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ノート:音程

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これはこのページの過去の版です。Ks aka 98 (会話 | 投稿記録) による 2006年6月14日 (水) 17:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (個人攻撃について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ばっさりの理由を.....?

嘘と無駄と見にくさとは

嘘と無駄とは、序数詞である音程を基数詞のごとく書いている点。出席番号1番と2番を足して3番にするようなもの。

見にくさは全般におよぶ。最初の概説部分と本文との用語および内容の不一致。不適切な見出し。項目の立て方のバランスの悪さ。自分の書きたい部分を割り込ませるだけで、全体を練り直すということをしないから、こんな醜悪なページになる。

つさんは、何も考えずにリバートしてませんか?

無駄について追加。音程名の広大な表はまったくの無駄。規則を示せば済むのだから、自己満足としか思えない。無意味な繰り返し。もしこの表を5オクターブの範囲、トリプルシャープ、クオドラプルシャープ、同フラットの範囲まで広げる者がいたら、あなたはどんな行動を取りますか?--2006年6月3日 (土) 07:53 219.126.102.89さん

219.126.102.89 さん、IPユーザでも署名をお願いしますね。

第1節、第2節について、問題があれば、具体的にここに指摘してください。一緒に考えましょう。醜悪かどうかは、主観によります。何を醜悪と感じたか、具体的に示されなければ私には219.126.102.89さんの感性を知ることができません。

第3節について、いいえ、と���答えします。

第4節について、音名すらろくにわからない方が利用することを考えたら、規則がそれほど簡単な物だと思わないのですが、どうでしょう。確かに、複音程については、同じことの繰り返しになりますから省きましたが、それがいけなかったでしょうか。また、トリプルシャープ、クオドラプルシャープというのは、初めて出会いました。実例があれば是非ご紹介ください。-- [Café] [Album] 2006年6月3日 (土) 08:20 (UTC)[返信]

他の部分はともかく、表は大き過ぎるように思いますが。全体を見るのが難しいサイズです。全部は要らないのでは? -- NiKe 2006年6月3日 (土) 08:23 (UTC)[返信]
第1節。概説が音度なのに、見出しが度なのは醜悪の要因。たとえ見出しが音度であっても、内容が(音)度の求め方に終始しているのが醜悪の要因。そもそも音度の説明を回避して求め方で代用しているように読めるので醜悪の要因。音度の「計算」は植木算のようなものだが、音度が間隔であることの説明を省いて、1を足すのだ、1を引くのだという操作ばかりを書いているのは醜悪の要因。総じて百科事典の記述として醜悪の要因。219.126.102.147 2006年6月3日 (土) 09:32 (UTC)[返信]
その「醜悪の要因」という言葉を使わずに説明する方がいいと思いますよ。私見ですが。 -- NiKe 2006年6月3日 (土) 09:41 (UTC)[返信]
見にくさを説明した流れで、ページ全体が醜悪になってると指摘したところへ、いわば「見にくさ」=「醜さ」の言い換えに過ぎない「醜悪」をわざわざ取り上げているからには、私の感性・主観を量りたいという意図があるからでしょう? 深読みしすぎですか?219.126.102.147 2006年6月3日 (土) 10:02 (UTC)[返信]
冷静に考えたら、私の方が深読みしている気もしてきました。つさんにはリバートの理由をお尋ねしたいのですが。219.126.102.147 2006年6月3日 (土) 11:10 (UTC)[返信]
  1. 音が同じでも「見難い」と「醜い」は明らかに違う語だと思いますが、いかがでしょうか。また、「醜い」と「醜悪」も、異なる語だと思いますが。いかがでしょうか。たとえば「醜いアヒルの子」は「見難いアヒルの子」ではありません。また、「醜いアヒルの子」は「醜悪なアヒルの子」でもありません。
  2. 219.126.102.147さんの指摘された点について、私は「醜悪」と思いません。また、「醜い」とも思いません。「見難い」ともこれも思いません。
  3. 問われましたので、リバートの理由ですが、履歴に残された要約欄のコメントだけでは219.126.102.147さんの編集の意図がつかみかねましたので、とりあえずもどしました。
  4. 私は「音度」という言葉は、ウィキペディアで初めて知った語で、他で見た記憶がありません。他で使われているのでしょうから、指摘してください。
  5. トリプルシャープ、クオドラプルシャープの実例があれば、おしえてください。もっともFinaleで↑を押し続けると出てくるのは知っていますが。-- [Café] [Album] 2006年6月3日 (土) 11:54 (UTC)[返信]
  1. そうですか。
  2. 肝心なのは「『見難い』ともこれも思いません。」の部分だが、これもあなたの主観ですね。主観が衝突したら、つぎはどうするのですか?
  3. ここ重要なとこです。
  4. 検索すれば、かならず引っかかります。ご自分で容易に確かめられるのに、私が指摘することで何か事態が変わりますか? 
  5. 実例とは何ですか? 楽曲の中の使用例のことですか? それを挙げられないと何か問題がありますか? ご自身もFinaleの件で分かってると思いますが、論理的に存在するとして問題の無い概念です。例の表の中の1500弱の音程の中には、歴史上の楽曲の中で使われてないものもあると思いますが。何を言いたいかは分かると思います。219.126.102.147 2006年6月3日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございます。

  1. 人によって考え方が違うことを編集の絶対的な根拠にすることはウィキペディアを混乱させます。ですから、「醜悪だ」という理由では編集しないでください。逆に私も醜悪でないという理由で編集はしません。(醜悪だでは意味が通じないからrevしたのです)
  2. 音階上の各音のために使っている例はありますが、音程の度数の意味に使っているのはほとんどないようです。ということは誤用ではないでしょうか。
  3. 楽曲中の使用例や楽典書を示���てくださればいいと思います。逆に、表の中にあるものは、楽典書に表れる単音程のすべてと一致します。Finaleで表示できるからと言って楽典的に正しいとはいえないでしょう? また、言葉を濁さないでください。お互い、誤解の元です。

