Preferred Networksをやめ“フリーランス”を選んだ、ある研究者の独白【フォーカス】

2024年10月30日

フリーランス研究者

齋藤 真樹

博士(情報科学)。2016年東北大学大学院情報科学研究科博士課程修了。同年、株式会社Preferred Networksにリサーチャーとして入社。専門研究分野はコンピュータビジョン。製造業・自動車・建築・金融など幅広い産業分野に関する機械学習の研究開発に携わる。2024年8月に独立し、フリーランスの研究者に。趣味は登山。
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日本有数のAIスタートアップ・Preferred Networks社(以下PFN)を退職し、フリーランス研究者の道を歩み始めた人がいます。機械学習研究者の齋藤真樹(Masaki Saito)さんです。

コンピュータビジョン(以下CV)領域におけるトップカンファレンス「CVPR」では、齋藤さんが筆頭著者を務めた論文が3回採択されるなど、高い研究力と実績を持っています。なぜ彼は、8年間務めたPFNを退職し、独立という道に至ったのか。

「正直、生活はカツカツになりそうですが…」と語る彼に、PFNで得た研究者としての学びや、今後の予定について話を聞きました。そこには、「社会に役立つものをつくること」の喜びと難しさが見えてきました。

安定を捨ててでも求めた“自由”

――まず改めて、PFNがどんな会社なのか、また齋藤さんがどのような業務に携わっていたのかを教えてください。

齋藤:PFNはAI技術を軸として、半導体やスーパーコンピュータといったハードウェアから生成AIなどのソフトウェアまでを研究開発しており、様々なプロダクトの販売や企業へのソリューションサービスを提供しているスタートアップです。

物体認識技術を生かした製造工場の生産ラインの自動化、コンピュータ上の原子シミュレーションによる素材開発・創薬開発の支援、店内で料理運搬ができるロボットの開発など、携わる産業分野はかなり幅広いです。

私は研究者として入社したのですが、当初は深層学習フレームワークの「Chainer」や、GPU向け数値計算ライブラリ「CuPy」の研究開発を担当していました。3~4年目からは企業案件に関わることが増え、製造、建設、金融、放送業界まで、様々な業界の課題に対し、機械学習技術を生かした解決策を提案する業務がメインとなっていきました。

――研究者が、取引先企業へのソリューション提案をするのですか?

齋藤:はい。PFNの特筆すべき点は、研究者が研究開発だけを行うだけでなく、社会実装までを一気通貫で担当するところです。研究者が自らコンサルタントのような立場として、顧客の課題をヒアリングして、解決策を考案し開発するんですよ。

昨今、機械学習自体は様々な企業が取り組んでいるため、純粋な技術力で他社に差をつけることは容易ではありません。PFNでは研究者自身がさまざまな業界へのドメイン知識を学び、取引先が抱える課題の本質を解決できるような提案を行うことで、技術力に付加価値をプラスし、高い競争力を生み出しています。

顧客が抱える困りごとを解決する上で特に重要なのは、顧客の現場に自ら足を運び、現状を詳細に把握することです。なぜならば、顧客自身も、課題の本質を明確に捉えられていないケースが多々あるからです。

工業製品の製造工場での品質管理の自動化を例に挙げましょう。「不良品のサンプルを機械学習モデルに学習させ、生産ライン上で不良品を自動検出する」といった単純なアプローチでは解決できないことが、よくあります。現場に足を踏み入れ、職員と話をしてみると、当初想定していた状況と実情が異なっていることがわかってくるんですよ。

例えば、「機械学習に必要な不良品のサンプル数が足りない。しかし不良品のサンプル数を量産するために、稼働中の製造ラインを止めることはできない」「不良品の判断基準には、熟練の職人だけが識別できる微妙な傷や変色などがある。それらを数値化したり言語化したりすることは、機械学習だけでは難しい」など。

こうした課題を知っていれば、サンプルデータが少なくても有効な機械学習フレームワークの採用や、職人と密に連携した教師データの開発など、適切な解決策が立てられるのです。

ソフトウェア技術の発展よりもはるか昔から事業を拡大してきた製造業や製薬業では、現行のソフトウェア技術をただ使うだけでは対応しきれない独自の慣習やノウハウがたくさんあります。

だから、ソフトウェア技術に専門���を持った研究者自身が、事業者に綿密にヒアリングをし、現場の事情を踏まえた施策立案をする必要があるのです。こうしたPFNでの仕事には、純粋なCVや機械学習技術の知見だけでは立ち行かない「総合格闘技」的な側面がありました。

研究・開発だけでなく、困りごとを抱える企業への実装まで携わったのは、とても楽しいものでしたし、研究者として大きな経験だったとも感じています。

――とても充実した8年間だったようにお見受けしますが、PFNから離れる選択をされたのはなぜでしょうか?

