という訳で、直接言われた訳ではない外野の声的なものは、ああ、こう思っている人もいるのだなぐらいで気にしないが吉。
以前は私もそう思っていたが、最近は、より理性的になれる(という自覚のある)者が自重する他ないのではないか、と考えるようになった。
無神経なコメントをつける人はいなくならない。その意味で、加野瀬さんのアドバイスは有効だ。
逆に、きついコメントに大ショックを受ける人も、決していなくならない。その意味で、きついコメントを公開の場に出さない配慮も、した方がよい。
一方、確信犯は、最後まで責任を持て。といって、何ができるというものでもないのだが。きついコメントがつく可能性を知っていた人が、みっともなくギャーギャー被害感情を発信するのは考え物だ。逆に相手が潰れる可能性をわかっていたくせに「こんなことで閉鎖するなんて信じられない。バカじゃないの」とか白々しいことをいうものではない。
あと、基本的に、好んで文化摩擦を引き起こしたい人以外は、棲み分けを意識した方がよい、と思う。システム的な分離がなくたって、ほとんどの人は、文化摩擦を滅多に経験しない。それが社会の知恵なのだ。