-- [Café] [Album] 2006年6月3日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

横から失礼します。
言葉尻をめぐって色々あるかもしれませんが、ひとまずこの部分は置いておき、記事内容について争いのあるところにつきコメントいたします。
 まず「嘘」、つまり明らかな誤りがあるかどうか。これについては「普通の計算式で計算できないという事態が生じる」と説明されているので、「嘘」とまでは言えないのではと思います。
その上で「無駄」があるかどうか。確かに従来の版だと説明が冗長かなという気もします。これに対しIP氏は一律削除によって解決を図られたようですが、今度は逆に言葉足らずになってしまった可能性もあり(「ふたつの音が離れるに従って」という説明だけでは少し不親切ではないでしょうか)、抜本的な改善にはいたらないように思えます。
IP氏は問題点について「最初の概説部分と本文との用語および内容の不一致。不適切な見出し。項目の立て方のバランスの悪さ」を挙げられていますが、これらについてまず具体的なポイントを示された上で、みんなで改善案を出していけば方向性も見えてくると思います。逆に言えば、対案がないとっさんも第三者も判断のしようがありません。
 「度」か「音度」の話ですが、正式には「度」ではないかと思います。手元にきちんとした音楽辞典が無いので断言はできませんが、広辞苑・平凡社百科事典・音友の音楽辞典は「度」で掲載されていました。確かに複雑な説明をする場合は「音度」の語を用いるのが便利ですが、この場合は度そのものを説明するので、現状で特に問題ないのではと考えます。
 音程名の表について。まずトリプルシャープですが、少なくとも平均律で考える限りは掲載は無意味と考えます。もし「トリプルシャープを載せることが有用である」とお考えの方は反論お願いします。
次に現状で無駄な部分があるかどうかですが。このあたりは文章の説明によりけりでしょうが、個人的な感想を申し上げれば「無くとも良いのでは」と思いました。というのも譜例の図が用意されていて、これがあればひとまず十分であると考えたからです(というより、門外漢の方は英語音名の表を見てしまうとむしろ悩んでしまうのではないかという心配もあります)。どうしてもということであればこの部分を分割する(あるいはウィクショナリーなどに持っていく)のも一つの手ですが、どうでしょう。
とりあえず以上です。異論などあればどうぞ。たらこ 2006年6月3日 (土) 13:22 (UTC)[返信]

「度」「音度」について

参考までに、私の理解を。
概念の名称とその概念が数量のときの数量の表現、および表現に用いる単位あるいは助数詞について
(概念)(数量あるいは対照するもの)(単位あるいは助数詞)
距離       5.3m        m(単位)
本数(数)    5本         本(助数詞)
量        a cup of tea     cup(助数詞)
音程/interval 長3度/major3rd   数量ではないので単位も助数詞も無い
音度/degree 3度/3rd        数量ではないので単位も助数詞も無い
まず、「度」は単位でも助数詞でも無いことに注意されたい。「長3度」全体でひとつの名詞。
つぎに距離という概念を表わす語を用いず、本数などの類推からメートル数などというのは「醜悪な」表現
(誤用ではないから、取り沙汰すべきではないというのは別の話。百科事典がどちらの立場をとるべきかは自明
両論併記であっても、どちらを本筋とするかは明白)。
さて音度より度の方が用いられているという判断は、
(1)度を単位あるいは助数詞と勘違いし、あるいは
(2)概念の名称と単位あるいは助数詞とを混同してはいませんか?
欧米語を基準として考えるとそうかも知れないが、日本語では、あるいは日本人の理解では
度は単位であって、度は概念の名称でもあると主張しますか?
むしろ欧米語(英語?)の方がこれらの混同が多く、
日本語はこれらを常に言い分ける習慣のある言語だと思いますが。
概念の名称として「度」では座りが悪く、「音度」と呼ぶのが日本語の感覚。
1モーラで専門用語を作らないのが日本語の習慣。
音の「高さ」といわずに、わざわざ「音高」という。音の「隔たり」や「隔(かく)」ではなく、わざわざ「音程」という。61.211.189.192 2006年6月3日 (土) 21:26 (UTC)[返信]
すみません、最初のコメントではっきり言えばよかったのですが、単位云々の主張をしたいわけではなく「音度」と言った場合別の意味になりうるということです。とり急ぎ。たらこ 2006年6月4日 (日) 03:21 (UTC)[返信]
最初に私は概説に「音度」を本文には「度」を使っている点を何の問題とも考えない点を指摘したのであって、「音度」の方が良いという「意見」は二の次です。ですが脱線を続けると、たらこさんは「度」と「音度」が違う意味をもつという考えですね。私はおなじ意味だが、「音度」を無視して「度」を取り上げるのは変だという考えです。「音度」の意味で「度」を用いるのは、中学理科のテストで「電圧を答えよ」というところで「ボルトを答えよ」というような違和感があります、ということです。
百科事典が言葉や文章に拘らないでどうするのか、解説全体の構成に気を使わないでどうするのか、という気持ちになる私の「主観」は変ですかね。219.126.101.244 2006年6月4日 (日) 15:58 (UTC)[返信]

しかし、音度という言葉も、こういう意味には使われないのですよ。そもそも2度、長2度、どちらの用法もあるのに、じゃあ、2度のところはなんと呼ぶか、長のところはなんと呼ぶかという名前がないことで、解説が難しくなっている、と言うだけの問題ですから、使わなければいいのですね。 219.126.101.244さんの最後の文章に対してですが、「変ではない、当然です」とお答えしますよ。-- [Café] [Album] 2006年6月4日 (日) 16:06 (UTC)[返信]

私は2度(2nd)は音度(degree)、長2度(major 2nd)は音程(interval)という理解ですが、これで何の不都合も起きませんが。つさんは、どのような理解で、どのような不都合があるのか具体的に書いてください。あるいは私の理解で私自身が思いもしない不都合を指摘してくださっても結構です。219.126.101.244 2006年6月4日 (日) 16:20 (UTC)[返信]
ご返事がないので、こちらが書きます。過去の発言「音階上の各音のために使っている例はありますが、音程の度数の意味に使っているのはほとんどないようです。ということは誤用ではないでしょうか。」から想像するに、つさんは(音)度と音程がごちゃまぜになっているのですね。英語で考えれば分かるように、概念としてのintervalにも、具体的な量の表現としてのmajor 2ndにも、degreeという語は絡んできませんよ。また2nd degree、major 2nd intervalという言い方はどちらも可能です。つさんは欧米人がmajor 2ndの2ndの部分はdegreeであるとでも言うと、想像しているのでしょうか? つさんのような誤解は、音程の具体的な量(本来は関係)の表現に音度を流用する際、日本語でもこれに倣ったために、音程の表現と音度の表現の両方に度が現れ(英語ではこのようなことは起こらない)、不毛な理解が進んだ結果と考えます。219.126.101.244 2006年6月4日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

議論のための議論になってるように見えるけど、219.126.101.244さんは結局どうしたいわけ? 2006年6月2日 (金) 18:57 の版が正しいということなのか、そうでなきゃ「こういう文にすべきだ」というのを具体的に出さないとわからないと思いますよ。不毛な理解であろうと現に日本人は「度」という言葉を使っちゃってるわけだし。度か音度のどちらかに統一すればいいんじゃないですか?58.188.61.253 2006年6月5日 (月) 00:47 (UTC)[返信]

219.126.101.244さんの最後のご発言の趣旨がつかみかねます。要は、長3度というときに長の部分と3度の部分を分けて語れればいいわけで、そのそれぞれにまだ名前が付いていないと言うことを確認したいのですが。-- [Café] [Album] 2006年6月5日 (月) 02:15 (UTC)[返信]

