インド人記者が見た“コロナ禍”の五輪「日本でしか大会開催できなかった」
東京五輪には世界各国からさまざまなメディア関係者が来日している。彼らは東京五輪をどう報じているのだろうか 【Getty Images】
延期、感染防止のための膨大な規定、ほとんどの会場で定められた無観客での開催。空前の感染拡大がとどまらず、異例の形式による実施を強いられた東京大会を、日本にやってきた各国の記者たちはどのように捉えているのか。世界中で新たなスタンダードとなったオンラインでの取材を活用し、正直な意見を聞いてみたいと考えた。
まず話を聞いたのは、インドの新聞『Indian Express』で記者を務めるミハイル・ヴァサブダさんだ。2010年に南アフリカで行われたサッカーワールドカップや、12年のロンドン五輪など、世界各地の大会に赴き、取材を重ねてきた経験を持つ。国内の感染者数が3000万人を超え、日本よりはるかに危険な状態に陥っているインドをルーツとするヴァサブダ記者に、率直な意見をうかがった。
プレイブックの規定は必要だけど、問題点は……
これまで取材に行った五輪やアジア大会などと比べて、運営に関するレベルは高いと感じています。入国後のホテルでの隔離生活、ホテルから競技場までの移動、食事に至るまで、特に不安なく行うことができています。
――今回は今お話に出た入国後の隔離や国内での移動範囲など、新型コロナウイルスの感染防止のためのプレイブックが設けられています。その内容についてはどう考えていますか?
プレイブックに定められた規定については、全て必要な内容だと思います。ミックスゾーン(取材エリア)では選手との距離が遠く作られていて、周りの音も大きいので、互いに大きな声で話さないとコミュニケーションがとれません。ただ、何のために定められたルールかは分かっているので、仕方のないことだと思います。問題点として挙げたいのは、規定として周知されるまでの時間が長くかかったことです。5月後半あたりから週に一度くらいの頻度で変更の連絡があり、さまざまな国の選手や記者が複雑な状況に陥りました。「大会前にはこう伝えられていたのに、現地に着いたらどう対応すればいいか誰も分からなかった」というケースもありました。組織委員会の連絡については、もう少しクリアにした方が混乱は少なかったのではないかと思います。
――今大会はここまで厳しい暑さが続く大会にもなっています。その影響についてはどう感じますか?
私はインドのムンバイ市出身なのですが、それと変わらないくらいの暑さですね(笑)。25日はホッケーを取材していたのですが、やはり陽射しがプレーに影響を与えていたと思います。監督の選手交代のペースがいつもより早かったのは、この暑さを考慮してのことでしょう。
2048年に、デリーでの開催を目指す動きも
インド紙『Indian Express』のミハイル・ヴァサブダ記者 【スポーツナビ】
以前と比べたら良くなっています。4、5月が一番深刻で、特に4月には、私の知人やその家族が毎日のように亡くなっていました。それから少し状況は改善し、今では1日の感染者数は3万5千から4万人の間くらいになっています。ただ、インドは日本と比較して10倍以上の人口があるので、それを考えれば今はそれほど悲観するような状況ではないと考えています。
――ただ、依然として厳しい状況の中で五輪が行われていることについて、インド国内ではどのような反応があるのでしょうか?
東京五輪が行われることについて、インド国民の多くは不安を感じていました。インドのニュースの多くはアメリカやイギリスから流通しているのですが、その両国のマスメディアが五輪に対するネガティブな情報を多く伝えていたことも、その要因として挙げられます。一方で、インド国内では日本の組織力は世界一だというイメージがあり、パンデミックの中で実際に五輪を開催できる国は日本しかないと考えています。日本が開催するのであれば、間違いなく大会はうまく進行できると。大きな目で見ると、インド国内において五輪の人気は高いですし、若い選手たちのモチベーションにもなっています。社会全体のレベルアップを図ることができれば、インドの選手たちもさらに五輪の舞台で活躍できるはずです。
――2032年の五輪誘致にムンバイ市が参加していましたが、惜しくも決定には至りませんでした。今後も誘致活動を続けていく可能性はあるのでしょうか?
先日、ニューデリー市長が「2048年の五輪をデリーで開催したい」という意志を表明しました。その前年にあたる2047年は、インドの独立100周年であり、次の100年が幕を開ける2048年に五輪を開催したいという意図があるのです。その前の誘致は難しいと思いますが、そうした強い気持ちを持っています。