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「セガが好きすぎるセガ社員」 「異世界に行かなかったおじさん」が語る! 約20年に渡るセガハードの戦いの歴史がこの1冊に。 本書は、セガの家庭用ゲーム機の誕生から終焉までの戦いの歴史を追った本です。 今から40年前の1983年7月15日。任天堂がファミリーコンピュータを発売したのと同じ日に、セガ初の家庭用ゲーム機SG-1000は誕生しました。それから約20年間、セガ・マークⅢ、メガドライブ、セガサターン、ドリームキャストと、セガはハードを次々と進化。市場も日本から北米、欧州へと拡大させながら、任天堂やソニーの繰り出す最強のライバルハードたちと熾烈な戦いを繰り広げていきます。 マスターシステムの逆転劇、メガドライブ/GENESISが導いた世界での躍進、セガサターンが挑んだプレイステーションとの次世代機戦争、ドリームキャストが示した未来、そして終戦へ……。 今も現役でセガに所属する著者が、波乱
「ゆっくり霊夢です」「ゆっくり魔理沙だぜ」で始まる動画をご覧になったことはあるだろうか。今やITから歴史、雑学、勉強方法、事件、オカルト、都市伝説まで、世の中のあらゆることを教えてくれるのは、GoogleでもなければWikipediaでもなく、この2人である。彼女たちはもともと「東方Project」のキャ��クターであり、それが2ちゃんねるで「ゆっくりしていってね!!!」というセリフとともにAA(アスキーアート)化され、さらにはイラスト化されると大人気を博す。そして「ゆっくりボイス」と言われる合成音声ソフトとともに動画化されると、爆発的な流行を生むことになった。「ゆっくり実況」「ゆっくり解説」「ゆっくり劇場」として知られるこれらの動画は様式化され、発展し、日々数え切れないほどのコンテンツを生み出している、というわけだ。今回はその「ゆっくり」を起点に3本のインタビュー記事を用意した。本稿は東方
マンガ家、ミヤギトオルさんが、ちょっと不思議な世界で起こる不思議な出来事を描くオムニバス形式の連載。
10月27日の発売までついに1カ月を切った「メガドライブミニ2」。セガの奥成洋輔さんがメガドライブの歴史をたどる本連載も最終回です。セガサターンやプレイステーションといった次世代ゲーム機が登場する1994年、メガドライブやGENESISはどんな状況だったのか? そしてセガ史上最大の成功を収めたハード、メガドライブ・GENESISの功績とは? 1993年末に『ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ』を筆頭に、『ロックマンX』や『す~ぱ~ぷよぷよ』を発売したスーパーファミコンは、日本国内だけで1100万台を突破した。対するメガドライブは、93年春に発売した廉価機メガドライブ2を加えても300万台を越えたくらい。PCエンジンのCD-ROM2シリーズは180万台程度という状況で、現行機の日本での雌雄は完全に決していた。 ただしメガドライブもPCエンジンCD-ROM2も発売から5年が経ち、ハードウェアとしても円熟期
世界中で「家庭用TVゲーム」といえば任天堂だった80年代が終わり、1991年に『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』と価格で勝負に出たセガ。結果として北米市場で一矢報いることに成功し、「任天堂ではないゲーム機」の存在をアメリカで示すことができた。 『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は91年度だけで、アメリカで160万本、日本で40万本、欧州で30万本、合計230万本が販売され、メガドライブでは断トツの歴代ナンバーワンヒットタイトルとなった(ちなみにメガドライブの普及が始まったばかりの欧州では、未だ8bit機のマスターシステムが人気で、マスターシステム版『ソニック』は欧州だけで50万本のヒットになっている)。セガにとっても、メガドライブにとっても、挑戦が実を結んだ年。それが1991年だった。 そして1992年。この善戦の結果、これまで任天堂やPCエンジンにしかソフトを供給してこなかったゲームメーカーがメ