すいません一読者として身勝手な意見を言います。一応、音楽をかじっていて譜面も読めます(プロではなく趣味でDTM作曲する程度です)が、「音程の表」見づらいです。まして普通の素人が見たら頭痛くなる以前に、何がなにやら見る気がしないのでは?。そこまで知りたい人は、楽典を手にすると思うので「例示」の範囲でいいのではないかと思いますよ。
58.188.61.253さんへ。2006年6月2日 (金) 18:57 の版が正しいということ(より優れている)ってことだし、「こういう文にすべきだ」というのを具体的にしたのがその版だし、度か音度のどちらかに統一すればいいと私が言ってるんですが。私は「音度」への統一を提案している。
つさんへ。「要は、長3度というときに長の部分と3度の部分を分けて語れればいいわけで、」そんな勝手なまとめ方で落ち着くものではないと思います。「そのそれぞれにまだ名前が付いていないと言うことを確認したいのですが。」確かに名前が無いですが、それは分けて語る必要を感じるひとが少ないからだと思います。分けて語る必要を感じてるのは不毛な理解をしている素人側で、専門家の側が分けて語る必要を感じていないのであって、その逆では無いことに注意してください。もし逆なら、専門家は分けて語る場合の用語をとっくに考案しているはずですよ。219.126.105.131 2006年6月5日 (月) 06:38 (UTC)[返信]

まあ現状じゃ冗長な記述が多いですねぇ。ところで219さんが「音度」を推しているのは専門的見地からなんですか?正直どちらでも同じような気がするんだけど。58.188.57.194 2006年6月5日 (月) 07:49 (UTC)[返信]

219.126.105.131さん、219.126.105.131さんがIPユーザーさんなので、ウィキペディアにどのくらいの経験があるのか今ひとつわからないでいるので、失礼があったら申し訳ないですが、どうも、また、このウィキペディアの基本的な姿勢をわかっていただけていないみたいです。ウィキペディアは専門書ではありませんから、専門家のために書く必要はありません。あなたが不毛な理解をしていると言っている素人のために書かれるべきです。それから、そろそろWikipedia:ウィキ愛Wikipedia:ウィキペチケットにも目を通してください。
ところで、本題(なのだろうか)ですが、「名前が無い」なら、ウィキペディアが勝手に名前を付けてはいけません。ですから、名前を付けないまま解説するか、「仮にここでは○○と呼ぶ」として解説するか、どちらかです。しかしながら、219.126.105.131さんは、名前を付ける必要がないとおっしゃるのですね?-- [Café] [Album] 2006年6月5日 (月) 07:57 (UTC)[返信]
度・音度と専門家・素人は直接的な結びつきをもたないと思います。私が音度を推すのは、日本語の習慣により近いから。
専門家・素人という言葉を使うと、専門家向けの記述を目指していることになるのですか?
名前が無いと解説しにくいと思ってるのは、つさんでしょう? 例の部分を概念として取り上げずに説明できると考えている私にとって、その部分に名前があろうと無かろうと、関係ありません。したがって私が「必要がない」といっていると確認しようとしているのは、的外れです。「しかしながら」の前後の繋がりが分かり難いのでこのような回答になりました。ちなみに「しかしながら」は逆接を表すんですよね?219.126.105.131 2006年6月5日 (月) 08:17 (UTC)[返信]
習慣的には、やっぱり「度」だと思いますよ。たらこ 2006年6月5日 (月) 08:44 (UTC)[返信]
素人向けは結構なことです。ところで、wikipediaは教則本を目指していますか?百科事典が素人のために漏れなく丁寧に全て語ってしまっては、どこが肝なのかわからないような記事を見せられることになります。肝を見抜けないのが素人ですから。極論すれば「わかったような気になる」程度でよいのではないですか?で、先に言いましたが「音程の表」見づらいです。まして普通の素人が見たら頭痛くなる以前に、何がなにやら見る気がしない・・・本当に素人のレベルに合わせていますか?


ふたつ確認しておきたいのですが、私が何かエチケットに反することをしたんでしょうか?(IPで書き換え、大幅な削除は問題ないはず)。もうひとつ、削除に加えてきちんと書き足しもしている版を何のコメントもなしにリバートするのは、管理者か何かの権利なんですか? ちなみに私はそれを恨みに思って書きこんでるわけではないですよ。私が話し合いをしようとする姿勢を持っていることは、リバートに対してリバートで返さなかったことから分かると思います。219.126.105.131 2006年6月5日 (月) 08:36 (UTC)[返信]
ごめんなさい、219で始まるIPさんは同一の方ですね?
私が二つの文書をお示ししたのは、「醜悪」ということばこそ使われなくなったものの、まだ「不毛な理解をしている素人側」というような表現をされている部分です。
私が最初にrevしたのは、意図がまったっくわからない大幅な変更だったからです。私は219さんの意図がだんだんわかってきましたから、それぞれいい部分があると思っています。協力して、よくしていけると思っています。
ところで、219さんは、「度」も「音度」も使わずに説明できるとお考えですね? どのようになさいますか?
それから、表はどうしましょうか。いくつか考えられると思います。
  1. 全削除
  2. 減らす
  3. 配色などを変更して読みやすくする
  4. ページを分割する
具体的に教えてください。-- [Café] [Album] 2006年6月5日 (月) 10:21 (UTC)[返信]

たらこさん。あなたを代表としてお尋ねします。「習慣的には、やっぱり『度』だと思いますよ。」に対して、私が「いや。『音度』だ」と強弁するとき、私が「長3度」ではなく、「長3音度」という言い方を推していると思いますか?219.117.95.218 2006年6月5日 (月) 10:31 (UTC)[返信]

さすがにそれはないです。たらこ 2006年6月5日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

回答ありがとうございます。先へ進めます。「概念としての(音)度」と「個々の(音)度の名称内に用いられる度」は、両者が音度と度というように名称の上で区別されていれば、音度を定義するときに度の定義を気にかける必要はない(なぜなら名称の中に用いられた一文字に過ぎないから)のですが、両者がともに度と呼ばれるならば、度を定義する際にふたつのことに触れなくてはなりません。これが音度を用いる方のメリットです。ちなみに現在の版は、どちらの度についても定義がかかれてません。以上、どうお考えになりますか?

