大森田不可止 @omorita ナムコのことを意識したのは、大学生の頃。バイトが終わってからよく喫茶店に寄ってた。ギャラクシアンが置いてあった。良く遊んでたな。インベーダーの頃は飲み屋にあったゲームをしてて、女の子がよく寄ってきた。当時のゲームはそんな面もあったのだ。#omonamco 2014-08-02 23:53:39 大森田不可止 @omorita 当時は東北大生の留年仲間の3人で良く遊んでた。その中のひとりが就職で困ってたとき、ウチの研究室に来たソニーテクトロニクスの求人を紹介。就職が決まった。彼がナムコって面白い会社があるって薦めてくれた。ソニー・テクトロニクスからは君も来ないか?と言われてたんだが。#omonamco 2014-08-02 23:58:44
まとめ ほりい なおき、佐藤誠市、岩崎啓眞の各氏によるファミコンのサードパーティー誕生時の話 ほりい なおき氏が聞いたナムコのファミコン参入にあたっての事情のツイートと、それに呼応した佐藤誠市氏のツイート、岩崎啓眞氏がハドソンで聞いた事情のツイートをまとめました。 又聞きなど出所不明な情報ではないとはいえ、伝聞であるということには一応留意が必要でしょう。 他にもいろいろな話が出ましたが、独断で表題の話から外れていそうなものは省きました。念のため誰でも編集可にしておきます。 54449 pv 147 22 users 208 まとめ 大森田不可止氏によるMSX・ファミコンなどのゲーム四方山話 ナムコ、ゲームスタジオ、チュンソフトなどでゲームソフトの開発に携わり、またゲーム雑誌「ハイスコア」にも関わった大森田不可止氏が、トークイベントへの参加をきっかけとしてかつてのテレビゲームに関わる話を多数
ビークルと呼ばれる未来の戦車に乗り込み、賞金を目指して戦う3D対戦シューティングゲーム。未来都市を舞台に1対1のバトルを行なうシンプルさと、一人称視点による未来的なCG表現が話題となりました。専用のアーケード筐体を使った対戦は、2本の操縦桿により自由自在にビークルを操るテクニックが要求され、追いつ追われつの駆け引きを重視した奥深いゲームとして、多くのファンに支持されました。その後、プレイステーションにも移植された名作です。 地球の人口飽和が極限に達する。これら問題を解決するため各国家を統合した政府連合(United Government)設立。 同年、アイランド3型宇宙コロニー「ウラヌス」をガローフ社に発注。さらに同年、政府連合の秩序維持を目指し、旧制各国家軍を解体、政府連合下に全軍再編し、陸軍(UGA United Government Army)空軍(UGAF United Gover
前回は、世界初のゲーム専門会社であるアタリがどうなったかというのを、その歴史と共に書きました。 ■ゲーム会社の「アタリ」はそれからどうなったのか – Timesteps ※文末にちょっと追記しました。 さて、その途中で、日本にもそのアタリの支社である「アタリジャパン」というものが設立されたということを書きましたが、ここがただの日本支社ではなく、ゲーム史にとってもなかなか興味深いところなのです。というわけで、今日は「アタリジャパン」について書いていこうと思います。ちなみに今日は筆者の主観が強く、やけに特定ゲームタイトルの名前が出てくるので(特に1990年代)ご了承ください。 アタリジャパンとナムコ アタリジャパンは、1973年、アタリ社の日本法人として設立されます。これは日本のみならず、極東での独占販売権を持つ拠点とされました。本社があったのは、東京都練馬区の中村橋。私事ですが、ここは自分
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