齋藤:PFNという会社に不満があったわけではありません。まず、退職をしたくなったのは、「そろそろ別のことをしたくなった」というシンプルな動機です。

学生時代から「就職して10年前後経ったら、次の道を検討しよう」と考えていたんですよ。これはふんわりとした人生論ですが、長い人生、何が起こるかわかりませんし、今の私には明確な人生のゴールが見えていません。

でも、この先どんな事態になってもいいよう、様々な立場や働き方を経験しておきたいとの思いがあるのです。ひとまずは独立をしましたが、いつまでフリーランスとして研究活動をするかも決めてはいません。

――注目のAIベンチャーや研究機関への転職ではなく、独立を選んだ理由をお聞かせください。

齋藤:研究者としての「自由」が欲しくなったからです。

企業や研究機関に身を置くと必然的に、人事評価や組織の論理にある程度振り回されることになります。また、純粋な学術的興味から始まる研究がお金を生み出すとは限らないので、研究テーマを好きに選べなかったりと、しがらみはつきものです。

一方、独立すれば仕事も研究テーマも好きに選択できます。自分で稼いだ研究費を、好きな研究に投下できる。シンプルでいいですよね。

特に大きいのは、研究の成果に関する知的財産権の一切を自分で保有できることです。もしもビジネスに転用できそうな研究ができたら、特許化して成果を保護し、会社を興してもいい。この自由さに強い魅力を感じ、独立研究者という立場にいちど身を置いてみたいと考えました。

しかし、金銭的に不安定なのは否めません。機械学習という分野には一定の需要があるかとは思うものの、常に食べていけるほどのお仕事をいただける保証なんてありません。しばらくは生活がカツカツになると覚悟していますし、誰にでもおすすめできる働き方ではないです。

――組織に所属していると、研究活動に制約が生じるのは仕方がないのですね。齋藤さんの論文はGoogle Scholarでも公開されていますが、ここに掲載されていないものも多いのでしょうか?

齋藤:その通りです。PFNで私が携わった多くの研究内容は、公には出ていません。企業においては、産業応用が可能な実用的な研究成果の詳細は外には出さず、特許で保護することが優先されるからです。

世に出る一部の論文の主な発表目的は、優秀な研究者や、業界に対する技術力のアピールを目的としたブランディング活動であることが多いです。創薬研究の技術など、論文を通して特定分野への参入意思を示すことで、新たな企業案件の獲得につなげることもあります。

研究者が負うことになった、大いなる責務

――齋藤さんにとって、研究の楽しさとはなんですか?

齋藤:難しい質問ですが、まず、研究にはプリミティブな楽しさがあると思います。分からないことが分かるようになることや、自分が納得できる答えを見つけだす過程はやっぱり楽しい。

また、PFNに入ってからは、もうひとつの楽しさを知りました。それは、研究を社会実装することの喜びです。月並みかもしれませんが、自分の研究が実用化され、人の役に立つというのは、シンプルにうれしいものです。

学生時代の自分には、研究者として論文実績を積むため「トップカンファレンスに通すこと」を目標に研究をしていた節もありました。しかし、人生で一番「研究が楽しい」と感じた瞬間は、学生時代に書いた論文が国際会議に採択された時ではなく、PFN時代に取り組んだ研究が初めて製品化され、取引先に使っていただいた時だったのです。そう気づいてからは基本的に、社会課題を念頭に置いた研究を行うようにしています。

こうしたプリミティブな喜びと、社会実装の楽しさから研究者を続けてきたのですが、30代に差し掛かってからは、複雑な悩みに直面するようにもなってきました。

――と、いいますと?