はじめに断っておきますが、これは私個人の意見です。っさんはまた違った考えがあるかもしれませんので、その点においてご了承願います。
「概念としての(音)度」と「個々の(音)度の名称内に用いられる度」についてそれぞれに定義を行なうべきだ(そのために前者については「音度」の語を用いるのが合理的である)というのがIP氏の主張で、論理的にはなるほどもっともだと思います。ただ、私は「概念としての(音)度」だけを定義づければよいと考えています。「概念としての度」はもちろんどのようなものか説明を試みる必要がありますが(つまり現状の版では不十分である)、他方「個々の(音)度の名称内に用いられる度」というのは日本において便宜的に用いられた呼称に過ぎず、そもそもこれについてあまり気にかける必要は無いと思うからです。
というより、「個々の(音)度の名称内に用いられる度」に関して定義を行なうことは非常に困難です。IP氏が先に挙げられたように、これは厳密には計量単位ではありません。全音階的半音と全音の組み合わせなどによって擬似的に説明を行なうことはできるかもしれませんが、こうした説明は後付けにしか過ぎないと思うのです。ただ雅楽などでどう扱っているかまではわかりませんが。
さらに、歴史的には1度、2度・・・ではなくそれぞれに固有の名前を与えて分析していた時期もあります。こうなると「名称内に用いられる度」を定義することなど不可能ではないでしょうか。
じゃあ概念のほうに「音度」を用いればいいじゃないか、という声が当然出てきます。しかし「音度」という言葉には問題が潜んでいます。音程を測る概念として「音度」という語を用いることはあるかもしれませんが(私はあまり見たことがないのですが)、「音度」と言う場合たいていは和声分析、たとえばゴットフリート・ヴェーバーによる定義などを指すと思われるからです。(実際上はこんな日本語の使い方はありませんが)度で1と言った場合は1度(ユニゾン)ですが、音度で1と言った場合はⅠ度(主和音、トニック)を連想する人が多いのではないでしょうか。もちろんこうした違いは(日本語においては)単に慣習的なものに過ぎないと思われますが、事実そうした使い分けがされている以上「音度」という語を用いるのでは適切ではないと思うのです。
「度」というのは、とくに音響物理学の側面から見た場合、計量単位としては不十分なのですが(というか単位かどうかも怪しい)、西洋音楽では認識上単位として独自の世界を構築してきました。そうした七音音階における概念と、サヴァールやセントといった周波数的な世界との二面に分けて説明をしていけば、体系的な記述を行ないつつ初心者にも読みやすいものになるのではと考えています。私はこの道で食っているわけではないので、そのあたり皆様にご教授いただければたいへん幸いです。長文失礼しました。たらこ 2006年6月5日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
ウィキペディアの外にないものを創作しないことは大切なことです。「度」も「音度」もウィキペディアの外にない(しかもたらこさんのおっしゃるように、「n度音」「n度の和音」の意味に使われることはある)ならば、使わないか、この記事に限って説明のために使っていることを明記すべきです。(って、何回目だ?)だから、「音度」を使ってもいいから、219さんのおっしゃるとおり統一することと、使うならこの記事に限って説明のために使っていることを明記することをしましょう。ところで、219さん、浮動IPのようですから、同一人であるかどうかの判別にいささか困ります。この際、アカウントを取りませんか?-- [Café] [Album] 2006年6月5日 (月) 15:39 (UTC)[返信]

たらこさんの書き込みでピックアップしておくべきと思うのは、計量単位のくだりです。あなたの言いかけた通り、西洋音楽理論で真に音程の単位と呼べるものは「全音/英tone/ラテンtonus)」だけです。これを単位とした半音(semitone/semitonus)二全音、三全音(tritone/tritonus)などの表現だけが「単位」という概念に沿っているという分けです。しかし悲しいかな大多数のひとは単位を数字の後に置かれるなにがしのことと考えている(たとえば3人の「人」、5mの「m」)ので「3度」や「長3度」が名詞であるのにもかかわらず、それを「数詞+単位」と理解して、(音)度あるいは音程の理解をねじ曲げているのです。さて単位の正しい意味を理解していない人間が利用者の大多数だという事実に「いろいろな意味で」引っ張られた記述はしたくないものです。

たらこさんの書き込みで賛成できないのは、音度と度とで言われるような使い分けがされているという部分です。度が概念の名称として使われないという私の主張を裏付ける事例を示しましょう。質問者がたとえば3度という回答を期待したとき考えられる言い回しは「音度は?」「音度を答えなさい」「音度はいくつですか?」「何度ですか?」「音度は何度ですか?」などであって、「度は?」「度を答えなさい」「度はいくつですか?」「度は何度ですか?」などは不自然な日本語と思われます。逆に、度と音度を使い分けている場合の具体的な言い回しを考えてくだされば、そしてご自身が「実際上はこんな日本語の使い方はありませんが」と書いているように、使い分けは思い込みではないですかと問いたい。61.211.180.13 2006年6月5日 (月) 22:15 (UTC)[返信]

前段については特に言うことはありません。そういったあたりを本文中に記載すればよろしいのではと思います。このノートで試案を出していただければ、っさんも私も判断しやすくなります。
後段ですが、手元にある資料での使用頻度から判断しています。会話において使い分けがなされていないという点では同意できます(「2音間の音程は」「何度か」以外の使われ方がどの程度であるかは判断できなかったので、具体的な言い回しについての判断は保留させてください)が、いくつか辞書を調べてみると次のように記載されています。
    • ニッポニカ:音程の項「音程の表し方として一般的に用いられているのは・・・西洋の方法で、単位は度を用いる」
    • 世界大百科事典:音程の項「音程を計るには、西洋音楽の基礎となっている7音音階の各段階をもとにして<度>という単位を用いる」
    • 新訂標準音楽辞典(音友):音程の項で「・・一般的方法による音程はその認識の単位を<度>で表す」とあり、さらに度について「音程を計る単位」、音度について「全音階の各音を言葉および数字で表す方法。おもに和声分析に用いられる」と明記
    • ラルースは音程も和音記号も「度」で統一(単位とは書かれていない)
    • 一般辞書:広辞苑・大辞泉・大辞林では「度」の項に「音程の単位」とあり、日本語大辞典・大辞林では「音程」について「度で表す」とある
たらこ 2006年6月6日 (火) 08:50 (UTC)[返信]
判断の基準をどこに求めるかについては、あなたと私とでは大きな隔たりがあるかも知れない。まず専門的な事柄について、辞書・辞典の類いが役に立った試しが無い。たらこさんはご自分の学業や仕事の専門領域での用語を辞書で引いて、満足することがありましたか? 辞書は日常で出会う事物についての記述を目的としたもので、専門的な事柄についての項目はおまけに過ぎません。辞書は百科事典と同じく、(特別な領域の専門家ではないという意味での)素人のために編まれたものです。それでは専門用語辞典や専門領域百科事典はどうかというと、少なくとも音楽のそれは科学・数学・医学と較べて劣っているといわざるを得ません。音楽が芸術であること、音楽学が未成熟であることを考慮しても、そのレベルは低い。したがって他の辞典や百科事典を安易に判断の根拠に持ってくるのは問題があるといえます。
一方、専門用語辞典や専門領域百科事典には、相当なレベル差があります。たとえば天下の宝刀、ニューグローブ音楽大辞典日本語版は、とりあえず十分な根拠として認めざるを得ないでしょう。実際、そこには「音度・英degree」の項目があります。ただ私は、権威あるニュー���ローブに「音度」があり「度」がないから云々と主張したいわけではないのです。書物の規模が大きくなるほど、項目が細分化され、規模の小さい場合には定義さえされなかったものが焦点を当てられるようになるということです。
さて一般の辞典や百科事典で<度>が単位であると記述されているのは、執筆者が音楽と科学の一方にしか精通していない結果と考えられます。科学を知らないものが度を単位と思うのも、音楽を知らない者が度を単位と思うのも、実は互いに異なることを想像しているのに、結果的に同じことになっているのです。実際、音楽と科学の両方にある程度の理解のあるたらこさんは、この記述に難があると分かっているのでしょう?219.126.111.102 2006年6月6日 (火) 23:02 (UTC)[返信]
IP氏は先に私が提示した例について、日本語としてそのような用例はなく使い分けは私の思い込みであり、度は概念の名称として使われていないとおっしゃいました。それに対し私は「単なる思い込みではなく、ある程度使用例がある」ということを示すために辞典からの引用を行なったわけです。辞書辞典で広く使用されているということは、その語(用例)が一般に広まっていると言う傍証になるからです。にもかかわらず、これらの提示を無意味と断じられたことには困惑しています。それならば最初から「日本における一般の使用例は判断材料にならない」ことを示していただきたく、少なくとも先の問いかけをされる必要はなかったと思います。この点非常に遺憾です。
百科事典執筆者はその道において「第一人者」ではないかもしれませんが、基本的にその道に精通した人です。少なくとも私よりは専門的知識を有しているはずですし、私は百科事典の記述に難があるといえる立場にはありません(ラルースは、まあ、微妙ですが)。したがって、あなたが百科事典の執筆者より権威があるということであれば、私はそれに従います。これまで疑問をさしはさんだことをお詫び申し上げるとともに、以後の編集指揮は一任します(その際はアカウントを取得していただけると助かります)。たらこ 2006年6月7日 (水) 10:38 (UTC)[返信]

