂い、伝わりますよ。
大森:1つ前の時代のフェイクドキュメンタリーは、あくまで低予算で、ロケーションや役者の演技にもそこまでこだわらなくていい、というものも見受けられました。でも今はそのフェーズではなく、これからはクオリティーが求められる時代になってきたのかなと。
恐山:そのうち映画の規模になって、いずれは黒澤映画みたいに民家を壊すかもしれない。
大森:「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)のころはまだ、アイデア一発で観客を驚かせることができましたが、そこから20年以上経って、最近だと「女神の継承」(21年)とか「呪詛」(22年)とか、映画の中でPOV(Point of View)の手法を使うことが増えてきて、視聴者にとっては映画のクオリティーが水準になっているんですよね。いまや配信で普通にテレビ画面でそういう作品を見ていますし。
そんな時代に、深夜のテレビ番組の予算と規模でフェイクドキュメンタリーを作るとなったら、どうしたって素材で粘るしかない。POVの手法で効率的に撮ったカットをつなげた作品に勝てる唯一の方法は、ノーカットで撮って、その素材を全部つなげると本物に見える、くらいのクオリティーが必要だと思ってやっています。
ロールプレイを続けていると本物に近づいてくる
——「イシナガキクエを探しています」のエンドクレジットを見ると、スタッフの人数がドラマと比べるとだいぶ少ないですよね。
大森:ドラマや映画の現場には必ずいる撮影部、照明部、美術部といった技術スタッフがロケ先にまったくいないんです。なぜいないかというと、そういった外部の専門スタッフがいると、本物に見えるまでひたすら粘って撮る、という手法ができないから。現場の座組としては、プロデューサーの僕と、演出部の寺内さんと皆口さん、近藤亮太さん、あとは役者の方々くらい。素材を撮ることに徹底的にこだわるには、このくらいの人数が限界なんです。技術部のスタッフがいると「いい加減にしろ」となってしまうので。
恐山:フェイクドキュメンタリーって、視聴者を引っ掛ける意図が少なからずあるわけなので、本質的にサディスティックなのは否定できないですよね。だからこそ、作り手が受け手をなめたような態度を出してはいけないと思うんです。なめない態度の1つとして、本物っぽさの追求というのがあって、作り手の「どうだ、すごいだろ」みたいな態度が透けて見えると、その時点で視聴者はびびらないし、失礼。そうではなく、作り手自身が「これ大丈夫か……」って、びびったり怖がったりしているくらいがいい。
大森:その最たるものが「祓除」でしたね。あれは僕も含めスタッフみんなあまりに複雑な入れ子構造が故に、不安な気持ちで制作していました。
恐山:「イシナガキクエを探しています」もこの先そうなっていくんですかね。
大森:いま#2を作っている最中なのですが、番組を見て情報提供の電話をかけてくれた人たちに、折り返しの電話をかけているんですよ。
恐山:え!? どういうことですか?
大森:2000件くらいの着信があったので、もちろん全員は無理ですけど、なるべく多くの人に「より詳しい話を聞かせてください」って、スタッフが電話をかけています。
恐山:そんな電話めちゃめちゃ怖いじゃないですか。
——野暮なことを承知で聞きますが、情報提供者の中には本当に人探しをしていると思っている人もいるのでしょうか。
大森:先ほど言った通り、視聴率から視聴人数を割り出すと、まったくの事前情報なしで見ている人も、中にはいるかもしれないです。そういう方には「TXQ FICTION」という番組であることをお伝えしています。
恐山:電話を折り返して得た情報は番組に反映するんですか?
大森:それは本編をご覧いただければと思います。
恐山:百物語の最後に妖怪が現れるのと同じで、このままいくと本物の方からどんどん近づいてきますよ。
大森:本物が近づいてくるだけじゃなく、これは「SIX HACK」や「祓除」を作りながら改めて実感したことですが、真剣にロールプレイを続けていると、自分たちも本物に近づいていくんですよね。
人はなぜ“考察”したがるのか
——インターネットの世界では、フェイクドキュメンタリーやホラー系が近年さらに盛り上がっているように見えます。
恐山:私が所属している「オモコロ」でも、ここ何年かのPV上位はホラーが独占していますね。映画化もされた「変な家」もオモコロの記事として出していましたし、大森さんと「祓除」でご一緒されていた梨さんも大人気です。
大森:有象無象が混在しまくるネットとホラーは相性いいですもんね。
恐山:それでいうと、小説を発表するサイトとかは数多くあるのですが、「オモコロ」みたいに何でもありなメディアって実はあんまりなくて。どのサイトやメディアもたいてい何かしらのテーマや専門性があるんですよね。だから「オモコロ」のような雑多な場所に突然ホラーが放り込まれると、余計に怖いっていうのはあるのかもしれません。読者は創作なのか実体験の���ッセイなのか、何も分からないまま読むことになるので。
——ネット上のいわゆる「考察」については、どう見ていますか。「イシナガキクエを探しています」も放送中にかなり盛り上がっていました。