書店に並ぶ「教養」を冠した本や、大量にある動画・音声の教養系コンテンツ……ここ数年、そこかしこで教養の重要性が説かれ、多くの人が関心を寄せているように見える。その一方でファスト映画をはじめ、コンテンツの消費の仕方を巡った議論も白熱している。そもそも教養とはいったい何か? 学問や芸術などを通して人間性や知性を高めるもの? それとも先行き不透明な世の中を生き抜くスキル? その疑問を解消すべく、出版や放送を通して教養系コンテンツを提供するゲンロンの東浩紀さん、上田洋子さんにインタビューしたのだが……? 教養についてあらためて考える全2回。
ゲンロンの東浩紀さんと上田洋子さんに聞く「教養とは何か?」。前編の①では、教養は何かの役に立つものでもなければ、必要に迫られて身につけるものでもない……そんな話をお聞きしたが、それでは教養とはいったいなんのためにあるのか? 核心部分に迫る後編の②をお届けする。
6月3日に発表された「メガドライブミニ2」。10月27日の発売に向けて、本連載ではセガの名機であるメガドライブの歴史をたどってみたい(全5回)。筆を取っていただくのは、前回の連載から1年ぶりとなるセガの奥成洋輔さんだ。メガドライブの歴史に欠かせないさまざまなトピックを網羅しつつ、奥成さんの目線でふり返る。
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」がついに決着。敗北を喫したセガサターンはその道をドリームキャストへゆずることになった。その日を迎えたとき、セガサターンはセガに、セガファンにいったい何を残したのか? 現役セガ社員の奥成洋輔さんの執筆で当時をふり返る本連載、ついに最終回。 セガハードで初の国内500万台を達成したセガサターンは、前年末の大作RPGラッシュ後、1998年に入ってからも強力なタイトルが続々とリリースされた。チュンソフトの完全新作サウンドノベル『街』、シリーズ3作目にしてRPGとなった『AZEL ~パンツァードラグーンRPG~』、ソニックチームの新作3Dアクション『バーニングレンジャー』。 さらに『センチメンタルグラフティ』『Piaキャロットへようこそ!!』に『EVE The Lost One』といった人気美少女アドベンチャー、その他
プレイステーションvsセガサターンの次世代ゲーム機戦争。最も白熱した戦いの舞台裏を、セガ現役社員の奥成洋輔さんが語る。
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。現役セガ社員の奥成洋輔さんによる執筆で当時をふり返る本連載。今回の舞台は1997年。その前年、ハードの販売台数に大きな影響を与えるビッグタイトルである『ファイナルファンタジー』の最新作が、プレイステーションで発売されることが決定(第3回を参照)。そして、さらなるビッグタイトルの発表によって、いよいよその戦いに決着がつこうとしていた。一方、劣勢に立たされたセガサターンは、人気タイトルの投入で最後の輝きを見せる。
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。現役セガ社員の奥成洋輔さんによる執筆で、当時の状況をふり返ります。第3回は1996年の年始に放映されたあのテレビCMからスタート。そして1996年はセガサターン、プレイステーションともに充実のタイトルラインナップをそろえ、大きく売り上げ台数を伸ばすことになるが……? 1995年の年末商戦は、発売から1年経った次世代ゲーム機が大きく市場を拡大した。旧世代機であるスーパーファミコンが『スーパードンキーコング2』『ドラゴンクエストVI』などを発売し前年に続き好調な一方で、特にセガサターンは大きく盛り上がった。年末を待たず本体は完売、プレイステーションに先駆け国内販売200万台を達成。 ソフトウェアでも『バーチャファイター2』が、次世代機市場および日本国内のセガで初めて100万本を販売するなど大きく存在感を示す。こ
ソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による「次世代ゲーム機戦争」。セガの目線で当時の状況をふり返る本連載、第2回の舞台は1995年。のちのゲーム業界を変えた取り組みや、プレイステーションVSセガサターン第2ラウンドの舞台裏など、重要なトピックをカバー。今回も現役セガ社員の奥成洋輔さんだから書ける、貴重な情報満載でお届けする。 プレイステーションの登場によって、ソニーはゲーム業界にいくつかの変革を促したと言われる。1つはゲームの主流を2Dから3Dにしたこと。次に流通改革によるリピートのしやすさ、定価販売の義務付け(後に廃止)、同時に高騰していたソフトの価格帯を下げたこと。そして、なんといっても広告・プロモーションの拡大だ。 TVゲームのCMは、これまでもゴールデンタイムや子供向け番組の中で見ることができたが、プレイステーションの宣伝はそんなものではなかった。TVを付けていれ
日本のゲーム史において、世代が変わるたびに何度も行われてきた家庭用ゲーム機のシェア争い。中でもソニーの「プレイステーション」とセガの「セガサターン」による争いは「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれ、最も白熱した戦いが繰り広げられた。この連載では、長年独自ハードを開発・販売し、業界をけん引してきたセガにあえて焦点を当て、当時の状況をふり返ってみたい。執筆をお願いしたのは、この2ハードが発売された1994年にセガへ入社した、現役セガ社員の奥成洋輔さんだ。現場ではどんな思いで戦争を戦ってきたのか!? 全5回に渡ってお届けする。 僕が大学を卒業しセガに入社したのは、今から30年近く前となる1994年。あの「次世代ゲーム機戦争」の開戦した年だ。この年の年末は、ソニーが初めて家庭用TVゲーム機に参戦した初代「プレイステーション」が発売され、そしてその10日ほど前に、セガは6番目の家庭用TVゲーム機「セガサタ
創業者の東浩紀さんと現代表の上田洋子さんを迎え、創業10周年を迎えたゲンロンの歩みを2回にわたって紹介してきた。最後に焦点を当てるテーマは、ポストコロナについて。この数カ月、映画、音楽をはじめとした文化産業は大きな打撃を受けた。それはゲンロンも同様で、ゲンロンカフェはいまだ客を入れた営業再開はできていない(無観客放送のみ/5月29日時点)。東さんと上田さんはこのコロナ禍で何を思うのか――ゲンロンの10年を補足するものとしてお届けする。
創業者の東浩紀さんと現代表の上田洋子さんを迎えてふり返るゲンロンの10年。第1回では主にゲンロンの活動が人文知や批評が好きな人、つまりゲンロンの客を育てることに注力してきたことを見てきた。第2回では演者という視点から、言論人のあり方、ゲンロン10周年の目玉としてローンチされたポータルサイト「ゲンロンα」、そして夏に向けて準備が進んでいる映像配信プラットフォーム「シラス」、さらにはジェンダー問題まで、ゲンロンのこれからの役割を探る。
批評家の東浩紀さんを中心に創業した出版社、株式会社ゲンロンが2020年4月に10周年を迎えた。そこで、創業者の東浩紀さんと現代表の上田洋子さんとともに、全3回に渡ってゲンロンの10年をふり返る。第1回は人文知や批評が好きな人を増やそうという試みが、東さん個人の活動ではなく会社でなければならなかった理由、そして収益の軸を担うゲンロンカフェや代表の交代など、いまのゲンロンを語る上で欠かせない事柄を中心に聞いた。
北海道帯広市には世界でたった一つの競馬「ばんえい競馬」がある。体重1トン前後のばん馬と呼ばれる競走馬が、最大1トンの重い鉄ソリをひき、200メートルの直線コースで力とスピードを競い合うものだ。サラブレットがトラックを疾走する競馬とは一線を画す「ばんえい競馬」は存続の危機を乗り越え、ここ数年は前年比を上回る売り上げを達成してきた。復活の道のりから今後の課題、ばん馬の魅力まで、現場のトップであるばんえい振興室長の佐藤徹也さんに聞いた。
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