豊永真美[昭和女子大現代ビジネス研究所研究員][フランスで始まったサバンのキャリア-音楽を通じて日本を知る]米国大統領選の民主党候補はヒラリー・クリントンに決定した。クリントンの最大のスポンサーは特別政治活動委員会(スーパーPAC)などを通じで1000万ドルという巨額な献金をしたハイム・サバン夫妻である。ハイム・サバンは、2016年の米国フォーブス誌の資産家ランキングで453位、総資産額35億ドルという大資産家である。現在は、米国最大のスペイン語チャンネルのウニビシオンのオーナーとして知られるが、もとはといえば日本の戦隊ものをリメイクしてパワーレンジャーとして大ヒットさせるなど、日本のコンテンツとも縁の深い人物だ。パワーレンジャーで財を成したサバンが米国の有力大統領候補の最大のスポンサーとなった今、フランスから米国に渡ったサバンの半生を振り返るには良い機会だ。サバンが日本のコンテンツでどのように財を成したかを知ることは、日本のコンテンツ業界が海外展開をするにあたって再考に値するし、サバンと有力政治家との関わりを知ることは、コンテンツを海外展開させるにあたり、政治や当局とどのように付き合うかが必要かを考えさせられる。また、米国で有���なサバンが日本では縁が深いにも関わらずなぜほとんど無名なのかについても考えていきたい。■ 音楽が開く日本の扉ハイム・サバンは1944年にエジプトに生まれ、1956年にイスラエルに移住、1973年29歳の時にイスラエルからフランスに移住した。フランスに移住した当時、フレンチ・ポップスをはじめとする欧州のポップス関係者は日本と関わりを持ち始めていた。サバンは音楽を通じて日本を知ることとなる。サバンはマイク・ブラントというフランスで活躍するイスラエル出身のアイドルのマネージャー的な役割を果たしていた。マイク・ブラントはフレンチ・ポップスの代表的女性歌手のシルビー・バルタンがイスラエル公演をした際に見出された歌手だ。シルビー・バルタンは1965年にレナウンのCMソングを歌うなど、きわめて早い時期に日本と関わりをもった歌手である。シルビー・バルタンを通じてフレンチ・ポップスの関係者は日本ということを知ることができた。但し、マイク・ブラントは1975年に自害し、サバンはマイク・ブラントがイスラエルで見出したノアムという少年歌手のマネージャーとなる。余談だが、シルビー・バルタンがレナウンのCMに出たことは、その後、多くのフレンチ・ポップスの関係者が日本とビジネスをするきっかけとなっている。例えば、80-90年代に日本のアニメを多く放送する「クラブ・ドロテ」を制作したABプロダクションの創業者のジャン=リュック・アズレーはシルビー・バルタンのファンからマネージャーとして働きはじめ、バルタンの来日公演にも同行している。もう一人、サバンと縁が深く、かつ音楽を通じて日本に関わった人物がいる。後にフランスでサバンのビジネス・パートナーとなったジャクリーヌ・トルジュマンだ。歌手のマルセル・アモンのマネージャーだった彼女は、フランスに出てきて右も左もわからないサバンの服装を整え、有力者に合わせる役割を果たした。アモンはピアフの前座をつとめたことで有名となり歌手であると同時に売れっ子の作詞家で顔も広かった。また、アモンの初来日は1963年と古く、日本との縁をもっとも早い時期にもった歌手の一人で、「上を向いて歩こう」のフランス語版も歌っている。アモンを通じてトルジュマンも「日本」を知っていた。サバンの友人で、のちにパワーレンジャーの制作にも関わるシュキ・レヴィも日本を知る。レヴィは同じくイスラエル出身の女性歌手と「シュキ&アビバ」というデュオを組んで欧州で広く活躍していた。「シュキ&アビバ」は1973年のヤマハが主催する第4回世界歌謡音楽祭に英国代表として出演し、入賞している。彼らの歌唱する「愛情の花咲く樹」は日本語でも阿久悠作詞で発売された。レヴィはその後、1975年に日本の新人歌手伊藤咲子の「ひまわり娘」の作曲を手掛けている。レヴィを通じて、日本人にも歌手がいて、音楽があるということをサバンは知ったかもしれない。ただし、レヴィは���ひまわり娘」により日本市場の閉鎖的な一面も経験する。「ひまわり娘」はその年のレコード大賞新人賞に作曲が外国人という理由でノミネートされなかったのだ。1975年にはサバンがプロデュースしていたノアムが日本でレコードデビューする。国立国会図書館は、1976年に日本で発売された、サバンが作曲し、ノアムが日本語で歌った「花のようなリサ」、「可愛い悪魔」の2枚の45回転のレコードを所蔵している。1974年にはフランス系カナダ人少年歌手ルネ・シマールがTBSが主催する第3回東京音楽祭でグランプリを獲得し、日本でフランス系少年歌手ブームというのが起こった影響によるものかもしれない。後述するが、このノアムは後に「ゴルドラック(UFOロボ グレンダイザー)」の主題歌を歌い、ミリオンセラーとなる。サバンにとって、ノアムを通じて、日本は確かに存在する場所となった。70年代というのは普通の欧米人にとって、日本はまだ不確かで、ビジネスを行うに際し信頼に値する場所かどうかさえよくわからなかった時代であるが、サバンは日本を確かなものとして実感したに違いない。一方、「ひまわり娘」がレコード対象にノミネートされなかったことで、日本の閉鎖性も実感したかもしれない。
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