恐山:流行りとしての考察文化について言えば、騙される側にいたくないというか、より制作者の視点に近い、俯瞰した立場になりたいという動機もありそうです。何か騒動が起きたときに、誰よりも早くメタな視点で総括したくなる気持ちにも近い。
大森:余白が許せないような人も多いのかなって思いますね。正解の解釈を求めたがるというか。
恐山:もちろん、純粋にミステリーやホラーが好きで、趣味として読解を楽しんでいる人も当然います。SNSではそこが混在していますよね。
——大森さんご自身は、考察の盛り上がりを見越して作っているのでしょうか。
大森:いや、そんなにはしていないですね。「イシナガキクエを探しています」に関しては特にしていないです。あくまで純粋に物語として楽しんでほしいと思って作っています。それこそ今回私たちはネットに何も仕込んでいないんです。それなのに次々とネット上でイシナガキクエのピースのようなものが出てくる。視聴者の方が自らやっているんですよね。それが都市伝説の発生の過程のようで興味深いです。一部度を過ぎているので、良識の範囲内でやってほしいとは思いますが……。
脱構築的な手法では時代を超えられない
——一方で、インターネットの集合知によってさまざまな難問が解決していくことも実際にはあるわけで、受け手に対してどこまで期待していいのか、過度な期待はしない方がいいのか、そのあたりはどう考えていますか。
恐山:それは永遠の課題でしょうね。どこに照準を合わせるのか、作り手によってもかなりばらつきがあると思います。例えば雨穴さんの作品などは読み解きを前提としたエンタメとして人気ですが、妖しい雰囲気それ自体に感情を動かされる体験もできます。深く掘ろうと思えば掘りがいはありつつ、別に掘らなくても楽しめる、というのが理想ですよね。
大森:照準という意味では、結局は自分に合わせるしかないのかなと思います。そこを想像でやってしまうと、ミスが起こりやすい気がするんです。新しい表現を追求するためにも、なるべく想像とか予想ではなく、実感を伴った作りにしていきたいというか。
恐山:受け手の心情だけはコントロールできないですからね。
大森:ほんとそうなんですよ。どうせ分からないだろうと想像して幼稚なものを作りたくもないし、分かってくれるはずと予想して自己満足だけで終わるものも作りたくはない。
恐山:ジャンルの宿命として、考察から逃れられないこともまた事実ではありますし。なので私は、自分が見たい/見せたい景色を思い浮かべて創作や企画をしていて、受け手がそれを追体験できたらひとまず目的達成かなと思っているんです。だからこそ、私が「イシナガキクエを探しています」を見て一番いいなと思ったのは、あのおじいさんの迫真の姿だった。あのグロテスクだけど目の離せない瞬間を作り手は見せたかったんだなと感じたし、私も見たかった。ここに完璧なコミュニケーションが成立しているので、考察は必須ではないんです。
大森:恐山さんにそうおっしゃっていただいて、本当にうれしいです。僕が大事にしているのも感情です。種類はどうであれ、見た人の感情を動かしたい。
恐山:ただ、感情というのは個人的なものなので、他人との共有がとても難しい。共通の話題として消費するには考察や解釈、謎解きの方が相性いいんですよね。なので、バズを狙うのであれば、多くの人が共通の話題として盛り上がれる方を向いてしまう、という。
大森:……と、いろいろ言っていますが、TVerなどで再生回数が伸びるのは、深く考察してくれている熱心な視聴者のおかげであることも間違いないので、そこは素直に感謝しています。あとは、その深読みを実生活には反映させないでください、と祈るばかりです。日常生活にまで深読みを発揮させてしまうと、待っているのは陰謀論の類いしかないですから。
そういう意味では、もしかしたら自分の作った番組がその入り口になってしまっているのでは? という可能性についても常々考えているんです。その結果、今回から「TXQ FICTION」という名前をつけて、フィクションと銘打ったシリーズにしていこうと決めたところもあるので。
——事実かどうかをぼやかすことで増す恐怖もありますが、フィクションであると明言した方が潔いですし、態度としても真摯で、優しいと思います。
大森:僕自身、この仕事を始めた最初のころは特に、フィクションと謳うことで魅力が減るんじゃないかと思っていた時期もありました。でも、いろいろ自分の番組を作っていく中で、そこは堂々とフィクションと銘打った方がいい、そのことで魅力を損なうことはないと、はっきり思うようになりました。そこは個人的なフェーズの変化でもあります。
例えば、「このテープもってないですか?」は、バラエティー番組の体裁をとりながら、ギミックとして不気味な要素を忍ばせるという作りでした。ただ、そういった形式や構造のひねりで引きつける脱構築的な手法だと、瞬間風速は出せたとしても、時代は超えないとも思ったんです。同時代性という意味では楽しいし、そういう番組をまた作ることもあるかもしれませんが、それよりも今は、いつどの時代に見られても同じように楽しめるものを作りたい。そのためには、フィクションであることが必要だと考えています。
PHOTOS:YUTA FUCHIKAMI
■「イシナガキクエを探しています」(2)
テレビ東京
5月10日(金)深夜1時53分〜2時23分
■「イシナガキクエを探しています」(1)
の配信はこちら
https://tver.jp/episodes/epfy61qq2z