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じゃあ、ちょっと次行って。
ちょっと物語が進む感じ、先に進んでいく感じですね。
えっとね、次はね、今僕持ってる、心情文庫のページだと230ページぐらいまで行くんですけど。
真ん中ぐらい。
そうだね。
で、シーンだけ、逆に言うとね、このシーンね、最後がすごい展開だと思ってて、僕は泣いたね。
最後のシーンだけ、なぜか脳裏に焼き付いてますよね。
そうですよね。
物語の大筋の細かいところ忘れちゃってるんですけど、映像だけ残ってます。
最後すごいし、あれをね、モームの小説としての力がすごかった。
で、それを引っ張りたかったんだけど、ちょっとね、あれはね、やっぱりね、やっぱりこれ、この小説を読んで、何かすごさがわかるってところだから、ちょっと引っ張れなかった。
語らないでおこうと。
ちょっと引っ張ってもわかるんじゃないし、ちょっと失礼だなと思ってやめたんです。
最後のシーンだけ切り取ってね。
なので、最後は引っ張ってません。
で、今から引っ張るところはちょっとだけネタ割れしちゃうところなんで、でもね、最後の一番大事なところじゃないから。
そうですね。
まあまあ任せしますけれども。
気になる方は見てね。
これどういうところかっていうと、ストルーベっていうね、画家の人がいて、ストリックランドと親しくなるんです。
ストリックランドってああいう、もう本当に切り詰めた生活をしてるから、どんどんど��どん衰弱しきっていって、
ある日ストルーベがストリックランドの家に行って、その衰弱しっぷりを見て、これがまずいって思って。
ストリックランドって生きてるときは、絵のすごさってわかんなかったわけですよ。
死んだ後に大有名になったっていうね、よくあるパターンなんですけど、
ただストルーベっていう画家は、もうこのストリックランドの絵のすごさを認めてたんですよ。
だからこのストリックランドが衰弱しているのを、これはまずいって思って、
なんとか助けたいって思って、家に連れて帰るんですよ。
だからストルーベにも奥さんがいて、奥さんのブランチって言うんですけど、奥さんもね、ストリックランドみたいに表現するんですよ。
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最初ストルーベがストリックランドを連れて帰りたいって言うんだけど、ブランチは奥さんは絶対嫌だって言うのに、
最後はもちろん引き受けて、懸命に尽くして、むしろ、
何だったらもう、あなたと別れて、私はストリックランドについて行きます。
これってどういうことなんだねって。
これもあるんですけど、一旦置いといて、
で、ブランチが、奥さんがね、それで、自殺するんですよ、最後。
そうでしたか。
で、ストルーベ夫が、ストルーベもね、人石というかね、
妻が、私はストリックランドと一緒に生きてきますって言われて、
受け入れがたいけれども、受け入れて、この家使ってくれって言って、自分の家を渡して、ストルーベ出て行ったっていう。
で、ストルーベが、ブランチが自殺してしまったってことを聞いて、
ストリックランドに対する怒り憎しみみたいなものがあるわけです。
で、自分の家に戻って、ストリックランドも出て行ってるんですよ。
一応、ストリックランドおかげさまで元気にはなってる。出て行って。
っていうシーンとか。
なんか、すごい、今の展���だけでもね、すごいことがいろいろ起きてるよね。
ここでも語らないといけないことがたくさんあるんですけれども、
今日はね、そのシーンが読んでいきますね。
ストルーベが家に帰ったところです。
その途端、息を呑んだ。
キャンバスに描かれていたのは、ソファーに横たわる女の姿だった。
片方の腕は頭の下に置かれ、もう片方は体に沿っている。
片膝を立て、もう片方の足は伸ばしている。伝統的なポーズだ。
ストルーベは頭がクラッとした。絵の女はブランチだった。
悲しみと嫉妬と怒りに襲われ、彼はしゃがれ声で叫んだ。
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悲鳴は言葉にならなかった。
拳を握りしめ、見えない敵を脅し続けるように振り上げ、声の限り叫んだ。
我を忘れていた。耐えがたかった。自分を抑えようがなかった。
ストルーベは夢中で道具を探した。
絵を切り刻んでやるつもりだったのだ。一分たりとも存在させておけない。
手頃な道具は見当たらず、絵の道具箱をかき回した。
だが、どうしたわけか何も見つからない。
ストルーベはしまなこになって探し続けた。
とうとう使えそうなものが見つかった。大きなコテだ。
彼は勝ち誇って叫び声を上げ、コテを掴んだ。
そして探検を構えるように持つと、絵に向かって突進した。
ここからストルーベが私という人に話すところなんですよ。
私っていう人がストルーベに会って、一体何が起こったんです。
ストルーベが回想してるシーンなんです。
ストルーベが言うんですよ。
何が起こったのか自分でもわからない。絵をズタズタにしてやるつもりだった。
コテを振り下ろしてやろうと構えていた。
だが、その時目に入ったんだ。
何が?