「『日本語としてそのような用例はなく使い分けは私の思い込みであり』、『度は概念の名称として使われていない』」とおっしゃいました。それに対し私は「『単なる思い込みではなく、ある程度使用例がある』」条件のひとつが抜け落ちてますよね。そして私が問題にしているのは抜け落ちた側です。辞典類から拾った例には『概念の名称』として使われてものがないのでは? ニューグローブの例は『概念の名称』として使われているものですよ。

百科事典の「度」の項目の執筆者は音楽には精通しているが、「単位」の真の定義も知らない輩が多いと言ったのですよ。あるいは一般常識として「単位」の定義を知っている辞書編纂者が、音楽の生半可な知識で「1度というやつが音程の単位だな(度ではなくて、1度ですよ)。すなわち2度は1度の2倍だな。」と理解して項目を執筆している可能性があると言ったのですよ。

私は権威を嵩に着た覚えはありませんので、そのように言われるのは筋違いです。内容を論理的に吟味しないで、出版物という権威に盲目的に従う愚の方を指摘したんですから。220.148.176.236 2006年6月7日 (水) 13:51 (UTC)[返信]


嘘はおやめなさい。日本語版のニューグローヴにそのようなことは書かれていません。どこをどう読めばそんな解釈が可能になるのです?58.188.57.106 2006年6月11日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

確かに、盲目的に従う愚を犯しているかもしれません。ただ、学問の世界においては、それなりの地位にいる人はそれなりの修養を積んでいるわけです。本事案では音友は辻井英世氏、ニッポニカは南谷美保氏が担当されているので、私などが読んだ場合、この記述にあえて逆らうほど自分の知識に裏打ちはないわけです。また一般辞書の内容を引用したのは権威を示すためではなく、一般的に語が使われていることを示すためであることは先に申し上げた通りですが、「専門の人がそう定義している」「一般に広く使われている」この2点がそろうともう十分であろう、と考えておりました。
※辞書引用に際しては「ある程度(『概念の名称』として)使用例がある」ものを挙げたつもりであったことだけ言い訳しておきます。
しかしこのたびの指摘を受け、私は非常に驚きました。普通に考えた場合、あなたが彼ら執筆者に上記の裁定を下すに十分な知識を有している(十分な立場である)わけであり、己の知識不足にひどく反省した次第です。
私のこれまでの説明に齟齬があったせいでお怒りを招いたことに関しては誠に申し訳なく思っております。数々失礼があったことも深くお詫び申し上げます。あとはアカウントの取得だけをお願いします。たらこ 2006年6月7日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
いえいえ。相変わらず、やり取りが噛み合いませんが、こちらにも言葉足らずの部分があるでしょう。これ以上は言いますまい。なお内容の是非については納得がいかないにしても、誠実な方だと感じました。私が名指しをしたために、意に反して長々と付き合わざるを得ない状況になった点、申し訳なかったと思います。61.211.183.32 2006年6月7日 (水) 19:23 (UTC)[返信]
議論も尽くされたようなので、revさせていただきます。219.126.104.55 2006年6月9日 (金) 22:13 (UTC)[返信]

再rev

いえ、ちっとも議論は尽くされていると考えておりません。少なくとも、私の指摘した点について、お返事をいただいておりません。-- [Café] [Album] 2006年6月10日 (土) 02:59 (UTC)[返信]

ひょっとしたら、IPさんの「管理者か何かの権利なんですか?」について私が答えていないからなのでしょうか。質問の意味がわからず何とも返事のしようがないので、困ったのですが、「誰もrev.について特別の権利を持っていません。管理者がrev.について何らかの権利を持っているということはありません。」と答えればお答えになるんでしょうか?-- [Café] [Album] 2006年6月10日 (土) 04:01 (UTC)[返信]