齋藤:組織の中で何年も研究者をしていると、研究や実装だけをし続けることが難しくなってくるのです。順調にキャリアを進めて管理職に差し掛かってくると、現場で手を動かすことが減っていくためです。

30代の中盤に入ってくると、社内調整などに割く時間が増え、段々と「自分の研究が実社会に役立っている」という実感を得る機会が減少していきました。自分が本当は何をしたいのかがぼやけてくる。

組織にいる以上は、純粋に楽しいことだけをし続けていられる環境は稀なので、仕方がないとは思うのですが。難しいですよね。このような組織のしがらみから、一旦離れたかったとの思いが、独立につながった面は否めません。

――「研究や開発が楽しい」だけで仕事を続けることは、組織的な事情から、難しくなってくるのですね。

齋藤:そうですね。また、機械学習の場合、「楽しい」とばかり言っていられない事情が他にもあります。目覚ましい技術革新の一方で、非倫理的な技術転用が強く懸念されるようになったからです。特にCVは、悪用されやすい技術の代表格です。

特定のクリエイターを模倣したイラストやCGを生成し、他者の権利を侵害する事例は後を絶たない。極端に非人道的なパターンだと軍事転用が挙げられます。無人攻撃機にCVのアルゴリズムが転用され、空爆に用いられるというような報道はたびたび見かけます。

正直、CVがここまで悪用リスクのある分野だとは、最近になるまで思いもしませんでした。2010年代半ばまで、CVにできるタスクは非常に限られており、どんな未来が訪れるかなんて私には想像がついていなかった。今では、10年前とは比較にならないほど大規模なデータセットや高性能な生成モデルが生まれ、状況は大きく変化しました。

もはや、自らの研究がはらむ倫理的リスクや副作用について、研究者は無自覚ではいられません

物体検出で有名なアルゴリズムである「YOLO」の開発者は、軍事転用を懸念してCVの研究をやめてしまいました。

――研究者にとっては、難しい時代に差し掛かってきましたね。

齋藤:それでも、社会実装がしやすい領域の研究者として、機械学習をテーマに据える人間が倫理的リスクについて常に細心の注意を払うのは当然果たすべき責務だと思います。それに、「悪用されるかもしれないから」といって完全に研究の手を止めるわけにもいきません。

特に日本の場合、少子高齢化による深刻な働き手不足に備えるため、AIを通してあらゆる産業の自動化を進めていくことが急務です。過疎地の交通機関の運転手不足や、医療費の高騰、医療従事者の不足といった課題。解決しないといけない問題がたくさんあります。リスクと正面から向き合いつつも、なるべく倫理的な方策を模索して研究を続けていかないといけないのです。

「近未来」に備えて市井の困りごとを知りたい

――齋藤さんが、現在取り組んでいる研究はありますか?

齋藤:ひとまずは製薬関係の案件をいただいています。今後も、製薬、医薬、法律分野など、専門的なドメイン知識が必要な分野でのお仕事に力を入れていきたいと考えています。

個人的な興味からくる研究について話しますと、今はLLMを用いて、組織における人間の行動をシミュレーションできないか模索しています。様々な属性を持った人間の複雑な行動を計算し、企業の経営判断や官公庁の政策決定などに役立てられないかな?と考えています。

難しい点として、現在のLLMは「善性」が強すぎることが挙げられます。常に良い言動しかしない傾向があり、人間の「嫌な部分」や非合理的な行動を再現しづらい。人間は他人に対して理不尽に怒りますし、嫌いな相手がいたら自分が損する選択を取ってでも困らせようとしたりします。どうすれば、この人間らしさを表現できるかが課題です。

仮に研究が進み高度なシミュレーションができるようになったとしたら、やはり倫理的な問題が浮上してくるのでしょうね。例えば、問題を起こしやすい性格因子を持った人間を、履歴書の段階で採用から弾くこともできるようになったとして、果たしてそれは世の中のためになるといえるのか。

齋藤:どなたの言葉かは失念してしまったのですが、私は、あるAI研究者が語っていた「今流行している技術をもとに、5年後に生じるであろう技術的課題を予測して研究テーマを見つけるべきだ」という提言が印象に残っています。

一体、この世界が発展を続けたら、5年後には何が起きるのでしょうか。

――考えないといけないことは、多そうですよね。

齋藤:ですね。

しかし、幸いにして、フリーランスになった今の私は組織のしがらみなく、様々な場に気軽に顔を出しやすい立場です。これを機にいろんな業界や企業の方々とお話をし、世の中の様々な課題を拾い上げながら、未来を見据えて研究を進めていきたい。そんな思いでいます。

もしも皆さんにも「こういう問題で困っています」という意見があれば、ぜひディスカッションしてみたいです。よろしければ、気軽にお声がけください。

取材・執筆:田村今人
編集:光松 瞳
撮影:曽川 拓哉

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