絵だよ。ほれぼれするような出来だった。
触ることもできなかった。怖かった。
ストルーベはまた黙り込み、口を開けたまま私を見つめた。
丸い青い目を飛び出しそうなほど大きく見開いていた。
素晴らしかった。圧倒された。
もう少しで僕は恐ろしい過ちを犯すところだった。
いやですよ。だって一分なりともすれ違いさせられないっていう激しい感情がね。
何もかかわらず。
すごいでしょ。
すごいね。何が起きたの?
ちょっと上気を失してますね。
中田さんに何回かお話してると思うんですけど、
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芸術を見るときって、作品と作者って切り離してみたいんですよね。
切り離してみる見方があるし、
もちろん作者を通じて作品を見るっていうやり方もある。
さっきの五歩の絵なんていうのはね、小林龍さんなんか、
五歩の絵は知らないと真に良さがわかんないっていうぐらい。
それでもそういう見方があるってだけなんですよ。
だけど作品そのものを見てっていうやり方ももちろんあってよくて。
僕はそっちのほうが好きなんですよ、どっちかっていうと。
やっぱ作者も一つのバイアスになっちゃうから、
自分が本当に憎んでる人の作品だって見れないし好きになれないですよ。
その作品のこと見れない。
真に受け止められないでしょ。
だからやっぱり、有名だからこの絵はすごいんだって言って、
色むがりに限って見ちゃうっていうのもなんか微妙だしね。
その作品そのものと向き合って生きたいわけです。
だからそういうふうにやりたいと思うんで、それを大事にしてるんですけど。
これ、おかしいです。
逆だよね。
色のすごく結びついてる状態で。
そうよ。
憎しみと。
だからもう一秒結びを置いていけないっていうのを切り刻んだ方って言ってるのに、
もう真逆になってるっていう。
絵だよって。
これぐらい美には力があるっていうことなんですよ。
ちょっと我々には考えつかないような力が美にはあるってことなんだと思うんですよ。
我々の心はね、憎しみとか嫉妬とか悲しみで溢れてますけれども、
我々の魂なんかっていうのは、そんなものを寄せ付けないものがあるから。
魂や美を捉えるんですよ。
なるほどね。
そっか。だから憎しみの感情がそれで消えたわけでもないんだよね。
あるんですよ。
でも魂の目で見ると、だって素晴らしいんだって。
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過ちを犯すとこだったって言ってましたよね。
壊すっていう過ちを犯すとこだったって言ってましたもんね。
ルーティンの中でもすごい奴なんですよ。
壊しちゃう人いそうだもんね。
すぐ壊します。
それを見逃さなかったっていう絵の持ってるね。
読書体験もすごいね。
今聞いてる中で自分の心の中に絵をさ、
はっきりとは描けてないけど、やっぱり描いてたね。
とてもその絵が美しいだったっていうのはね。
読み手の中でもね。
面白い体験でしたね、今聞いてて。
すごいね、だって、
序盤の展開から比べて、
もうそんな絵を描けるように描いてるんだね。
ストリックランの。
すごい。
たぶん上手い下手とかの次元じゃない、
魂を訴える絵なんでしょうね。
このストルーベも含めて、
人間のいっぱいはかり知れなさみたいなのがやっぱりあるね。
そうだね。
はかり知れなさ。
で言うとストルーベの行動にもそれを感じるね。
ブランチにもそうなんですね。
我々自身にも、
レッスンとあると。
そうだよね。
自分はこういう人間だと気をつけてはいけないって感じ。
確かに。
月と6ペンスで出てくる人たちはなんか、
そういう感じあるもんね。