あなたのリバート行為は前回も今回も何の議論も経ていないのですが、それはWIKIの方針に沿っているのですか? 一回目の理由は、「あなたには」編集の意図が分からなかった。私は意図が分かるように対話を進めました。そして今回の理由は、議論が尽くされているとは「あなたが」思わない。代案を提示したり、修正案を出したりせず、ただリバートするだけなのは、ちょっと自分勝手では無いですか? 「管理者」ゆえの傲慢さを感じます。
あなたはご自身が作った例の表に相当こだわっているようなので、この点にだけお答えしましょう。あなたは私がこれをどう扱うべきと尋ねたが、私は全面削除した版を最初から提示しているのだから、質問が無意味でしょう。だから無視したのですよ。そしてこれが不要あるいは扱いを変更すべきというひとが2名、逆に存続を指示する発言は皆無。これで不足なら、あとどうすればいいのでしょうか?219.126.105.78 2006年6月10日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
横から失礼します。たぶん、この問題をややこしくしているのは、219さんの物腰なのだと思います。悪意はないのでしょうし、ルール違反があるわけでももちろんありませんが、言い方は悪いですが、219さんの文章からは「素人はすっこんでろ」という傲慢な態度を感じ取ってしまう方が多いのではないでしょうか。文体やスタンスを変えてほしいという権利は誰にもありませんが、文字だけで交流する時には、音声での会話の時以上に相手に不快感を与えないための配慮が必要なことはご理解いただけると、議論のせいでWikipedia��の参加をやめてしまおうと思う人が出たりするようなことは、少なくなると思います。本題と関係ないことですみません。Aotake 2006年6月10日 (土) 18:31 (UTC)[返信]
行間から「素人はすっこんでろ」という気持ちが滲み出ていたことでしょう。実際、私はそう思いながら書いていたのですから。ところで各項目の文書、画像、リンク、運営のどれもが対等ではないけれども、何一つ欠くことができないと考えるならば、ページ全体のコーディネーションという行為があることも忘れないで欲しい。これは文書本体を書く人、画像を用意する人、リンクを貼る人が常に考えるべきことです(ただし運営者はこれにコミットすべきではない)。統計をとったわけではないが、音楽理論関係の記事ほど、多くの人間が、しかも多様なのレベル(まったくの素人から専門的知識を有するものまで)の人間が関わっているものも珍しい。科学系の記事は論理を重視する人によって、人文系の記事は巧みな文章・言葉を重視する人によって、鉄道関係や音楽家データ関係の記事は正確・詳細なデータを重視する人によって書かれている。しかし音楽理論関係の記事では、論理、文章・言葉、データのどれをとっても及第点とは言えない。そうであるからこそ、音楽理論関係の記事ではコーディネーションに気を使うべきだと思うわけです。
さて私が「素人はすっこんでろ」と思っていたのは、論理について、文章・言葉について、データの扱いについての素人にうんざりしていたからです。私に反論する方々は、私が「音楽理論」の専門家を気取っているように非難する。しかし私が指摘したのは、論理的な問題、表現上の問題、データの扱い方の問題です。しかしながら、論理・表現・データの扱い方に無頓着な人にはその重要性は分からないのでしょう。
私はとても重要なことを言っているつもりですが、これが物腰というベールによって伝わり難くなるというのであれば、もはや私の方から対話を続けることはできません。日常会話レベルの問題なら、日常会話で済ますことができるでしょう。しかし非常に複雑な問題について議論するとき、難しい内容は難しいことばで、広い内容は多くのことばで、激しい内容は激しい言葉で戦わされるのが当然です。難しい内容も広い内容も激しい内容も、日常会話のような相手の機嫌を損ねないように、しかも簡単な言葉で語れるというのは幻想です。61.211.181.253 2006年6月10日 (土) 21:39 (UTC)[返信]

どうも。

「*度の表記」について   度と音度、に限らず、ディグリーとインターヴァルやインターヴァルとピッチも含めて、この項目には、一般的な用法、一般的な理解について、混乱や思い込みによる誤用があるということであれば、百科辞典がとるべき道は、正しいことを記述し他を排することではなく、どのように「音程」という語が用いられている事例があり、どれが正しく、他の用法はどのような点で混乱を生じさせやすく、どのような点で間違いであり、どのような違いがあるかを解説することではないかと考えます。混乱が非専門家による用法に限られ専門家の間では統一されたものであるならば、その統一された正しさの根拠を示すことはそれほど難しくないでしょう。他方、専門家の間でも意見の相違があったり、あるいは十分に検討されていないまま混乱がある場合は、そのような実態を含めて記述するのが望ましいと思います。文章として冗長になる場合、ノ��トで補足し、後のさらなる混乱を避けるということでもよいでしょう。

冒頭から旧版の「度」新版の「音程」までの記述については、記述を統一し、不適切である記述については適切なものに変えていけばよいことですから、論拠を示しながら議論すれば、しかるべき記述に落ち着くと思われます(すでにかなり本欄で説明されていると思います)。(音程の記事内部に音程という節があるのには違和感があります)。

「各音程」「周波数比と音程」「音程の一覧」の各節および「いわゆる音楽家の会話」に関する記述の削除について 

IPさんの最初の表記を借りるなら、「項目の立て方のバランスの悪さ」については、wikipediaの記述は常に未完成であることも一因です。バランスを取るために削除するよりは、バランスを取るために加筆することが望ましく、そうでなければ、記述が誤りでなければ現状を維持し、今後参加者による加筆が進むことによってバランスがとれることを期待することの方が、wikipediaの性質に合っていると思いますがいかがでしょうか。なかには専門家も混じっているにしても、wikipedia参加者の多くは部分的に何かに詳しい素人だと思いますよ。ページ全体のコーディネーションを考えることは必要であるということには同意しますが、コーディネーションを考慮して書けることを書かないよりは、書けることを書くことのほうが重要だと思います。 各節について、誤った記述の削除やより適切な記事への移動などではなく、バランスや読みにくさなどの理由で削除する場合は、ノート欄で一定の合意が必要かと。--Ks aka 98 2006年6月11日 (日) 12:43 (UTC)[返信]

IPさんへ。まず、ほかの利用者のことを、勝手に決めつけないでください。少なくとも私は音楽理論について素人ではありません。私の利用者ページはお読みだと思いますが。また、たらこさんは、非常に謙虚な方ですが、おそらくIPさんと同等かそれ以上にこのことに詳しいと思います。IPさんが、自分だけが専門家だと思いこみ、少なくとも自分の専門性が他の利用者より高いお考えかもしれませんが、私はそうは思っていません。「これが物腰というベールによって〜激しい内容は激しい言葉で戦わされるのが当然です。」とありますが、それはウィキペディアでは、当然なことと考えられていません。Wikipedia:ウィキ愛Wikipedia:ウィキペチケットには目を通してくださっていると思いますが。もし、本当に「もはや私の方から対話を続けることはできません」とお考えなら、すぐにでもウィキペディアへの投稿はやめてください。

第二に、私がここで述べていることは、ウィキペディアの原則を守ってほしいと言うことであって、「度」が正しいか、「音度」が正しいかと言うことではないのです。ウィキペディアの基本文書にもう一度目を通してください。特にWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性のあたりです。Ks aka 98さんのおっしゃるとおり、何が正しいかではなく、どのような説があるか、なのです。特に日本語の音楽用語の場合、ひとつの用語にさまざまな解釈があったり、ひとつの概念に複数の用語があります。その場合、どれかがより適切ということがあるにせよ、現実にどう捉えられているか、どのように用いられているか、ということも重要なファクターであり、捨てることができません。(だから、私は、音の「ピッチ」を「音程」と呼ぶことすら否定しません)それよりもっとも大事なことは、ある説に偏らないことです。IPさんが、これがより適切と思ったとしても、その節に偏ることは中立的な観点とは言えません。

「あなたのリバート行為は前回も今回も何の議論も経ていないのですが、それはWIKIの方針に沿っているのですか?」とありますが、失礼ながら、IPさんのリバートが、ノートにも書いたとおり誤認によるものだったと思ったので、リバートしました。私は方針に沿っていると考えています。「代案を提示したり、修正案を出したりせず、ただリバートするだけ」と書かれていますが、私はすでに「度」と「音度」の問題についても表の問題についてもすでに代案を出しています。それにはIPさんは答えてくださっていませんが。-- [Café] [Album] 2006年6月11日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

