グーグル取材こぼれ話①相反する2つの顔
夏にグーグル(ロンドン)の取材をした時、しみじみと、グーグルは不思議な存在だなあと思ったものだ。グーグルに関してはたくさんの情報が既に出ているし、ここに来られている方は既に私よりもはるかにグーグルに関して知っているとは思うけれども、いくつか気づいた点があったので記しておきたい。
Google is not evil(グーグルは悪者じゃない)というモットーはよく知られているが、「本当にそうなのかな?」という疑念を持つ人が多くなっているのではないだろうか。かつて、マイクロソフトが、反トラスト法違法として米司法省に提訴された頃、いつのまにか「悪いやつ」的な目で見られるようになったけれども、グーグルも一部の人からすれば、そう見られている部分があるように思う。
検索エンジンの会社として「世界中の情報を整理する」という目的を聞けば、このまますっと理解したら、「すごいなあ!」と好意的に取れる。しかし、世界中の情報を一企業で網羅してしまうことを究極的にはそして広告会社という側面を支えるためにも必要、ということになってくると、「待てよ」とも思う。
ロンドン・オフィスの取材のためにグーグル・オフィスに着いた私は、受付に置かれていた、いくつもの赤や青のソファー、白い壁、壁に貼ってある楽しそうな感じのポスターのようなものに、いわゆる「大いなる遊び心」を感じた。非常にリラックスしていて、かつ楽しそうなのだった。会ってくれた広報の女性も、明るく、生き生きと楽しそう、かつ非常にオープンだった。
しかし、こうした面の一方で、ヒヤっとするような感じの側面も見えてきた。例えば、受付で、「xxさんと面会のアポがあります」と説明すると、待っている間に、コンピューターの画面の��章を読み(結構長い)、その場で、「社内で知りえたことは一切外に漏らしません」という文書(画面上の)にサインしなければならない。(後で広報の女性に、「メディアの人はこれには該当しない。取材したことを書かなければ、仕事にならないものね!」と明るく笑われたが。)この時、「とにかくこれを読んでください。そしてサインしてしてください」というのが、自分にとってはいかにも唐突だった。それも、立ったまま、その場で読まないといけないのである。考えてから・・・ということは許されないのだ。
その後、取材は無事に済んだが、本当にグーグルは不思議だなあと思ったのだった。
グーグルの創業者二人はスタンフォード大学の学生たちだった。本社は米サンフランシスコにある。ここで考えたのは、サンフランシスコの「乗り」が私には理解できていないのではないか?ということだった。
もし私がサンフランシスコの風、ものの考え方に十分になじめば、「悪くない」、「世界の情報を・・・」の意味がもっとすっきり心に入ってくる可能性もあるのではないかー?自分は英国のシニカルなものの見方が頭に染み付いているので、グーグルをシニカルかつ一定の懸念を持ってみているのではないかー?そんな思いがしたのである。
次回以降で、グーグル・ロンドンでのインタビューの内容を紹介したい。