芙蓉 (駆逐艦)
若竹型駆逐艦
艦歴
編集歴代艦長
編集※『艦長たちの軍艦史』380-381頁による。
艤装員長
編集- 柏木英 少佐:1922年9月20日 - 1923年3月16日
駆逐艦長
編集- 柏木英 少佐:1923年3月16日 - 1924年12月1日
- 畠山耕一郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日[1]
- (兼)坂野民部 少佐:1925年12月1日[1] - 1926年11月1日[2]
- 直塚八郎 少佐:1926年11月1日 - 1927年12月1日
- 安富芳介 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
- 久宗米次郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 成田忠良 少佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
- 有賀幸作 少佐:1930年12月1日 - 1932年1月28日[3]
- 田中穣 少佐:1932年1月28日[3] - 1932年8月24日[4]
- 太田信之輔 少佐:1932年8月24日 - 1932年11月15日
- 山田雄二 少佐:1932年11月15日 - 1933年9月1日[5]
- 長井純隆 大尉:1933年9月1日[5] - 1933年11月15日[6]
- (兼)中津成基 少佐:1933年11月15日 - 1934年5月15日
- (兼)勢経雄 少佐:1934年5月15日[7] - 10月22日[8]
- 吉田正義 大尉:1934年10月22日 - 1935年11月15日
- 阿部徳馬 少佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 小川綱嘉 大尉:1936年12月1日 - 1937年12月1日[9]
- ��田千代吉 少佐:1937年12月1日 - 1939年1月10日[10]
- (兼)千本木十三四 少佐:1939年1月10日[10] - 1939年8月1日[11]
- (兼)中村昇 少佐:1939年8月1日[11] - 1940年1月20日[12]
- 中村昇 少佐:1940年1月20日 - 1940年4月20日[13]
- (兼)花見弘平 大尉:1940年10月15日[14] - 1940年11月15日[15]
- 橋本正雄 少佐:1940年11月15日 - 1941年7月25日[16]
- 村上忠臣 大尉:1941年7月25日 -
- 大熊安之助 大尉:1942年10月30日 -
- 角野鉄男 大尉:1943年10月20日 -
脚注
編集- ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
- ^ a b 『官報』第1522号、昭和7年1月29日。
- ^ 『官報』第1697号、昭和7年8月25日。
- ^ a b 『官報』第2003号、昭和8年9月2日。
- ^ 『官報』第2064号、昭���8年11月16日。
- ^ 『官報』第2209号、昭和9年5月16日。
- ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第285号 昭和14年1月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第365号 昭和14年8月3日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第431号 昭和15年1月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第468号 昭和15年4月23日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第678号 昭和16年7月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600
参考文献
編集- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9