一点だけ明確にしましょう。再掲します。「さて私が「素人はすっこんでろ」と思っていたのは、論理について、文章・言葉について、データの扱いについての、各々の場合ごとの素人加減にうんざりしていたからです。私に反論する方々は、私が「音楽理論」の専門家を気取っているように非難する。しかし私が指摘したのは、論理的な問題、表現上の問題、データの扱い方の問題です。しかしながら、論理・表現・データの扱い方に無頓着な人にはその重要性は分からないのでしょう。」
これに対するつさんの意見が「まず、ほかの利用者のことを、勝手に決めつけないでください。少なくとも私は音楽理論について素人ではありません。(以下省略)」
まったくもって文意を読み取っていないのですね。音楽理論家はプロフェッショナルも、つさんも含めて、論理・表現・データの扱いに疎いと言ってるんですよ。科学の専門家、文章書きとしての専門家、データの扱いの専門家との比較において私は「素人」という言葉を使っているのです。あなたが誤読をしていることは分かりますか? それとも断じて誤読ではないと突っぱねますか? どちらでも構いませんから、明確な解答をお願いします。61.211.180.118 2006年6月11日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
Ksさん。立場が異なるが微妙に論点の重なる複数との議論は難しいので、あとでご返事差し上げます。61.211.180.118 2006年6月11日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
58.188.57.106さん。危うく、見落とすところでした。私が書いてある、あなたが書いていない、と言うことであれば水掛け論になります。要するに、私が議論を有利に導くために事実をねつ造している──という指摘ですよね。必然的に長引くことになりそうですから、下の方へ項目を新たに立てたほうがよろしいのでは? その際、太字内の「そのような」が何をさすか不明ですので、もう少し詳しく書いていただければ、ご返事します。ただし同時進行はやはり負担なので、後回しにさせていただきたいのが本音です。お察しください。61.211.180.118 2006年6月11日 (日) 15:17 (UTC)[返信]


待つこと、議論に順序をつけることは了解しました。IPさんへ、一つお願いです。既に何人かが書いていますが、どのようなものでもよいので投稿者が同一であることを示す署名を付して頂けますか?--Ks aka 98 2006年6月11日 (日) 15:55 (UTC)[返信]

「音程のノートの議論の順番待ちの間に書いておくたたき台のためのメモ」をKs aka 98 2006年6月12日 (月) 16:07 (UTC)のノートに書いてみた。--Ks aka 98 2006年6月12日 (月) 16:07 (UTC)[返信]

IPさん、以下、項目を分けましたので、適当なところから話を進めてください。また、よければ、項目を足してください。

素人か素人でないか

IPさん。誤読していません。私とIPさんとの間で「素人」の用法に違いがあるのではないかということに気づいていた、と言う意味です。それでいながら、私はまず、私の考える一般的な意味における「素人」ないし「玄人」の語意において、話を進めていました。一般的に言って、素人、玄人とは、その分野においての専門性についてのことであって、広く他分野にわたる知識の広さではないはずだからです。

ところで、重要なことは、IPさんのおっしゃる意味にせよ、私の考える意味にせよ、素人が、玄人が、という区分けは、ウィキペディアではなされるべきではありません。これはウィキペディアの基本原則ですから、理解していただくほかありません。もちろん、うんざりするのは私も経験することですが、「論理・表現・データの扱いに疎い」編集者がいたとしても、そこは忍従するしかないのがウィキペディアです。

ところで、忍従するだけでは進まないのですから、ここでの対話が必要なわけです。あなたが素人と呼ぶ利用者にわかるように、あなたが大切だと思う論理・表現・データを、きちんと説明してください。

しかしながら、私はこの点において、たらこさんがデータをきちんと出しているのに対し、IPさんは、きちんと出していると思っていません。まだ、ニューグローブに、どのように書かれているか、示されていません。もちろん、著作権の問題がありますから、そのまま書くわけにはいかないでしょうが、『「音度・英degree」の項目があります。』だけでは、示されているのは、日本語の『音度』と英語の『degree』が何らかの形で対応すると言うことだけに過ぎず、内容がありません。一体その項目に、どのように書かれているのだろうかと、ずっと興味を持って待っているのです。-- [Café] [Album] 2006年6月12日 (月) 00:24 (UTC)[返信]

まったくもって誤読をしていたことの言い訳にしか読めません。「私とIPさんとの間で「素人」の用法に違いがあるのではないかということに気づいていた、と言う意味です」とありますが、それが言いたかったことなのであれば、それを直接表現すればいいではありませんか。少なくとも私には「まず、ほかの利用者のことを、勝手に決めつけないでください。少なくとも私は音楽理論について素人ではありません。(以下省略)」が誤読によるものだという印象を受けました。ご自分で読み返して見て、そうは思いませんか? 
百歩譲って、誤読ではなかったとしても、あなたが誤読をしていると私に思わせる可能性が高い文章であったという認識には至りませんか?もうこらえ切れないので書きますが、あなたの過去の私への質問は、当該の問題の不完全な把握、私の書き込みに対する誤読と「少なくとも『私』が感じる」内容を多く含んでいます。あなたを当面無視していた理由はそこにあります。今回の書きこみにも、また、おや? と思う部分があります。私はあなたと論理的な議論をできないと想像判断(修正)したから、それが可能であると判断したたらこさんを指名したのです。もちろん両氏についての個人的な印象に基づくものです。
もう我慢ができないので、個人的な印象に基づく想像を続けます。あなたの投稿履歴をいくつか辿って見ましたが、本文への文章の書き込みが一向に見当たりません(もしかしたら私が見落としているかも知れないので、これぞというものを2-3、できれば音楽理論関係で示してください)。大変に失礼で穿った見方ですが、あなたはある程度の構成力を必要とする長文を書くのが不得意なのではありませんか。もちろん私がそれが得意だとか、長文を書く能力がWIKIにとって最重要であると言っているのではありません。つさんのようにカテゴリを貼ったり、技術的に凝ったリンクを張ったり、サイトを運営する行為を貶めるつもりもありません。ひとそれぞれに興味・充足感を感じる部分は異なるのであり、つさんはカテゴリ貼り、リンク張りにもっと力を入れればいいのではないでしょうか。
我慢するのを止めたら、筆が進むのでもう一言だけ。私に署名を勧めるまえに、あなたの自己顕示欲丸出しの署名を考え直した方がよい。あなたの凝った署名が管理者という立場から一日に何度も使用され、結果的にリソースを無駄に消費していることを考えてくださいと言いたい。あなたの署名を見るたびに、腹が立っていましたよ。管理者たるもの、無駄に反感を買うようなことをしないようにした方がいいですよ。ブランドの服やロレックスで身を固めているようなものです。なお素人のためと歌いつつも、あなたの弁では、WIKIは書き手の満足が読み手の満足を上回る手段のようですね。それがWIKIの真の目的であれば、あなたの署名も正当化されるわけですが。以上、個人攻撃になりましたが、これまでのやり取りの中で、我慢していたことを吐露させていただきました。219.126.104.49 2006年6月12日 (月) 01:33 (UTC)  修正219.126.104.49 2006年6月12日 (月) 02:37 (UTC)[返信]

ノートページは、項目内容についての合意を図る場所です。記事と関係のないコメント、とりわけ個人攻撃は歓迎されません。Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんをよくお読み下さい。あなたの発言は、合意を難しくするだけです。また、他の利用者から要望されている、発言者の同一性を示す署名か、でなければアカウント取得をお願いします。なお、私としては、この方のご意見は「独自の研究」でないのかという疑問を持っています。そうでないなら、ニューグローブの記述を含めて、「論理・表現・データの扱い」に留意されるようお願いします。--みっち 2006年6月12日 (月) 02:10 (UTC)[返信]

いいわけと受け取られても構いませんし、私が「誤読」をしていたとIPさんが受け取られたとしても、当然のことと思います。そのことを否定していないんですがね.... ただ、いくつかの読み方ができる書き方をなさっているので、私は私の語法に基づきIPさんの書き込みを判断し、それに基づいてお答えしただけです。私とIPさんとの、用語法が違うかもしれないという認識は、IPさんはお持ちでしたでしょうか。お持ちでしたら、無理にでもご自分の方に合わせさせようとしたのはなぜでしょうか。
私よりもたらこさんをかってくださったことは、私としては嬉しいことです。しかし、そのたらこさんを、「引退」に追い込んでしまったことは、私は残念なことと考えています。
そして、たらこさんが書きたかったことを、実はIPさんはちっとも理解してくださっていなかったと受け取っています。あの方は私などよりもとても謙遜な方ですが、IPさんもお気づきのように、しっかりしたご自分の考えをお持ちの方です。それを抑えてIPさんのご意見をどのように取り入れようかと努力なさっていたことに、IPさんは無頓着であったように私は読んでいます。
ウィキペディアは、多くの方が多くの違った考えを持ってひとつのコミュニティーを形成しています。その中でこそ、幅広い議論ができ、自分の予想とは全然違っていた百科事典ができあがっていくから、ここに集まっているのです。そこで対話していくときには、当然、自分とは180度考え方の違う方に遭遇します。しかし、それを大切にしています。その手法のひとつが、みっちさんが引かれている、Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんです。IPさんも、それを大切にしてください。-- [Café] [Album] 2006年6月12日 (月) 03:20 (UTC)[返信]
まったくもって、要領を得ない書き方ですね。誤読でした、誤読の原因はそちらにあります、誤読ではありません、あなたの文章からは明らかにそう読めます、あなたの文のここが問題です、などハッキリ書かないのは何故ですか? 話が一歩も進まないではないではないですか。議論の結論は出なくても、自分も相手も間違ってはいない、白黒はっきりさせずに、何とか合意にこぎ着けましょうよ、そこのところ察してください、ということですか?---219.126.104.49が回答を求む219.126.104.200 2006年6月13日 (火) 22:21 (UTC)[返信]

誤読でした。-- [Café] [Album] 2006年6月14日 (水) 15:15 (UTC)[返信]

すみません、正確じゃないですね。むしろ、間違いがあったとすれば、2006年6月12日 (月) 00:24 (UTC)のほうでしょうね。私は、あなたが大切だとする「論理・表現・データの扱い」に対し、音楽理論に対する理解も同じくらい大切だと主張しようとした、と書くべきだったのでしょうね。-- [Café] [Album] 2006年6月14日 (水) 15:47 (UTC)[返信]

音度と度

項目のバランス

ニューグローブの記述

音程の表

個人攻撃について

私の発言ではなく、発言態度に触れた他の方々のすべての意見はすべて個人攻撃ですよ。したがって、私の「個人攻撃」は「個人攻撃」であるがゆえに非難される言われはないですね。 また私の書き込みを演説と評するなら、つさんの最新の書きこみにも演説が含まれていることになりますが。なにか窮屈じゃありませんか? 「あなたの発言は論理的におかしい」「あなたは論理性を欠いている」などの意見が許されないのなら、科学の発達もあり得なかったでしょう。 なおこれまでの書き込みが「あなたの発言は論理的におかしい」「あなたは論理性を欠いている」などの直接的な表現を憚った結果であることを付記しておきます。219.126.104.49 2006年6月12日 (月) 23:32 (UTC)[返信]

最初に、「私」とはどなたか、明示してください。つまり、どの発言とどの発言が、219.126.104.49さんと同じ方か明示していただけないと、お答えのしようがありません。-- [Café] [Album] 2006年6月13日 (火) 00:34 (UTC)[返信]

素人云々や個人攻撃云々は、音程のノートで言い合うべき問題ではありません。wikipediaの方針やルールについての議論であれば、しかるべき場所があるはずです。 議論すべきは、「音度と度」「項目のバランス」「ニューグローブの記述」「音程の表」であって、その必要性や具体的な記述について、その意見は素人であるとか、wikipediaの原則に従えばこうなる、といった意見をたたかわせるべきではないのですか? 音程の素人ではないIPさんとっさんが、費やした時間と文字数が本文記事の記述に使われていたなら充実した記事となっていたと思うのです。 (以上2006年6月13日 (火) 04:17 Ks aka 98さん)

全く持って同感ですが、IPさんは浮動IPのため、IPさんのノートページというのが存在しません。不本意ながら、ウィキペディアの基本ルールについてこの場を借りて説明しているのですが、むずかしいです。-- [Café] [Album] 2006年6月14日 (水) 15:15 (UTC)[返信]

IPさん、これまでの中で、 58.188.61.253 58.188.57.194 58.188.57.106 の3IP以外のIPは同一の方のご発言だと思って、書きます。違ったら指摘してください。

ところで、IPさんの発言態度に触れた他の方々のご発言は、個人攻撃ではありません。ただ単に、ウィキペディアでの守るべきルールを説明しているだけです。ウィキペディアでは、ルールを知らないことは恥ずべき事でも間違いでもありません。初心者なら、多くのルールを知らなくて当然だからです。そこがスポーツと違うところです。しかし、なにか支障が起こったとき、ルールに基づいて解決することが求められます。ですから、ルールをご存じない方には説明します。間違ったことを指摘しているのでもなく、単にルールの存在をお知らせしているだけですから、それは個人攻撃ではありません。-- [Café] [Album] 2006年6月14日 (水) 15:56 (UTC)[返信]


2006年6月13日 (火) 04:17の書き込みは、IPさんだけではなく、っさん宛でもあります(署名もれててすみません)。削除を除けば、IPさんの書き込みはそれほど多いものではなく、音度/度の統一や厳密な意味での単位ではない(単位の定義にもよるでしょう。gのような単位ではありませんが、「月」や「年」程度には単位と言えます)という点を踏まえて修正し、削除部分についての議論に移行することも可能です。7音音階を、一応相対的に捉えた上で(ぼくもかなり西洋音楽を無意識に「普通」と捉えることを避ける記述を意図している方だと思いますが、wikipediaの音楽関係の項目では、しばしばぼく以上に西洋音楽を相対化しようとする書き手にでくわします)、Ks aka 98のノートページに、ラフなたたき台を置いてありますので、使えそうなら使って下さい。音程については、きっちり理解しているという自信もないので、本文への投稿は他の方にお任せしたいと考えます。--Ks aka 98 2006年6月14日 (水) 17:09 (UTC)[返信]